このブログを読んでくださるのは、同病のお仲間などがんに関心の高い人がほとんどなので既にお読みになっている人も多いと思いますが、久しぶりに記事を読んで共感するところがたくさんあったので共有します。
がんになって、そのことをオープンにしていくのは思っていた以上に難しいことでした。
最初に話したのは一番身近な家族、でも両親に告げるのは葛藤がありました。それから、職場の上司と同僚、人事に話しました。これは必要があったからで、「治療を優先していいよ、サポートするよ」って言ってもらえたのはありがたかったのですが、がんと告げたとたんに心優しい上司や同僚が涙目になっちゃって…やっぱりそういう風に受け止められるんだなって思いました。
親しい友達にも、最初はがんとは言えなくて、遊びの予定をキャンセルするのに「婦人科系の病気で手術することになったから」と伝えました。嘘ではないけど、オープンにはなれなかった。心配をかけたくないという気持ちもあったけど、今までと違う目で見られるんじゃないかという不安があったからです。手術のあと、抗がん剤治療をすることになってから、親しい友達数人にがんであることを話しました。友達は、きっとすごく心配してたけど、できるだけ普通に接するように努力してくれてたと思います。その気遣いがわかって嬉しかったです。
抗がん剤治療2クール目で職場復帰した時は、髪がほとんど抜けていたので、最初はケア帽子を被って仕事に行きました。9月でまだ残暑が厳しかったし、ウィッグだと頭が締めつけられて不快だったから。病気のことを知らない人もいて怪訝な顔をされたけど、単なるおしゃれよっていうフリを通して。でも、1週間ほど経つ頃に、周りの人に微妙に気を遣わせているんだなと感じるようになり、それからはウィッグを使うことにしました。蒸れてかゆくなったり、夕方には頭が痛くなったりしたけど、周りの人の接し方は自然になったような気がします。
記事で照会されている中島さんがいう「髪の毛がないことを隠し、偽っている感じ」は、私もちょっとありました。身内と過ごす時間や休みの日の外出はケア帽子だったので、その方が楽ちんだし、自分らしく素のままでいられるような気がしましたね。
でも、どこでも誰とでも、がんであることをオープンにして素でいられたわけではなくて、時間の経過とともに、少しづつ知ってもらう人が増えてきて、がんだけど仕事している私とか、がんだけど遊びを楽しむ私と一緒に過ごすうちに、「がんになっても、前と同じなんだ。」って受け入れてもらえるようになってきたんだと思います。
がん患者の考え方もいろいろだし、オープンにしたいと思ってもできない状況の人もいるでしょう。記者の宮脇さんが書かれているように「これが唯一のあるべき姿」ということではないと私も思います。
がんになると、いろんな面で制約は生じますが、その人の本質というか、その人らしさの核みたいなところは、決してがんによっても変わらないんだと、自分ががん患者になってみて、同じ病気の人ともたくさん会ってみて、強く感じます。だから、世の中全体が「がんになっても、あなたはあなたよ」って、お互いに自然に言えるようであったらいいなと今は思っています。
まとまりのない長い文章になってしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございます。