おはようございます。
タイトル通り恐ろしい1週間を生きてました。
前回ブログで激務が続いていると書いたと思うのですが、今回それを上回る事態になって…
もー、それを書き残しておきたくて、激しく長文でマニアックな内容になってしまいましたが…ブログ書いてます。
事の発端は職場のスタッフさん2名の家族がそれぞれ別ルートでコロナ陽性となり、濃厚接触者=自宅待機となったところから始まります。結局2人のスタッフさんも数日後にコロナ陽性となってしまいました。
もともとうちは大きなステーションではなくてこの2人欠員の場合、全体の戦力の1/4以上は削がれた状態でした。
月曜日からこのような状態であり、かなり辛く感じましたが、まだよかった。
月曜日夕方、管理者の身内が思いもよらぬ急変で夜中まで及ぶ緊急手術になりました。
私、火曜日はお休みで美容室に行くのと自身と子供の病院受診など予定していたのですが、こんな状況ですからステーションや管理者の様子が心配で出勤するよ?と言ってはありました。その場では「大丈夫」と言われ、とりあえず朝は出勤しなかったのですが…(美容室予約してたので髪切ってた)
これまでもステーション全体で新規受け入れや看取り支援が続き、疲弊していたのですが…
管理者もがむしゃらだったと思います。
結局火曜日なんとか出勤してはきたけど、「寝ていなくて正常な判断ができそうにないです…」とラインが送られてきました。
その内容を見てこりゃあかん💦と危機感を覚え管理者と勤務を交代しました。
この火曜日はターミナルで状態がよくない患者さんが退院され、二泊三日の療養生活を支える…という初日でした。
腹腔ドレーンからの腹水排液、胃管で減圧していて内服時クランプ指示あり、点滴、麻薬管理が必要な方です。
退院カンファレンスや顔合わせはすべて管理者が行ってきましたし、私は話を聞いたり、直前にサマリーを読んだくらいでしたが…
ぶっつけ本番で頑張るしかないわと引き継ぎをうけて訪問することにしました。
前回ブログで書きましたが、今医療度が高い方を訪問できるのが私と管理者、あともう1名いる(…けど点滴はしばらくやってない子)がコロナで欠員。
この時点でメンバー内で残っていたのが私1人…。
より孤独な闘いの始まりです。
背水の陣やで、こんなん。
残ったメンバーといいますと常勤では私と医療が苦手な方、新人さん。の3人。
あと半日パートさんが2人。
さすがにステーションが崩壊しかかっていて看護師資格を持つ施設長が登場してくれました。
みんなでシフトをにらめっこして調整をして、その新規の方(仮にKさんとします)の訪問にも同行してくださることに。
完全なるはじめましてでこっちも不安ですが、1番はKさん…ご利用者さま側ですよね…不安を与えないように配慮しつつ、その日は状態及び物品の確認と訪問の流れなど共有しました。
Kさんは退院してきて移動が多く、とてもしんどかったようで、ボルタレン座薬を使用したあとだったのですが、バイタルを測ろうとしてもコロトコフ音がほぼ聴取できず、橈骨も微弱すぎて検脈も怪しい💦SPO2は測れない。
手指冷感とチアノーゼがあり、足の裏にもチアノーゼがありました。
(ボルタレンで血圧低下している??)…など心のなかで焦りつつ、元々どんな様子なのか探ると「酸素はいつも測れないことが多くて…耳で測ってもらったりしているんです。でもほとんど出ないのよ」とKさん自身しっかり答えてくださいました。
これくらいしっかり受け答えできるなら……様子をみるか…と考えをまとめて、私は若干あやふやにバイタル測定終了。
あとはドレーン類見て。
胃減圧チューブには側管があり、わたしが見たことがないルートを使っていました。私が勤務していた病院ではないところからの退院だったので多少違うのか、私が単に知らないだけなのかは分かりませんが。
まぁ、戻ってから調べました。サンプチューブっていって側管はエア抜き用のルートと判明。何か管理で困ることはなさそうです。
腹腔ドレーンは呼吸器勤務時代によく見た馴染みのあるルートが使われていました。腹水の排液については消化器勤務経験がないのですが、地域包括に勤務時代には何度か見てきたので問題ないはず。
点滴は手背にヘパロックで留置すみでした。
化学療法もたくさんしてきて、全身状態が悪く浮腫もある。パッと見、点滴入れるとこないなって感じ。
