この前から、私の周りで色々と困惑する出来事がありましてね。
巻き込まれてます(笑)

それと言うのも、私が手伝いをしているお店に去年から新しく入った子が、どうにもこうにも「病みたがり屋」でして。
事あるごとに病んでいます。

…が、仕事中にいも病まれていてはたまりませんからね。
一応、上司として都度都度、忠告染みた会話もありましたよ。ぇぇ…
だけど、一向に病みたがりは治らず。

いよいよ私が行動する出来事が立て続きましてねぇ~

最初は、お店のお客さんに「はぁ?」などと小馬鹿にした態度で接客したものだから、お客さんが怒ってしまう出来事がありました。
次は、同業者にお店の愚痴を言い触らし私の耳に入る事に…
その同業者に対しても別の件で脅迫染みたメールを送りつけるなどして怒らせてしまいましてね。
結局、私が本人のいない所ではありましたが、その同業者の方をなだめて謝罪するハメに。

ま、ここまでは私の仕事の範囲と受け止めて、とりあえず本人には追々理解してもらうように教育でもすればよろしい!
そう思っていたのも束の間。

さきほど、私も見ているネット上でつぶやいた一言が…
「どこか他に人材が足らない所ってなぁぃ?」的なつぶやき。

これには参った。

なぜかと言うと、そのつぶやいた場がいけない!
前略した同業者の面々や、お客さん、あとは従業員のみんなが見ている場所なのである。

…彼女はきっと何も考えずに書いたのは間違いない。
それは私が一番わかる!

だが…
許して良い事と、許してはいけない事がある。

コッソリ電話でもして叱ってやるのも手であった。
だが私はまず、オーナーに電話で連絡し、事のいきさつを説明し、そして許可をもらった。
「書き込みにレスしてもよいか?怒っていると伝えていいか?」と。

で、オーナーはあっさり承諾。

確認ができたので、私はそのつぶやきにレスした。
「バカにしているのか?」と。

すると五分もしないうちにそのつぶやきは、すべてのレスごと消え失せ、直後に私にメールが届いた。
「バカになんてしてないです(泣)」と。
そのメールに私は、公然の場で私たちのお店の従業員であるアナタが、他のお店ないかな?などと一言書くのは、見ている誰もが「あの子はお店なんてどうでもいいんだな」と思うのは間違いないのに気付かなかったのか?そして、お店を大切にしている私が怒るのは分からなかったのか?と。

すると来た返信がこうだ。
「元気なくなりました」

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元気がなくなりそうなのはこっちである。
それも含め更にメールで返信をしてみたところ。
「すいませんでした」
その一言が届いた。

私は「反省ならサルでもできる、どうして私が怒ったのか?その意味を考えておきなさい」そう伝えたのちメールの返信は止まった。

数分後、オーナーから電話で爆笑された。
「あの子、私に "お店、やめてもいいですか?" ってメールして来たよ」

ああ、やはりそう来たか。
確かに笑える話だ。
私たちは結果なんて見えていた。
彼女は逃げるタイプなのだ。
成果が得られないと面倒くさくなるタイプなのだ…

彼女はこの失敗をなぜ生かそうとしないのか?
つぶやきも、私のレスがあった直後に削除して隠匿。
更に連絡も電話ではなくメール。

私がメールで返信したのは、彼女にはまだ小さな子がいて、もしかしたら電話ができないタイミングかもしれないと気遣ったからである。
だが、オーナーにまでメールで辞めますと送るとは。
残念で仕方がない。

私が教えたかったのは、諦めることではなく、どうしてこうなったのか?自分で分析して、どうしたらいいのか?を考えて行動に移して欲しかったのだ。
彼女は、どうしてこうなったのか?の部分を飛ばしてしまった。

どうしたらいいのか?
それだけを実行に移そうとしてしまった。

やはり残念で仕方ない。


ウチの義父は、頑固一徹。
プライドだけで生きてきた男…を装った男である。

そもそも私の関知するところの頑固一徹な男と言うのは、私自信の祖父がその人であったと。
そう思っている。

自分で決めた事はやりぬき、誰の指図も受けず、かたくなに自らの職務を全うする。
我が祖父はそういった男であった。
それが証拠に、小さなトラック一台で始めた建設業を株式まで持ち上げ父に譲り去って逝った。
私はそれはとても自慢になる祖父だったと思っている。

その祖父と比べてはいけないと分かりつつ、義父のありさまを見ていつも思う。

ブライトとは、できてなんぼのものだぞよ!

