天職起業で「人生は逆転できる!」講演家・作家

創業・起業・小さな会社やお店の成功事例
ベストセラー16万部


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ふと、思いつきでミニ勉強会を企画実施。自分の事務所でやるので、思い切って朝・昼・晩の3コースを毎日。1/28にフェイスブックとメルマガとコクチーズで告知。予想通り、バラバラと申込み。これでいい。今のところ1/29、2/1、2/2、2/6に一人づつ。今回は大人数ではなく、少人数、個別がいいのだ。1/29は夜にお一人来社いただく。30代前半の起業家。以前に別な会で会っていた。さらにその前、何年も前から、成功哲学ナポレオン・ヒルの月刊誌にある私の連載を読んでいた。有り難い。さらに、その月刊誌に載せた事例が友人だった。その友人は3度、私の事務所に個別相談で来ていた。まあ、いろんな意味で縁がある方だ。

今日は冒頭、簡単に雑談し、大阪のほか弁でナンバーワンになった岩田さんの講演DVDを30分ほど視聴。意見感想や、ご自分の悩みや課題を話していただいた。現在の事業は家業がらみ。親のやってる本業の下請け。を個人で請け負っている。正直、やる気が無い。未来がない。希望が持てない。自分がやりたいことではないと。それで数年前から様々な本や教材やセミナーへ参加。何十億とか100億とか、海外展開とかグローバルにやりたいと。フェイスブックのザッカーバーグみたいに。夢は壮大だ。妄想状態(笑)。何かビジネスのネタはないかと。現在は個人自営業をやってるが、なにか、これだ!という新規事業をしたい。という感じか。

まだまだ迷っている。模索している。妄想してる。夢見てる。いろいろいろいろ本を読み、情報を仕入れ、インプットで頭がパンパンか。そんな風に見える。が、そんなもんだ。そうは簡単に見つからない。「これだ!」という天職は。

天職。好きなことで食えること。世の中の大半は、好きでもないが、生きていくために、食うためにやっている労働だ。好きなことを仕事にしたい。これは誰もがそう思う。好きなこと=趣味に近い。そう。たとえば私は、海外の、インドやバングラデシュやミャンマーとか、ハングリーな発展途上国が大好きなので、そんな国を旅しながら、現地でそれなりの体験や出逢いを繰り返し、見たまま感じたままの感動をブログやフェイスブックやYouTubeにして、好きなことをやって、その体験と感動をそのまま文字や動画で伝え、結果、食えれば最高だ。

そう。これは大学生時代も思った。20才前後に読んでた朝日ジャーナル。そこに戸井十月さんという作家が連載してた。本業はルポライター。色んなトコに行っていろんな人に会い、雑誌に連載や本も出版してた。趣味がオートバイと少林寺拳法と、当時の俺と同じ。さらに男らしいハンサムで、単純に憧れた。戸井さんは当初暴走族のルポとか書いてたが、次第に世界へ目が向いて、ゲバラの本とかも書き、40代になってからオートバイで世界5大陸を走破。その見たまま感じたままの本を書き、その様子はテレビ番組にもなった。それは最初からの目論見だ。だから、テレビの映像はYouTubeかなんかでちらと見たが、孤独にアフリカ大陸を走る・・・その姿を仲間のクルーが撮っている・・・孤独じゃないじゃん!リスクもないじゃん!というのは横に置き、憧れた。学生時代に。そういう戸井さんの人生に。だから、下宿の本棚に「ルポライター」とマジックで書いた。

が、私はその後、普通に大企業へ就職する人生を選び、内定もらった中で一番かっこいいヤマハ発動機に就職。バイクとヨットの世界企業。年収とか知らなかったが、今でも一兆円以上だから、当時でも3000億はあったか。これでエリートサラリーマンだと思ったが、営業の仕事できずにノイローゼで9ヶ月で退社。その後もリクルート子会社、IBM子会社を転々として、中小企業を経て起業。人材紹介業は半年も持たず、零細出版社で文字起こしのバイトに転落。が、ここで念願?のルポライターみたいな真似事をすることに。