Kさんも「なかなか点滴が入らなくてね〜看護師さん、苦労していれてくださったの」と話されていました。
他疼痛など状態把握して
「…よし。私でも看れるな」と一安心。
サマリー内容でイメージしたところとずれはありません。
Kさん、家族さん共に穏やかで落ち着いておられ、とても良い方なのにも救われました。
おうちに帰ったら、スイカが食べたい。たくさんお話がして整理したい、娘さんにお料理を教えたい。
そんな希望があるとお聞きしました。
普段触っていない書類関係は施設長がぜんぶやってくださり助かりました。
道中、施設長さんとお話する機会が持て、
今回のことが始まる以前にも職場はずっと疲弊していることや、みんなそれぞれの思いを抱えていることなど話すことができました。
相談しなきゃなと思っていた矢先に機会に恵まれたとも言えるかもしれません。
Kさんが退院中は呼ばれて対応できるのが私だけ。
auの電波障害で仕事の携帯が全滅して、au回線でない私の私物スマホに転送電話を切り替えてあったので、私は週末からぶっ続けで24時間待機をすることになります。
水曜日。
管理者体調不良にてお休み。
大波到来です。
シフト調整を重ねますが、他のLさんという利用者さんが状態悪化してきて訪問追加になったり、
退院カンファレンス急に入ってと予定が重なってきてどんどん話がこじれてゆく…
でも私はKさんを午前午後で訪問せねばならず、他のシフトもカツカツで、回らん…。
施設長がさらっとカンファや退院後の訪問を受けてくれることになりました。通常のシフトも残っているメンバー誰も行ったことがないけど、情報を聞いて回ってくれた。
管理者病んでしまった様子なので
また頭悩ませて訪問時間調整したりして明日のシフトも管理者抜きで回すようにチェンジ。
私は私でKさんのことみんなに共有してもなぁ…(孤独)ってなってしまい、他のゴタゴタの処理が優先だし報告受けるばかりで喋る時間もなくて孤独で一人でこなします。
訪問してヘパロックみてみたらルート折れて使えなくなってる💦
でも全然血管がなくて…うわぁ〜。
予備に留置針2本入れてくれてあったけど、この人2回じゃ私には無理でした…。
Kさんは逆に「あぁ、ごめんね…どうしましょう…」とすごく気遣ってくれて…
いや、でもここで点滴入れられなかったら?
Kさんは私の力量不足で病院に戻らなければならなくなるの…?
…それは絶対にだめだ!
猛ダッシュで事務所戻りホットタオルと針もってとんぼ返り。
結局、苦肉の策で正中にルートとって平謝りし。Kさんは点滴入ったことで、ホッとしておられました。
慌てて次の訪問先へ。
時間もオーバーしたし、次のお家20分くらい移動時間必要で焦りつつ電話駆使して乗り切りました。
午前の訪問後、お弁当をさっさと食べて
Kさんの点滴について最悪皮下に切り替えてもよいか、あとレスキュー(ってもボルタレンですが)の使用回数の上限オーバーしそうなのでオーバーしてもよいか主治医に指示確認のFAX。
FAX作成時間を合わせてもお昼休憩1時間切れる中でシフトもまた調整して午後訪問へ。
夕方Kさんの訪問前にFAX返書をいただいて、皮下でも点滴可能と指示もらって、これならなんとか家にいられるかなとなりました。
病院の動きが早く助かります。
無事点滴終了しました。
Kさん、今日はお客さまがたくさん来て疲れたそうですが「やりたかったこと」はできているみたい。胃管にそのまま流れちゃうけどスイカやアイスを食べたりもされていました。
そのあとその日退院予定の利用者さんの妻が「お世話てきるか自信なくて見に来てほしい」と希望あり。
妻認知症症状が出ているのですが、気切と胃ろうを管理しています。入院でしばらくやってなくて忘れちゃったかもとのことで18時〜訪問。
まぁ、やってみたらできたしよかった。
透析患者さんということもあり、病院からの処方が薬袋だらけで…これ妻管理できる?と不安になり急遽お薬セットも。
19時すぎに戻り記録などして…
どっと疲労感が溜まります。
木曜日。
連日かなり残業していてへたって来ましたが、なんとか気力で乗り切ります。
私、疲れると昔発症した蕁麻疹がでます。今は家にある抗ヒスタミン剤を自分で調整して飲んでます。病院行く暇ないから…。
その日の朝、ふと目覚めると待機携帯に不在着信の表示があり真っ青に!!