できもしないのに、できたフリ。
やってもないのに、やったフリ。
知らないくらせ、知ったフリ。

すべて義父のプライドである。

嘘をついているのではなく、自分がさも素晴らしい人間だ!と言うアピールが多すぎるのである。

義父は私が嫁に行った後まで暫く借金の事を隠していた。
ある時から私にバレてしまい、色々と自分の生い立ちや自分のしている職業について言い訳染みた説明を聞かされるようになったが、私には一向に納得の行く話でもなく…
ただひたすら聞かされていただけの時期があった。

義父は父を3歳で亡くして、母である現在入院中の義祖母と二人、親戚の寺に厄介になって育ったらしい。
その寺では、義祖母は家政婦のように働く事で置いて貰っていたため、義父の肩身はとても狭かった。
だから頑張って良い学校へ行き、卒業後は独立して今の仕事を始めたと言う。

その仕事、現在もしているのだが…
途中のバブル期は派振りも良く、家を新築するなど自分のしてきた事に間違いないと自信が付くほどだった。
だが当時、寺に残して来たままだった義祖母が、体調不良で働けなくなったため、預かっていた親戚から引き取って欲しいと言われ引き取る事になった。
その義祖母に家の事を、家事しかできない義母の代わりに任せていたという話。

これが後になって大問題に発展する。

家の事を任せるという事は、家のローンや火災保険、または光熱費一切を任せていたという事になる。
もちろん税金などもすべてだ。

だいたいここまで読んでいたら想像がつくでしょうが、その通りでして…
義祖母は、何に使ったかは不明だがそのほとんどを使い込んでいた。

そのため、新築した家を手放すハメになり、一家は別の中古住宅に移り住んだのである。
それが現在、義父らが住んでいる家…の場所になる。

さて、引っ越ししてからの義父は「家の事は婆さんに任せられん!」そう言ってほとんどを義母に任せるようになった。
アホな義母はそれは必死にやりくりをしていたらしいのだが…
しまいに義母まで使い込み、足らなくなった分はサラ金で補う生活をしていく事に…

ダメすぎて話になりません!

そもそも、一番のダメは義父。
自分の家なんだから、自分でやれば良かったのである。
家と言っても個人経営なのだから、家族といえど従事しているワケでもない人間にお金の管理など任せる事自体がおかしい。
ましてやお金を渡すと危険だと知っている人物をアテにするなど…
私には考えられない。

だがダメにはダメな事しか起こらず。
義父はこのころから、何でも人のせいにして暴れる癖が酷くなったそうな。
何か事が起こる度に「お前らのせいだ!」それを言う。

先ほど、引っ越しした家を「現在の場所」と記述しましたが…
中古で買った家は現在のものではありません。
実は途中で無くなってしまいました。

借金のカタに取られても家はなくなりませんよね?
実は、火事で全焼したんです。
火事の原因は悪戯の付け火でした。

と言っても、わざとではないので事故扱いには違いないのですが、義母の妹の子が遊びに来ていた時に誤ってライターでコタツを燃やした事から火事に。
ただ、ボヤで収まればよかったのですが、家の中に義父が仕事で使う薬品があったときたもんだ!
燃え移って爆発、炎上…そして全焼。

それが隣の家まで焼く大惨事で…
私も覚えています。
実家と旦那の家が近所だから、夜にもの凄い火事が起こって大騒ぎだったのを…
アレが旦那の家だったとは、結婚するまで気づきませんでしたが(笑)

その家事の時。
火災保険を適用しようとした義父ですが、任せていた義母に尋ねると義祖母が管理したままだと言ったそうです。
そして義祖母に尋ねると…
「お母さんに任せたからワシャ知らん」
そう来たもんだ!

