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虐待と相談

気づくと生き方には親の影響があるって思う。
でも自分でできる選択もあるはず。
虐待してるかも、されてるかも、
どうにかしたいと思ってるならどうにかできると思う。
カウンセリングの勉強していますが、一緒にその方法を探せたらと思っています

久しぶりに一気読みしました。
短かったのもありますが。

はたからみたら成功しているだろう

と思われる
なにも悩みなど無いようにみえるだろう

という著者の

苦しさがかかれていて、

一番感じたのはこれです。

だれでも苦しさを持ってるんだ

誰でも、というのは違うかな。

一見幸せそうであっても、
でしょうか

いろいろな書評がありましたが

私にはシンプルに心に入りました。

正解などない、

原因も解決策もまして解決もない

そうやって生きていくんだってこと

その中の小さな輝きをひろって、感じて、

少し喜んで
少し変化して、生きていくこと

等身大、ありのまま、元気ぶらない、

がんばらない、
という姿がほっとできる。

しかしそうすることのなんと難しいことよ

と思います。

この本でのセラピーのあと、

少しそこに近づいた感じが
セラピーの効果を少し感じられた。

そこになんだかほっとしたし、

そうだなあと共感したことも
いいと思った理由かもしれません。


カウンセリングってやればやるほど
魔法使いみたいな

明快な効果が得られるのではない
ということに気付いてきます。

それがしたくて始めたのだけれど
そうではない、相談者の方の生き方に少しだけ生きやすさをお手伝いする

寒い冬の日の縁側で、日の当たる場所に座ってお日様の暖かさを感じるくらいの
安心感を提供する。
そんな程度です。

冬の寒さは、

わたしは魔法使いのように緩められない。
緩められるとしたらその方自身の力。

そう。
いままでカウンセリングで

劇的に変わられた方は
その方の力だったと感じます。

その方の「時期」もあったと思う。
出会うべき「時」というのは重要な要素です。

私はそこに立ち合わせていただいただけ、
という感じがします。


今飼っている犬が具合が悪いんですが、
彼の体調を変えることは私にはできない
病院に連れていき薬を飲ませるくらい。

そして心配、不安、悲しみ、

愛しさを感じている自分を
そのまま感じています



生きているって

こういうことなのかと思います