こんばんは

 

ブラタモリのレビュー、この頃は遅れるのが恒例になってしまいました。やはり毎回のように、知っているようで知らないことを発見することを共有して好奇心をくすぐられる番組でした。

 

何故今頃になって書くのか、やはり私がこのブログを書く最大の動機である、これを見落としては深く理解できない事象もあり、それが意外にも身近な事と繋がっていることを可能な範囲でより多くの人に知ってもらいたいとの想いからです。この大それたとも言える目標にこのブログで到達できるのか例の如く覚束ないのですが、書き始めないことには何も始まらないので、本題に入りたいと思います。

 

番組では以下の流れが紹介されました

・NHK放送センター近くに古墳があったことから、1500年前には付近に人が集まっていた。
・地下鉄銀座線でさえ高架で地上3階になるほど”谷”の様相を呈している。
・現在の宮益坂・道玄坂・公園通り沿いの坂や鍋島松濤公園の池等にみられる水の便のよい土地柄

・水の便がよいのは、関東ローム層の下に渋谷粘土があることで水の浸透が妨げられ、湧き水が出るからである。

・かつての寒冷気候下で海面が低かった時期の侵食によって、侵食が進む部分とそうでない部分の高低差がはっきりして渋谷の谷と大地が生まれた。

・街道があることで赤羽・板橋・目白・新宿・目黒・品川と並んで渋谷でも山手線内で早くから駅が設置された。

・戦後に車の大型化を受けて高架下では車道を掘り下げて歩道と段差ができた。

・土地が狭いので立体交差の重層化され、現在はバスターミナルの地下にタクシー乗り場が造られる計画が進んでいる。

 

以上をまとめますと、

 

かつての寒冷気候下での侵食によって台地が生まれ、それを構成する関東ローム層とその下に渋谷粘土があることで水が湧く場所ができて人が集まり、都市化や渋谷の交通の要衝としての機能強化等が進むことでの実態に合わせて改変が進められ、現在も続いている

 

ということになるでしょう。

 

尚、番組で放送されたことを少し補足しておきたいと思います。かつての寒冷気候下での侵食によって台地が生まれるメカニズムについて、番組でタモリ氏は谷頭侵食であると指摘しました。その時実は画面右下で字幕の注釈が出されたのですが、谷頭侵食は降雨の影響が大きいことが知られています。それは既に30年以上前から指摘されているようです。

 

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/14171/1/49_p229-239.pdf

 

私も雨の作用という印象があったので、ちょっと引っ掛かったのですが、番組ではタモリ氏の洞察力を見せることを優先してそのまま放映したと考えられます。注釈を出す位なら視聴者を混乱させないために省いてよかったのかなと思いますし、模型実験で海面が下がった時に海の近く侵食が強まることが視覚的に示された(かつての渋谷は現在よりも東京湾に近かったので海面変動の影響が強い)ので、敢えて字幕注釈を出してまで谷頭侵食の語を出す必要まであったのか疑問に思います。実は今調べて驚いたのですが、模型実験解説者の所属先である産業技術総合研究所HPでも、この番組で解説したということを谷頭侵食の語を出してまで記載していました。

 

谷頭侵食の語の使い方について、混乱を助長しそうで気掛かりですが、私の認識が誤りである可能性もあり、もし誤りであればご指摘の上、後学のために解説情報をご教示頂ければ幸いでございます。

 

また渋谷粘土関係に話が戻りますが、解説ボードにだけ記載されて放送で触れられなかったものを補足しておきましょう。問題の場面のキャプチャは以下ですが、

解説ボードの雨の絵の左側で、引き出し線がある単語として「東京軽石層」と書かれています。この引き出し線は、黄色の帯で赤字で「渋谷粘土層」と書かれたものの上にある、濃い茶色の帯に伸びていますが、それがどれに対応するかと申しますと、写真の真ん中左側の赤丸内で、シダの上に黄色っぽく見える部分が解りますでしょうか…?、それです!

 

「東京軽石層」についてはまたいつか別に取り上げたいと思いますが、現在より寒い6万年程前に箱根火山から噴出したものとして南関東では存在感のある火山灰であり、軽石の粒がはっきりと肉眼でも判る分、その上下の関東ローム層よりも水を通しやすいものです。因みに上の写真で工事足場から外れて立ち、指示棒を持っているのがこの場面で解説していた鈴木毅彦先生ですが、足元にある白っぽいものが渋谷粘土になります。最早一本の記事では書き切れそうにないのでこの先の詳しい話はここでは止めますが、放送で扱われなかったりカメラが回っていなかったところで、渋谷粘土の時代から「東京軽石層」降下まで寒冷化が進んでいったこと等が解説されていたであろうと想像されます。

 

尚、鈴木先生は、以前この場でも取り上げました、ブラタモリ木更津の回

 

で60万年前の関東の古地理図を示した論文

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1984a/73/1/73_1_1/_pdf

 

(上記リンクの図4がその古地理図です)の著者でもあります。そして、以前何度か取り上げました、日本列島内の広域で見つかる火山灰

 

 

 

の研究を精力的に行っていた町田洋先生の弟子でもあり、東京都立大学の系譜です。

 

なぜ渋谷粘土からこの話を持ち出したかと申しますと、正直私は渋谷粘土のことを今回取り上げたブラタモリを視るまで知らずにおりましたが、その渋谷粘土が他地域とどう繋がるかを考えた時に、意外に広くは知れ渡っていない事柄に行き着くのではないかと思ったからです。

 

…と、ここまで書いたところで、やはり最初に不安な想いを書きましたことが当たりまして、見落としては物事を深く理解ができなくなり、かつそれが意外にも身近な事と繋がっている事象のことをより多くの人に知ってもらうための記事としてはまとまりませんでした…。この続きは次の記事にします。