罪の擦り付け合いですな。

結局、火災保険は入っておらず、全額自腹。
挙句に隣の家の保証も全額自腹。

ありったけのお金+借金増額というハメに陥ったそうです。
これが義父の今の貧乏の発端だと。
義父本人は、俺のせいじゃないのに「お前らのせいだ!」その一点張り。
人のせいにする前によく考えろよ…

ウチの旦那は、恐らくこの義父の根性に負け、何かちょっとした事でもすぐに「俺のせいじゃない!」こういう発想になってしまう人になったのだと思います。
私が台所で…
「あ~、洗い物また増えてるや」などと言おうものなら…
「なんでも俺のせいにすんな!そんな事、俺に言われても知らん」どこかから言ってきます。
別にアンタに言ったセリフじゃないんですが?
私の独り言でも、それは自分に「お前がしたせいだろ!!!!」と激しく言われている気がするみたいです。

それが義父の性格のせいなのに気づくまで何年かかった事だか…

ま、それは置いといて。
その義父ですが、仕事に関しては絶対にやめて別の職業に就くなんて言いませんでした。
旦那にも働かせ、跡継ぎにでもするつもりだったんでしょうが、その旦那に資格も取らせていなければ、未だに給料もくれずいます。
私が苦労しているのはソコなんですけどね(笑)

それが最近、まったく収入がない。
働いても全く儲けがない。
去年ぐらいがずっとです。
流石に疲れたのか、先日、義父が旦那に「別の何か仕事があれば探せや」と言ったそうです。
もちろん、旦那は私にそんな事を義父に言われたなんて一言も言いませんがね。
義父本人から、旦那にそう言ったと伝えられました。

仕事をやる気のない旦那は、これ幸いと職なし生活を満喫していましたが…
その間、毎日早朝まで働いている私の事ぐらい考えてくれてもって事が山盛りにありましたよ、ぇぇ…

昨日!

義父がとうとう旦那に電話でこう言いました。

「もうウチに一銭もないんだ、俺の時計をうったら一万ぐらいになるか?静に聞いてくれ」

旦那は義父にこう言っていました。

「そんな古い時計、一万どころか売れんぞ」

それを横で聞いていた私。

とうとうプライドもなくなったか…、そう思いました。

私にしたら、一銭もない状況はいつもです。
その一銭もない状況を生活費だけでもと頑張って生活しているんです。
アンタがお金をくれていれば、もう少しぐらいマトモな生活ができるんです。

そのもともと無い私に、お金がないと言われましても…




死んでくれ。

もうそれしかありません…

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自分の母の事を書いたが、私には現母。

そう義母がいるのを忘れてはいけない…

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あの人の思考回路は短絡的で、あまりの楽天的行動にいつも悩まされる。
先日、入院中の義祖母(旦那の婆ちゃん)の病院から電話がかかってきた。

いつも私にかかってくるんですよね、病院から。
「着替えが無くなったから交換しに来てください」とか。
「最近誰もみえてないので寂しがられています」とか。
しまいには…
「入院費がたまっているのでお支払いの予定を教えて下さい」とか!

私にできる事にも限界がある。
着替えや見舞いは行きます。
ですが、入院費は立て替えられませんし、義父いわく、
「婆ちゃんの入院費が高額だから、お前らにやる金が足らないし、そっちでなんとかしてくれ」
そう言われてるんですが…
払ってないんかぃ!

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そもそも、義祖母は90歳を超える高齢で、去年の初めに脳出血でデイサービスセンターから救急搬送された。
脳出血と言っても、緊急手術をするほどではなかったので、入院治療になったのだが、その入院中に病院を転々とし、今の病院へ行きついた…

が、それも引き取れる余地がナイ!と言い張る義母の意見ありきの決定で、だ。

引き取って自宅で介護をすればしたなのだが、義母は介護どころか…
憎くて仕方ない義祖母の面倒を見るのを嫌がっている。
同居中もよく二人の喧嘩に巻き込まれたものだ…。

私も結婚前に自分の爺ちゃんの介護をしたので、介護はもうしたくないってのが本音。
今回は、幸い?私もすでに同居はしていないので、ここは知らん顔を決め込むつもり満載だったのだが…

入院の手続きや、途中の転院の手続き、挙句に介護保険などすべて私に任せられた。
それはなぜか…?

そう、義母がアホだからである!