そのビジネス社という出版社は当時の船井総研が買収した会社で、月刊フナイという月刊誌を出していた。その中の取材でカルビーとか無名の中小企業も取材して、それを素人レベルで記事にした。バイトだし、社員になる希望や可能性もありませんでした。その頃、大活躍してたのが椎名誠。本の雑誌編集長経営者でありながら、フリーの作家として大ブレイク。ビールのCMやマスコミにもコメンテーターとかでよく出てて、憧れましたね。事務所も近かったし。他には沢木耕太郎にも憧れた。沢木さんの代表作は自ら26才の時に世界放浪したルポというか私小説的な「深夜特急」。は、当時、本になっていたが、読んでなかった。そういう旅行記には関心なかった。が、「敗れざる者」とかの人物ルポの本は何冊か読み、その繊細な文章には引きこまれた。

で、椎名誠は元が百貨店業界の雑誌編集もやってたので、当時、流通系の月刊誌づくりに文字起こしとミニ取材記事執筆で関わってた私も夢見た。流通系ということで少し似ている。オレも椎名さんみたいになれないかと、当時出たばかりの自伝小説「銀座のカラス」を読んだが、とても敵わない。椎名さんは20代からサラリーマンとしても実力者。自分が作家なんてあり得ない。沢木耕太郎も大スター。そんなのと比べるなてアホだ。

その後、実家の連帯保証1億円事件もあり、私は福岡へ泣く泣くUターン。7社目のサラリーマンでアド通信社という地場の中小広告代理店で営業マンに。その後、8社目として広告代理店を妻と起業。この延長で「小さな会社☆儲けのルール」他の本を出したんですが、これは竹田陽一との共著で、本来はゴーストライターの立場。いかにも元文字起こし+広告代理業らしい立場。で、本を出しました。これがまさかの10万部。12年で。さらに、中小企業の原理原則ランチェスター戦略をわかりやすく書き、さらに事例を実名で数十社あげたのが良かったようで、全国の商工会議所や青年会議所など、中小企業の団体や集まりから講師で呼ばれるようになり、広告代理業から講演家・作家に転業。そうです。私は中小企業・独立起業者のルポライターになっていたんです。

サラリーマン時代から失敗転職を繰り返し、起業も2度めでしたが、なんかしっくり来ない。隣の芝生は青いと、青い鳥を探そうと、福岡のサラリーマン時代から起業家を呼んで、その独立起業成功談を聞くセミナー勉強会「九州ベンチャー大学」を開始。様々な成功者の話を聴きながら、実は自分の天職を探してたんです。あれもいい、これもいい、でも自分には無理だ。できない。でも、毎回、講師の話は素晴らしい。感動する。だから毎月ずっと開催でした。でも、勉強会の主催では儲からない。でも辞めたくない。趣味。本のゴーストライターの話があったのはそんな勉強会はじめて10年目。その頃には事例もたまってた。

そう。私は自分の天職を見つけることができない。でも見つけたい。じゃあ他人はどうやって天職を見つけたのか?その事例勉強会をずっとやってきた。それを本にして講演してみたら、作家として講演家としてヒットした。最低限、食えるようになった。好きなこと✕できること✕お金になる=天職に巡り逢えた。44歳になっていた。信じられなかったですね。そんな夢のような天職と至高体験が10年以上続き、まさにゾーンに入った状態が、ハイな感じが続き、調子に乗って世界一周にも行きました。家族4人で。当時、子供は小3と小5で。仕事も辞めて。貯金も全部使いました。

が、帰国後もまさかの仕事は復帰でき、今もお金はないですが、生きている事自体に大いに感謝です。が、マイナス面も多々あり・・・が、子供のOO、私のOO・・・まあ、全然大したことはないです。試練でもない。ジェットコースターのような人生の中で、七転び八起きの中です。今も信じられない人生だと自己満足してます。ありがとうございます。

