高額納税起業家の軌跡① | 天職起業で「人生は逆転できる!」講演家・作家

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私の友人で億万長者になった起業家です。以下は本人談

■創業物語


1993年10月16日。

この日は私にとって、特別の日だ。

20代最後の年を迎えた私は、世の中のことをよく知らないまま、
大きな決意を持って聖心美容外科を福岡の地に開設した。

そして無謀とも思えるその壮大な夢を実現した。

干支が一周して2004年11月、30代最後の年を迎えた私は、
この愛した組織を手放すことになった。
そして、現在のような新しいステージを迎えることになった。

当時とは世の中の景色が違って見える。

仕事を通じて今まで出会った多くの人たちに、今はただ感謝したい。


■はじめに

29歳で創業したころは、どれくらいのレベルで始めたのか、
今振り返ると恐ろしくもあり、いとおしくもある。

知識も経験も明らかに平均以下だ。

勤務医時代は、医学しか勉強していなかったので、
まったくといっていいほど社会性がない。

事務の女性に言われて、「源泉徴収ってなんですか?」
と聞き返したくらいだ。

しかし、夢を見る力と行動力には自信があった。

そのギャップをどう埋めていったのか。

最近、若手経営者に相談されることも多くなってきたので、

原点に返って連載してみたい。

これから起業を目指す人にとっても、
会社を大きくしようと考えている人にとっても、
勇気を与える内容になると思う。

■マイナスからのスタート

そのころの私(1993年)は、その当時最大手だった
美容外科で勤務医として働く28歳の青年だった。

若干の頑張りを評価されて、
雇われながら院長として福岡に赴任していた。

節税対策が必要と、D京の営業マンに勧められるまま、
9割のローンでマンションを購入し、
ノンバンクから6.6%の高利で融資の返済をしていた。

貯金は450万円。

借金の残高は4500万円くらいあった。

開業を決めたのは、その年の5月、急速に勢力を伸ばしてきた、
業界2位のクリニックチェーンの院長から
引き抜きのお誘いを受けた時だ。

今の給与の1.5倍を出すとの提案で、
借金を抱える身としては、多少魅力は感じたものの、
マネージメントに興味があった私は、
そのような立場での転職でなければ意味がないと思っていた。

6時間にわたる話し合いの結果、先方の院長から
「君は自分でやるタイプだね。」と切って捨てられ、
結果的にその言葉が決め手となった。

自分の実力を試すには開業しかない。

それまでは、漠然といつか独立したいという
夢はもっていたものの、
まだ時期が早すぎると思っていたのだ。


決心を決めた私は、次の日から開業の準備を始めた。

まず、所属しているクリニックの総院長に
アポイントをとり、東京へ向かった。

独立したい旨を伝えると、

「君は優秀だけど、すごくできるというわけではない。
 今独立するには状況がよくない。
 開業しても成功するのは10人に一人だ。」

その言葉でますます成功への確信を深めた。

なぜならその院長は常々、所属しているドクターに、
独立しても成功するのは
100人に一人だと口癖のように言っていたからだ。

日本一のクリニックチェーンの院長に君の成功率は、
ほかのドクターの10倍だとお墨付きをもらったのだ。

恐ろしい、プラス思考である。


今、振り返ると思う。

もし、独立を願う100人の人がいるとしたら、
そのうちの90人は同じ理由で成功しない。

なぜなら90人の人は、夢見るだけで実際に実行しないからだ。

ゲームに参加しなければ、勝つことはできない。


つづきは
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