数分前にKさんからです。あわてて折り返すと「あっ。大丈夫です!しんどそうだったけど、座薬も効いてきて母もいいというので」と娘さん。
不安だっただろうに…申し訳ない…
爆音なのに聞こえなかったことにもショックで今日は抗ヒスタミン剤は飲まないと決めました(眠くなるリスクあるから)。
この日は今の職員体制だと私しか訪問できない3時間枠の利用者さんがいて本来午前中はその人しか行けないのですが、
Kさんを8:30〜、その利用者さんを9:30〜に変更でお願いしてました。Kさんはメインイベント?の腹水排液日です。
8:20には事務所を出たいのに、出勤早々訪問時間の調整やら退院してきた利用者さんのこと、状態悪くなってきたLさんのことなどで
わぁーーっと人と情報が押し寄せ
とりあえず大急ぎで最低限調整して「じっ…時間ない〜〜!」と大慌てで訪問へ。
Kさんあれから痛みはそれなりにコントロールできていたけど、全身倦怠感や呼吸苦などの苦痛が増強してきました。でも病院に帰りたいという意志はありません。「絶対に家のほうがいい」と話されます。
腹水は無事に抜けました。点滴は結局今日も正中で…今日は苦痛優先で最初から挑戦するのやめました。
午前午後とびっちり訪問まわって、合間に契約しているグループホームの訪問。
午後はKさんの体調も悪化傾向に感じましたが保清を希望され、ゆっくりお話もできました。
明日朝1に病院に戻るためこれが最後の訪問。
またおうちに帰るときは訪問させてくださいねとお約束しました。
そこから記録ややり取りした情報の処理なんかをして、時間はどんどん過ぎて…連日残業で20時オーバーになり…気力も体力もつきてきた気がしました。
私、仕事と生活に必要なこと最低限しかしてませんでした。スマホ見る時間もなかった。
22時、Kさんの娘さんから緊急コール。
座薬を入れたけど苦しそうと。電話からKさんがかなり呻いている声も聞こえてきました。
とりあえず駆けつけつつ救急車要請をしていただきました。
どのみち私ができることも救急搬送しかないからです。
翌日FAXするつもりだった退院中の申し送り用紙(排液量やその他もろもろ)を掴んで大慌てで向かいましたが、やっぱり救急車のが早かったです。
結局、移動の介助を少ししただけで役立たずですが、娘さんに申し送り用紙を託し、救急車を見送って戻りました。
もし次退院のチャンスがあるなら、もう少しレスキューの内容を見直して帰れるといいな…。
そんなことを考えながら夜空を見上げました。
その日は七夕。
満天の星空が…とかだとロマンチック?なのかもしれませんが、レーシック後の目はすっかり鳥目になっててよく見えません。せっかく晴れてたのになぁ。老化ですかね。
もうゆっくり寝られるはずだったのに早朝覚醒してしまいここに来て寝不足の金曜日。
管理者もどってきました。
戻ってきたらステーションはなんか落ち着いてて…この3日なんだったんだ??