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ネット販売にはランディングページが必須。=怪しくウザい縦長のセールスレター。は文章書くのが大変。それを話す動画にしたのがプロダクトローンチ。ジャパネットと同じく、しゃべる動画は視聴覚を刺激する。左脳男は騙されないが、情弱右脳バカ客には効く。これは3万円のセミナーを無料公開。第一部を観ましたが、講師はまだ29才?スゴい!⇒http://goo.gl/Cbjt3n
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やっぱりブログなんですね。が、即時性のFBいいね!の承認欲求に溺れ、堕落してました。明日からブログへ戻ります。以下はその専門家で最初はなんやこの軟弱男は?とバカにしましたが、中身やブログの文章がスゴい。わかりやすくて質が高い。完全脱帽。すなおに学びます。⇒http://goo.gl/9IQf2l
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キャッチ1行で奇跡は起きる。私も広告屋時代、いくつも経験しました。

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■私が生まれた時代は、まさに日本の高度成長期。

以前、映画「三丁目の夕日」を観たが、まさにあの昭和の時代だった。

 父はイイ時代の銀行員で、当時としては珍しく、生まれたときからテレビがあり、大学へ出て社会に出るまで生活に不自由したことはない。逆に、贅沢をした覚えもないが、あとから考えると、私は充分、坊ちゃん育ちだった。 生まれつきの天然パーマだったからか、小学校時代は「リボンの騎士」(当時流行っていた漫画)と呼ばれ、女の子とよく遊んでいた。親を「パパ、ママ」と呼ぶ、いつも笑顔のニコちゃん。

そんな私が、親への憎悪を抱いたのは、いつのことだろうか。
                                 
「金属バット殺人事件」

あなたはこの事件を知っているだろうか?

あれは私が大学生だった1,980年代に起きた。予備校生だった当時20歳の予備校生「一柳展也」が、就寝中の両親の頭を、金属バットで殴って殺した。父親の頭蓋骨はパックリ割れて血しぶきが天井にまで達し、母親も脳漿があたり一面に飛び散っていたという。

展也の父親は当時46歳。学歴は東京大学卒で、一部上場の旭硝子(株)東京支店長。母親は山口県の名門酒造家の娘で、兄も早稲田大学を卒業して大手電機メーカーに就職という、絵に描いたようなエリート一家だった。展也以外は。

展也も父や兄と同じく、一流大学を目指すが、早稲田、上智、中央、明治学院、成城と全部に不合格。浪人したが、またも早稲田、立教、明治、法政、日大に落ちる。

父から「一体おまえは何を目標に勉強をやっているんだ!どうしようもないヤツだ。こんな調子じゃダメだ。もういい。大学行くだけが人生じゃない。就職しろ!」と父から云われたが、兄と母が必死に説得して二浪を許される。

予備校を変えたが、早稲田専科コースでの成績は、英語が111人中80番、国語は最下位だった。展也は予備校をサボるようになり、父親のカードから金を盗んでは映画や喫茶店やパチンコで遊んだ。

母親に「オレは自衛隊に入る」とか「相撲取りになる」とも云ったが、また予備校通いをするようになった11月、早稲田模擬試験の結果は偏差値43。絶望的な結果だった。

11月29日の犯行前日、帰宅した父親は、展也が自分のキャッシュカードを盗んだことを知り、きつく叱った。さらに、受験浪人している展也に小言を云おうと、2階の部屋に入ると、展也はウイスキーをラッパ飲みしていた。「バカが!一人前に大学にも入れないくせに、このざまは何だ!おまえはクズだ!家を出て行け!」と、展也が座っていた椅子を足蹴にした。

それまで、展也の見方だった母親も、「あなたはダメな子」と言い放つ。

その3時間後、犯行は起こった。

(参考:ネットサイト「無限回廊」事件インデックスより)
                  
                 ◆

この事件が起きた当時、私は大学生活を謳歌していて、失恋以外の悩みはなかった。が、何かが心に引っかかった。年齢も近く、親に対する似た想いを抱いたことがあったからか、はたまた、事件の数年後に作家・藤原新也のベストセラー「東京漂流」で一柳展也のことを読んだからか、その後の人生でたまにノスタルジックに思い出すことがあった。