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アホ義母は、手続きといわれるもの全般を聞いただけで泣きが入る病気。
自分が一旦「できない!嫌だ!」そう判断する事に遭遇した時はいつも引きこもりに変身する。

頭に冷えビタを貼って「ぅぅぅ~…ぅぅぅ~…母ちゃん…今日しんどいから…」そう言って半死人と化す。
これは自分がパチンコで大負けしてお金を使い果たした時も適応される。
さらに、家のお金を使いこんでバレたくない時や、サラ金からの取り立て電話に出たくない時も。
凄いもんだ。
ある意味、関心する(笑)

その義母が先週…
「来週の火曜日に婆ちゃんの入院費のお金返してもらう手続きしたいから、役所に連れて行って」
そう言ってきた。
ついでに、
「久しぶりに孫にも会いたいし会えるかな?」とも。

ま、役所はいつもの事だしいいや、チビはその日特に行事もないし保育園を休ませるかと思っていた。

当日、チビを休ませて義母からの電話を待っていた。
だが、電話がかかってきたのは昼前の11:30ごろ。
その電話、かかってきたのはいいが、声が例の引きこもりに変身している時の声ではないか!

「あのさ~、悪いんやけど今日行くのやめて木曜日にするわ、母ちゃん具合悪いし…ぅぅぅ~」

おいおい!
キサマ!
チビまで休ませて待ってた私の予定は無視かぃ!

アホらし過ぎて笑いが出てくる。
いや、笑えない…

明日は約束の木曜日だが、もうチビは休ませねぇ!
会わしてやる価値なし!

(゚Д゚)、ペッ!!

母の話が出たついでに、私の母について私が知っている事を書いてみようと思う。

私の母は、私を21歳で産んだ。
父は、母の中学校1年の時の同級生で、転校の多かった母とは一瞬だが同じクラスだった事もあるらしい。

母の母、つまり私の祖母は戦後一人で暮らすため、ずっと水商売的な仕事をしていた。
だが、私の母には父はおらず祖母が誰かとの間に結婚無しで産んだ子だった。

そのせいで、母は親戚や知人に預けられ育ったのだが、高校を卒業をすると同時に勤めていた会社の寮に住むようになったらしい。
しかしその寮も、あまり居心地のいいものではなかったと言っていた。

そう言えば私が高校生の時。
母の実の父がやっているという靴屋へコッソリ顔を見に行った事がある。
面立ちが母に似ていた。
優しそうなおじいさんだった…
だけど、奥には奥さんらしき人もいたし、カーテン越しに息子らしき人の姿も見えた。
もしかしたら母も、こうして実の父に会いに来たことがあったのかも知れないと思ったものだ。

さて母の話に戻りますが…
寮暮らしも暫くして、今でいうところの合コンみたいなパーティーへ出向いた母。
久しぶりに出会った父と付き合いはじめ、すぐに妊娠。
その時の子が私。

父は子供ができたのなら結婚しようと母に言ったが、最初は母はおろそうとしていたという話。
これは本人(母)が私に直接言ってたので恐らく本当の事だろうと思うが、
実は私の母。

少々…と言うか、かなり虚言壁がありましたので、どこまで本当かは分かりませんね。
父はあまりしゃべらないタイプなのでいまだに聞いてないから分からないです。

が、私ができたせいでのデキ婚には間違いなく。
当時、デキ婚なんて「はしたない!」の世界だったらしくて、
父方の親戚は、いったんおろすのには賛成してたらしいです。

けど父がどうしてもダメだってんで産んだらしい。
結婚式もしたけど、ボチボチな式だったそうな…

そんな母ですが、紆余曲折ありましてね。
私のあとに二人妹が産まれたんですが、途中で挫折しました。

私が高校3年生の時に突然いなくなっておしまいです。

父や父方の祖父は興信所を使って母を見つけましたが、本人に戻る意思はなく、
離婚届を手渡して出してくれたらそれでおしまいにしたいと言い、
父も離婚届を受け取ったものの、戻る意思のない母を2年待ち、
最後は諦めて離婚届を提出しました。

