講談社学術文庫読書記録 No.63 『イザベラ・バードの旅』 | BLOGkayaki1

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読書記録、環境問題について

『イザベラ・バードの旅』宮本常一、2014.4

 

 古典を読むのは骨が折れる。その点、抜粋版や解説書など「忙しい人向け」の本は大変重宝する。

 本書はイザベラ・バード著『日本奥地紀行』から一部を引用してはその背景等を解説するものであるが、改めて「解説」というものが古典を読むうえでいかに重要であるかを認識させられた。

 

 わたしが大変興味深く感じたのは、市井の人々が「外国人」を観たくてバードの宿にわっと押し寄せるところである。

 例えば、会津の大内村(現福島県下郷町大内宿)から高田(現福島県会津美里町)へ入った時のこと。

「外国人がほとんど訪れることもないこの地方では、町のはずれではじめて人に出会うと、その男は必ず町の中に駆けもどり、「外人が来た!」と大声で叫ぶ。すると間もなく、(中略)老人も若者も、着物を着た者も裸の者も、集って来る。宿屋に着くと、群衆がものすごい勢いで集ってきた(中略)。…大人たちは家の屋根にのぼって庭園を見下し、子どもたちは端の柵にのぼってその重みで柵を倒し、その結果、みながどっと殺到してきた。」  (本書95~96頁)

 これに宮本は解説する。

ペリーが日本へやって来た時、(中略)武装してペリーの艦隊の行動に神経をとがらせている。しかし一般民衆は、久里浜沖に泊った船の間を全然警戒なしに漕ぎまわっている。中には興味を持って船を見に来るのもいるし、全く武装しない帆前船が港を出て行くのもみられる。(中略)これと同じことがイザベラ・バードの東北の旅の中にうかがわれるわけです。  (本書188頁)

 つまり当時の日本人は、外国人に対する好奇心が旺盛だったのだ。

 これを読むと、幕末から明治にかけて日本の政(まつりごと)は開国派と尊王攘夷派がいがみ合っていたのとは裏腹に、一般庶民は外国人が来るたびに祭事(まつりごと)のように大はしゃぎだったのだ。

 改めて、「日本史」と庶民の歴史との乖離を認識させられるし、宮本の民俗学に対する眼差しというものが垣間見れて興味深いのである。

 

 最後に、当時の日本人がアイヌ人に対する偏見の記述について宮本が述べているのだが、解説の赤坂憲雄氏はこれに疑問を呈している。

 なお、アイヌ人差別問題についてここでは省く。

 興味を引いたのは、本書には「解説の解説」があるということだ。宮本の著書もまた、「解説」が欠かせない日本の古典になりつつある。