■裏口入学

父が銀行とやらに勤めていることを知ったのは、小学校4年の時。生まれ育った福岡市から、山口県下関市に引っ越した時。父が福岡相互銀行の下関支店長として赴任したのだ。家は丸山町の高台にある、豪華な一戸建ての支店長社宅だった。

ある日、私は何かの理由で遅刻しそうになり、父を毎日送り迎えしていた車のおじさんが、文関小学校まで送ってくれた。始業ギリギリの時間で、校門や校庭には誰もいない。

が、校門で高級車から降ろしてもらうと、校舎の窓から大勢の友達が私の方を見ていた。恥ずかしかったが、何か誇らしくて気分がいい。以来、私はたびたび、わざと遅刻しそうになり、父を銀行まで送り、車庫で車の手入れをしているおじさんに送ってもらった。

下関は2年で、その後はまた福岡市西新の銀行アパート社宅へ戻った。そこには小学校5年と6年を過ごしたが、事ある事に父に叱られ殴られ、私はアパートの物置に泣きながら逃げ込んだ。理由は覚えていない。怖いのは地震・雷・火事・親父の時代。が、友達と比べても、あきらかにオレは怒られる頻度が多い。オレはダメな子なのかと思っていた。

■中学は校区内にあった、進学校の福岡県立百道中学へ。成績は350人中100番くらい。その頃、社宅アパートを出て一戸建てに引っ越した。どうやら、父が栄転したらしい。
 ある時、父の給与明細を偶然見たが、月給で30数万円とあった。昭和46年だから、今の価値では月給200万位か。あとで知ったが、父は39歳で銀行の最年少取締役に就任。下関時代と同じく、毎日、黒塗りの役員車が家に出迎えていた。

高校受験を控え、親の計らいで中学の教員がバイトでやっていた塾に通った。校区の一番の進学高校は修猷館。当時も今も、毎年数十人の東大進学者を出す、名門公立高校だ。
 しかし、私の成績では到底無理。校区で2番目の城南高校を受験する事になったが、そこもかなり難しい。自分なりに必死で勉強しようとしたが、私はラジオから流れる南沙織や天地真理、洋楽のベストテン番組に夢中になった。特に南沙織が好きになり、月刊「明星」や「平凡」の切り抜きを集めまくっていた。

■当落ギリギリの成績で迎えた城南高校の受験日。午前中の試験が終わって休憩時間になった時、試験監督が2~3人、私の机に寄ってきた。「君が栢野君か・・」。なんでオレの名前を知っているのか?しかし、特に疑問を持つことはなく、午後の試験を受けたが、あきらかに失敗した。落ちたと思った。

ところが合格発表日、奇跡的に合格した。百道中学からも多くの友人が受けていたが、私を含め、中の上くらいの成績のものは、ほぼ全員不合格。馬場、入江、土井、山崎・・・・皆、首をうなだれて下を向いている。その姿を横目に見ながら、同じく合格した飯山の手を取り、「やった!やった!」と喜んだ。飯山は落ちた皆に気を使い、困ったような苦笑いをしていたが、私はお構いなしにはしゃぎまくった。本性が出たのだ。

その時、近くにいた入江が呟いた。

「おまえが受かって、なんでオレが落ちるんだ」

 オレの成績は入江より少し良かったから、お前に云われる筋合いはない。それに、お前は汚い中華料理屋の息子じゃないか。住む世界が違うんだよ。
 私は聞こえないふりをして、心の中で「ザマアミロ!」と喝采を上げ、落ちたヤツラを見下して冷笑した。あれは生まれて始めて、自分の非情さに気づいた瞬間かも知れない。

また、中学時代に大好きだった中村恵子という、施設から通っていた同級生がいたが、彼女は池田という成績優秀なヤツに惚れていた。その修猷館合格間違いなしの池田が、まさかの不合格と聞いたときも、心の底から快感が湧き上がった。