それから二十年近くたちますが、母はいまもどこかで生きています。
たぶん…(笑)
死んだらなんらかの連絡があるでしょうが、どこにいるかも分からない。

父は最近再婚しました。

再婚相手は私の4つ上のお姉さん。
まー大変な人です。
私、実家を追い出されちゃいましたし(笑)

ま、そのおかげで今の旦那と暮らす羽目になったんですけどね~あはは…

母の生い立ちや生活感なんて私にはわかりません。
けど、私が一番思うのは。

子に辛く当たる事ができる親であってはならない。

実際に私は辛かったし、母がいなくなった時、実はホッとしました。
その原因は父の浮気であったかもしれないし、お金がなかったからかもしれない。
けど、子供に当たっていいはずがない!

母が最後に出て行った時。

一通の手紙が届きました。

私と妹二人宛に三枚便箋が入っていました。

妹宛の内容は見ていないので知りませんが、私にはこんな内容が書いてありました。

「あなたには妹がいるから寂しくないでしょ?
寂しくさせないために妹を産んであげたんだから、
これからもお姉ちゃんとして立派になりなさい。
お母さんはその家にはいられなくなったけど、
心配はしないでいいよ。」

…心配なんてしねーよ!!!

妹を産んであげた???
違うでしょ。

けど…

そんな言葉しか思いつけない母。
手紙を出してよこすなんてダサい方法しかできない母。

あの時もまだ、私の母は戦ってたんでしょうね。
自分と…


そんな母を見て私もいろいろと考える事もありましたよ。
30過ぎまで結婚しなかったのも、怖かったからだし、
結婚して3年目に子供ができた時も、
怖くて産むか悩んだし…

今も子育てに自信がなくて、友達や家族に支えてもらわないと何もできない自信がある。
幸い私には、困ってたら必ず助けてくれる友人がたくさんいて、
まだ父も祖母も生きていて、妹たちも近くにいてくれる。

むしろ、妹が産まれてきてくれてたおかげで私は頑張っていられるのかもしれないよ?
それを今、どこかにいる母に伝えられたらどんなにいいか。

祖父が亡くなった時。

母が突然、実家に電話をかけて来て私に言ったセリフがわすれられないよ。

「あはは~、やっとくたばったか、あのくそじじい!」

さも嬉しそうに言った。
悔しいけど、母がくそじじいと言った爺ちゃんは最後、私と祖母が介護してたんだよ。
本当は母がいたら良かったのにと何度思った事か。

私は爺ちゃんが好きだった。
母には敵だったんだろうね。

なんかせつねーな…

なにしてんだよ、お母さん…私、子供が生まれたんだよ?
アンタもう、おばあちゃんなんだよ?
妹にも子供がいるよ。
双子もいるよ。
孫は全部で4人もいるんだよ?

出てこないかな、お母さん。
泣けてくるぜ…チッ…

いやいや、こんな事はブログに書くかどーなんよ?的な話題ですが。

私ね、小学校3年生の夏に、母親から置き去りに2度されました。

( ・ω・ )←シーン…

最初の一回目は、ある日突然母が…
「車に乗ってドライブしよっか」
などと言い出しましてねぇ。
そのままついてったら、どんどん山に行くではないですか!

気づいたら山の山頂にあるお堂で下され、
なぜか行きたくないのにトイレに行かされましてね。
戻ったらいないんですわ、母も車も。

( ・ω・ )

そのまま真っ暗になりましてねぇ…
待ってても仕方ないし泣いても仕方ないし…

たまたまその山は学校のオリエンテーリングなんかで訪れた事があったから、
家に帰る方角の道をただひたすらに歩いて山をおり、
下道を思いのまま歩き家まで帰りましたよ。

帰れた私すごい!(笑)

だけど家に着いた時は次の日の昼ごろでしたね~
足は血が出てたし、痛くて大変だったけど、
家に着いた!

これ、どんだけ嬉しい事だったか。

ただ、この時の私ですが、帰る時ひたすら気になって足早になった理由があります。
実は…

家には私以外に妹が二人いたんです。
その妹たちがどうなってるか気になって仕方ない。
途中で自分が置き去りされた事実は受け止めたものの…
家にいるはずの妹たちまで、どこかの山に捨てられてたら探しようもないし。

それが怖かった~。

けど、家に帰ったら妹二人と母がいたんですよ。


何事もなかったかのように……。


私、母に怖くて聞けなくて、そのまま眠くて寝てしまったんです。
その後しばらくは普通に暮らしてました。

ちなみに!

