kawanobu日記/メキシコ周遊:「裏切り者」の代名詞となった女性マリンチェの数奇な生涯;ジャンル=文明史、紀行 画像1

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 アステカとコルテスらコンキスタドールの間には、情報量に大きな差があったと前日に述べた。
 アステカ帝国は、コンキスタドールをケツァールコアトル神の再来と思いこんだ。一方で、コルテスはアステカ帝国の内部情報をかなり詳しく把握していたらしい。

マヤの奴隷となっていた女性、コルテスと出会う
 それには、コルテスに寄り添った1人の女性の存在が大きかった。
 その女性は、「マリンチェ」という先住民の女性である。
 マリンチェは、メキシコ中央高原のある小国の首長の家に生まれた高貴な出である。だが父親が亡くなり、母親が再婚すると邪魔者扱いされて、沿岸部、マヤ都市国家の村に奴隷として売られたという。この境遇により、アステカ帝国も母語とするナワトル語だけでなく、移り住んだ土地のマヤ語にも通じた。
 コルテスは、根拠地にしていたキューバからメソアメリカに上陸した際、最初に上陸したタバスコ州のマヤの都市国家と戦い、これに勝利した。ウマに乗り、鉄砲で武装し、鋼鉄製の甲冑を着ているコンキスタドール軍には、赤子の手をひねるようなものだっただろう。
 その時、タバスコのマヤ首長から恭順の印としてコルテスに献上された女性奴隷の中に、マリンチェが居た。

ナワトル語とマヤ語、そしてスペイン語に熟達
 聡明だったマリンチェは、キリスト教の洗礼を受け、スペイン人の中で暮らすうち、スペイン語も習得した。
 マヤ語とナワトル語を解するマリンチェは、黄金を求めてメソアメリカ侵略を志すコルテスにはなくてはならない存在になった。10代後半で、コルテスの「女」になったとも言われる。
 コンキスタドールの進軍に、マリンチェは道案内兼通訳として重んじられ、常にコルテスのそばに寄り添った(図上=マリンチェとコルテス)。むろんアステカの内部情報も、彼女から聞かされていたことだろう。
 後にスペイン人に書かれた文書には、アステカの皇帝モクテスマ2世と会見するコルテスの傍らに仕えるマリンチェが描かれている(図中央)。

今は「裏切り者」の代名詞に
 マリンチェは、その後、コルテスの子を生んだと伝えられ、さらにコルテスの部下と結婚させられたという。没年は正確には分からないが、アステカの滅亡後、10年もたたないうちにまだ20歳代の若さで亡くなったと伝えられる。
 コンキスタドールの導き手であり、アステカ征服に大きな役割を果たしたマリンチェは、したがって現代メキシコでは一般的に「裏切り者」の代名詞に使われているという。このことは、ガイド氏も話していた。
 ただマリンチェは、コルテスにとっては便利な女性だったろうが、マリンチェがコンキスタドールによるアステカ帝国征服に不可欠であったわけではない。それにマリンチェの境遇を考えれば、「裏切り者」の代名詞にするのは酷というものではなかろうか。

誰がマリンチェを非難できるか?
 征服者に和議の印として贈られた奴隷であった彼女のような境遇であったなら、生きるためにはコルテスに自然と協力するに至ったであろう。現在と違って、反征服・反スペインという民族意識すら持たなかったに違いない。そもそもそんなものは、あるはずもなかったからだ。
 むしろ自分を奴隷身分から救ってくれ、重用してくれたコルテスに感謝したであろう。
 そうした彼女の名前が、「裏切り者」のニュアンスで使われているとは――。現代の基準で過去の歴史を批判する愚の、これは典型例の1つであろう。
 メキシコシティー歴史地区のテンプロ・マヨール跡入口をチラリと見ただけで、我々は次に向かう。すぐ隣に立つ征服者の象徴である壮大なメトロポリタン・カテドラルである(写真下)。

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