■しかし城南高校に入学後、最初の試験の結果には愕然とした。成績が350人中、200番台だったのだ。それまでの小学・中学で、平均より下になったことはなかった。悪いときでも、いつも真ん中よりは上だった。人間の価値は成績で決まると思っていたので、もの凄い劣等感に襲われた。

が、次の試験も、そのまた次ぎの試験でも、結果は学年の平均を下回った。オレはダメな人間なのか・・・・。次第に高校に行くのが嫌になり、同級生や先生から「このバカが。劣等生が・・」という眼で見られている気がした。

ある日、オレは「いつものごとく」、両親の寝室外にかけてある、父の背広のポケットに手を入れていた。そこにはいつも小銭があり、たまに盗んでいたのだ。何やら父と母が話している。

「・・・・まあ、こうして入れば、克己も何とかなるだろう・・・・」

前後の言葉は聞こえなかったが、その瞬間、私はあることを思い出した。城南高校の受験時に、「君が栢野君か・・」と机に集まった試験監督の言動。あの不可解な、何やらバカにしたような笑みと、寝室の父の言葉が結びついたのだ。

「裏口入学?」

その勘は数ヶ月後、実証されることになる。

■高校1年の夏、父が取締役小倉支店長で転勤することになり、私も転校することになった。校区で一番は福岡県立小倉高校だったが、そこは修猷館と並ぶほどの進学校で、到底私の実力では無理。次は小倉西高校だったが、当時の成績は悪く、合格できるかどうかわからない。その下の小倉南高校は確実と思ったが、一か八か小倉西高校を受験することになった。

果たして受験の前日、まだ引っ越しの段ボールで溢れる中、「家庭教師」という男が家に来た。心配で親が呼んだのだろう。私は、男から渡された数学の問題をやったが、そのペラ一枚が終わると、解答用紙を渡してすぐに帰った。少し疑問に思ったが、翌日の試験問題を見て驚いた。

試験科目は国語、英語、数学だったが、なんと数学は、昨日やった家庭教師の問題とほぼ同じ。比較的得意だった暗記英語もなぜか簡単なレベルでほぼ満点の出来。苦手な国語は70点くらいの感触だったが、合計では300満点中、少なくとも250点は取れたと思う。

予想通り合格したが、クラス担任の若狭先生は私の転校試験の成績表を見ながら、「これはスゴイ生徒が入ってきた」と、私の前で呟いた。「そんなの当たり前ですよ。だって、数学は家庭予習の問題と同じなんですから・・・」とは言えない。子供心に、これは悪いことをしていることはわかった。

が、先生にはもちろん、親に聴くのも憚れ、友人にも言えない。転校してきたばかりで、知り合いは誰もいなかった。

「オレと両親は、限りなく、犯罪に近いことをやっている」

■疑いが確信に変わったのは、小倉西高校に転校してまもなく。数学の時間になり、入ってきた白い制服の中年男性を見て、「アッ!」と声が出そうになった。転校試験前日に家に来た「家庭教師」だったのだ。

「そういうことか」。

先生の名前は江上と言った。噂ではイン金タムシだったようで、頻繁に机の端に局部を押しつけ、掻いていた。

担任の、英語の若狭先生をはじめ、他の先生は「不正入試」のことはまったく知らなかったようで、事実は私の両親と江上教諭、江上教諭を紹介したであろう人物の、ごくわずかしか知らないはずだ。そして、当事者の一人である私。

この数年後、高校か大学時代かは忘れたが、新聞で同じ様な事件を何回か見た。大人になって知ったが、公務員相手に金品の授受で不正な取引をすることは、立派な贈収賄事件だ。新聞記事を見て、オレもいつかは逮捕されるのでは?と怯えた。

同時に、これはなんと48歳になって気づいたことだが、「犯罪」を犯した親への憎しみの芽も、この頃から生まれていたと思う。さらに、そんな不正に身を委ねるしかなかった「共犯者」としての自分への苛立ち。
 これがのちの、社会人になって出逢う様々な不正に対する、特にずる賢い強者に対するルサンチマン的な復讐心、破滅的な正義感の萌芽になったと思う。