この時、父は…

愛人さんの家にお泊り暮らしでしてねぇ~
今思えば母の奇怪な行動も、ほぼこのことが原因だったんだろうかと。
許せはしないが分かったら少し我慢できるってものです。

それからしばらくして、母が突然いなくなりました。
今度は、私と妹二人をアパートに残したまま帰ってこない。

一日たち、二日たち…
たしか三日目に電気が止まってしまいました。
お金、払ってなかったらしくて止まったんだけど、電気なんてなくても生活できる。

けど、泣いて暴れる妹にご飯を食べさせたくてもお米も炊けないし…
昼間は小学校と保育園に二人の妹を連れて行ってしまえば給食があったけど、
保育園の先生にご飯を持ってこないから不信がられて。

なんだかわかんないけど私はこの時、
お隣さんの奥さんに聞かれても、
学校や保育園の先生に聞かれても、
母がいなくなったと言ってはいけない気がしてたんです。

だから妹たちにも一応の口止めをして数日過ごしてました。

四日目の夕方に、お向かいに住む奥さんが現れて、
「お母さんはどこにいったの?」
そう聞かれ、買い物だと答えた。

数時間後にマドレーヌを持って来てくれました。
その時は、マドレーヌがあんなに美味しいものだとは知らなかったし、
実は初めて食べたものだったので感動しましたね。

けど、その後マドレーヌはいまだに食べてないんです私(笑)
完璧にトラウマスイッチになってましてねぇ~ははは…
美味しいのは分かるけど食べられないお菓子です。

さてさて、その母が行方不明になって五日目。
とうとう土曜日になってしまいましてね。
給食はないし、妹たちも限界が来てたみたく…
仕方ないので、私は自転車でウロ憶えであった祖母の家に行きました。

祖母に会った瞬間から覚えてないんですよ…
たぶん私、スゲー泣いてた。
祖母もタクシー使ってすぐに妹たちを連れに来てくれて、
その日は祖母の家で寝ました。

その次の日、母が祖母の家に私たちを迎えに来たんですよ。
やはり、何事もなかったような様子で。

だけどあの時、祖母と一緒に祖父もスゲー激怒してたのを憶えています。

ま、そんな思い出がある私にとって、子供たちだけで置き去りにされる恐怖や、
困惑した気持ちなんてのは痛く分かるところです。

あの時、私が妹たちより少し大きくて助かりました。
もし、私が山でのたれ死んだあと、妹たちがアパートに置き去りにされてたら…
数日もしないうちに病気になってたと思うし、
もしかしたら死んでたかもしれない。
そこまで思います。

さて、この話。

私の旦那は知ってまして…
付き合い始めた時についウッカリ言ってしまった私が悪いんですが(笑)

近頃、大阪で起こった幼児二人を置き去りにした母の裁判ニュースが流れると…

その話を思い出しての発言か?
冗談交じりな喋り方ではあるものの旦那がチビにこう言いました。



「ママと一緒やねー、下村容疑者って呼んでやれ」



それはおかしい!!!
私は、子供を置き去りにした母ではなく、
置き去りにされた経験がある母である!

(#`皿´)<怒怒怒!!!

意味の分かってない息子にそんな言いざまがあるであろうか。
しかも、私の一番弱い部分のネタを使って言う旦那に対して腹正しさがこみ上げる。
むしろ憎いぐらいだ。

さらに旦那はこうも続けた。

「ママのママみたいに、どうせ最後はどっか行っておらんようになるし、
あんな人、早くどっか行ってしまえばいいね~」

なぜ息子に言う。

なぜ冗談ぽくそんなことが言える?

辛い、これは最近一番のヒットセリフであろう…
我が家の旦那のモラは、付き合い始めた時はなかっただけに、
今になってネタに使われると本当に腹正しくて夜も寝れない。

何気なく言ってるんだろうが…

私には、どんだけ辛い言葉か分からんのだろうな。

(-公-、)シクシク