訪問の隙間でしばらく出来なかった連携業務を一気にこなして…夕方は自分が委員長の委員会…これ準備のための資料作成とか必要でなにげに負担があってしんどい。
業務内では完全にできないので残業か休日返上でやってます。
委員会のあと17:30〜状態が悪くなってきたLさんの訪問です。
肺がんで脳転移があり、在宅看取りを希望されていたLさん。ごろつきが強くなっていて吸痰指導が必要とのことで家族さんが仕事の後集まれるこの時間になりました。
Lさんのおうちに1週間ぶりに訪問すると一気に状態も悪化して水分も全くとれなくなっていました。
舌根沈下ありいびき呼吸と無呼吸。血圧低下。
尿量緩慢。腫瘍熱と思われる発熱が以前から続いていてかなり体力も削がれたのでしょうか。るい痩が進んでいました。意識レベルも落ちました。でも苦しそうな様子がなくとても穏やかなお顔です。
私が訪問する数時間前に訪問診療がありました。診察内容を確認すると点滴はしない方針になったそうでおそらく…数日といったところでしょうか。
舌根沈下があるので体位調整したところいびき呼吸が消失し喜んでくださいました。
吸痰指導のあと家族さんと看取りや介護について一緒に話をしました。
在宅で看取り支援させていただくようになって大切だと感じていること。
それは残されたご家族さんが少しでも悔いがないように、みな同じ方向を向き利用者さんを見送れるような関わりかなと思ってます。
それには不安軽減のためにある程度の経過の説明が必要であったり、それぞれの思いをしっかり語ってもらうのが大切なのかなと感じているのでタイミングが合えばなるべくそのような場を設けるように意識しています。
みなさんに色んな思いを語ってもらい、それを労い、それで良いのだと声をかけました。
家族さんからは本当に手厚くしてもらい感謝していますとありがたい言葉をいただきました。
でも、私達は訪問で短い時間の関わりです。
こうして看取りが叶うのはLさんの経過が穏やかなことと家族さんの力あってのこと。
ご家族さんとしてはLさんの死が近づいていることを分かってはいても覚悟ってなかなかできないと思うので…これで少し気持ちの準備ができていたらいいなと思います。
先月から立て続けに看取り支援を行っていますが全員と一番関わったのは私かな…
おかげで経験値がたまってきて、私側の戸惑いは減りACPらしきことも困らずに提案できるようになってきた気がします。
在宅看取りってやはりいいなと思います。
訪問から戻ると管理者は体調がまだ不安ということですでに帰宅後でした。
ふぅ…。
やっと…やっと終わった1週間でした。
怒涛の展開でただ必死でした。
私は今のステーションが長いわけでもないですが、成り行きで?私中心に運営されていたような状態でした。
今回このような状態になって
やっぱり私は管理業務は全然分かってなくて勉強が必要だと思いました。
看護面については私自身が平凡な能力値ですが、このステーションにいるからにはみんなを引っ張っていかねばならないと感じました。
私が辞めるまでの間にみんなの看護力の底上げができたらいいな。
あとはこの少ない人数でみんなそれぞれすごく頑張ってくれて…パートさんも今までにない訪問件数をこなしていただいてしまい、シフトも考えてくれ、午前中のみの勤務なのに午後からも来れるよ?と言ってくださったり「がんばるぞ〜!えいえいおー!」と士気も上げてくれました。
事務さんも電話応対を積極的にしてくださって、私が訪問中、待機携帯の鳴る頻度を減らしてくれました。
新人さんもツッコミどころありつつ(笑)ですが、「私にはなにもできることがなくて…」と言いながら頑張っていっぱい回ってくれました。この1年悩みながら指導してきましたが、一応ここまではできるようになったわけで…なんだかんだ言っても算定取れてなんぼですからね…。彼女がいなければもう完全にアウトでした。
ふたりきりになった常勤さんとは夜な夜な途方に暮れる日々でしたが、何度も何度も私を気遣ってくれお互いに労りながら生きてました。
ステーション内だけでなく施設内のケアマネさんが訪問調整してくださったり、気遣いの言葉をたくさんいただきました。そして施設長がいたからこそなんとか乗りきれました。
色んな方に差し入れもいただきました。
もうみんなに感謝感謝の1週間でした。
残ってるメンバーの結束力高まったと思う。
あとこれはただ私が勝手に感じているだけなのですが、何人かの方からの私に対する信頼度が高まったような感覚があります。
だから悪いことばっかりじゃないのかな?と。良いことかもわからないけど…私にとって何かしらの転機になる出来事になっていくのかもしれません。
以上、めちゃくちゃ長くなってしまいましたが私の備忘録でした。
ここまで読んでくださるかたがいらっしゃるかは分かりませんが、ありがとうございます。