その原点が「犯罪者の親」であること。尊敬すべき、感謝すべき対象を、憎まねばならなかった状況。これは望んでも得られない、貴重な経験だ。相手が大手だろうが有名人だろうが、お世話になった先輩や会社でも、お客でも容赦しない。間違っていることも多いかもだが、相手が誰であろうが、ウソや不正や騙しは許さない。これはなんとも貴重な資質だ。・・・そう思えるようになったのも、2007年になってからだが・・。

■こうして福岡県立小倉西高校へ裏口入学した私だが、この高校は居心地が良かった。というのは、入学は不正だったが、成績がまた昔のように、300人中で100番以内に戻ったから。平均すると50番全後だったか。

 この小倉西高校は、以前の、同じく不正入学した福岡県立城南高校に比べると学業では劣る。今もそうだが、現役で早稲田や慶応、九州大学へも合格する生徒はほとんどいない。よって、私の成績でも、上中下で言えば、学年で常に「上」だった。が、それは学業で二流高校だったからで、偏差値自体は60を上回ることはほとんどなかった。55位か。その成績では、いわゆる一流大学には程遠い。

私は恋愛と音楽に夢中になった。とくにあるアイドル歌手には惚れ込み、部屋中にポスターや切り抜きを貼りまくり、ファンクラブにも入った。勉強するふりしてオールナイトニッポンや歌謡曲番組に夢中になり、歌手やスターに憧れた。

また、クラスの一つ年上の不良・中嶋が女の子とイチャイチャしているのに刺激を受け、高校2年の夏、クラスの女の子を見渡し、松原まり子に焦点を定めた。特に話したこともなかったが、なんかアイドル風で好みにあった。
 ちょうどその前の試験成績がよく、何かの科目は学年で10番以内に入り、その表が全学年に配られ、体育のクラスでも目立っていた。

今がチャンスと思い、つき合って欲しい旨のラブレターを書いて靴箱に入れると、まさかのOKが出て舞い上がった。が、「つき合う」ことの意味を知らず、OKの返事はもらったのだが、どうすればいいのかわからない。今考えても素晴らしいプラトニックラブだ。デートの場所は小倉玉屋や小倉城を歩いたり、図書館で一緒に勉強する程度。

菅生の滝で、初めて手を繋いだが、もうそれだけで息子は勃起状態。きついジーパンに締め付けられた状態が何時間も続いたからか、腹が痛くなって困った。草むらに寝そべり、キスのタイミングも計ったが・・・そんなことをするのは不良だと、キスなんかは結婚してからだと思いとどまった。まさに青春!?

そんな姿を父は察していたのだろう。オレをいつも見下していた。

「金属バット殺人事件」一柳展也の父のように。

■父はエリートだった。大半が中卒か高卒の昭和24年、「商科の雄」神戸大学経営学部に入学。卒業後は当時の花形である大日本製糖に入社。その後福岡相互銀行(今の西日本シティ銀行)に転職し、30代で取締役になっていた。当時は小倉支店長を兼務で、これはあとで知ったが、この小倉支店は福岡県北部の本部も兼ねた、役員への登竜門だった。

(これは35歳を過ぎて知ったが、父の父、オレの祖父は、福岡相互銀行の前身である「福岡無尽」創業期のメンバーであり、やはり取締役検査部長をやっていた。オレが小学校低学年の頃に亡くなったので、詳しくは知らなかった)

そんな家系だったからだろう。オヤジとしては、オレは修猷館か小倉高校→東大や早稲田慶応、腐っても九大を期待していたが、到底無理な話。その努力もせず、女とデートしてアグネスチャンの日々。

ある日オレが部屋にいるとき、オヤジがスッとオレの部屋を開けた。そしてアグネスチャンだらけの部屋を見渡し、軽蔑するような目でオレを見た。

「なんね!?閉めろよ!」

そういうと、オヤジは無言で去った。既に身長ではオヤジを越し、気性も荒くなっていた。昔は何かというとオヤジはオレを殴ったが、もう手出しは出来ない。別に腕力は強くなかったが、キレた時の狂気は、かなり凶器じみていたからだ。


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