この本は私が現在の環境を変えるべきか否かで少し迷いを覚えたので、ちょっと読んでみようと思いチョイス。


内容は今の時代どのようにキャリアを築くべきか、同じ場所に居続ける事のリスク、リスクの種類はなど書かれていて自分のこの先の事を考える上でとても参考になった。


中でも、


人生の楽しみを「生産」だけでは埋められなくなる時に、プロセス自体を楽しめる「表現」を持っていられるかが大切だ。



早い段階で失敗し、損害を最小限で食い止めながら学ぶ。その学びを生かし、大きな成功を手にする



異端は認められたら先端になる



など他にも数多く印象に残った。プロセス自体を楽しめる「表現」って何だろうって考えるとやはり落ち着きとか安定とかあってなしえる事だとも思う。



表現は自分の存在価値を認めてもらえる事のできる場所があるからこそできる事だと思う。自分らしく表現を求めて生きて行くために、一つのプロセスのゴールを目指して登って行くだけで、生産しているだけでは人として味がなくなる。失敗などを繰り返して人として深みが出てくると感じる。さらに、必ずしもみんながみんな山に登るだけではなく、自己の鍛錬のようにインプット的なアクションだけではない。整理をするためにアウトプットする過程もあると思う。必ずしも働く場所にそのような事を求めず、働く事は賃金を得るための手段としてだけと捉えるという考え方だってある。もっと広く考えると社会的な枠組みだって長い歴史の中で国家が定めたもので人間の欲求を満たしていくシステムだ。




ややこしい事はさて置き、私は自分を表現して行く事は好きだし、表現の手段は何もアート的な発想に限られてない。ちょっとこのタイトルから飛び越えてしまうけれど、夜と霧というヴィクトールフランクが書いていた本には



刺激と反応の間には選択の自由がある、という原則である。選択の自由の中にこそ、人間だけが授かり、人間を人間たらしめる四つの能力(自覚、想像、良心、意思)がある。自覚は、自分自身を客観的に見つめる能力だ。想像は現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力である。良心は心の奥底で善悪を区別し、自分の行動を導く原則を意識し、自分の考えと行動がその原則と一致しているかどうかを判断する能力である。そして意志は他のさまざまな影響に縛られずに、自覚に基づいて行動する能力である。



とある。やはり表現は自分自身の行動を例え、決まりきった日常を過ごす中でもどのようなやり方で事を進めていくか、選択の自由が存在するし、思考する事で表現への一歩に近づける。その過程一つ一つを丁寧に大切にしていける人間になりたいし、そこに介在する人々の存在に気付けるようになりたいなと思った。



話はかなり脱線してしまったが、未だ環境を変えるかどうか、参考にはなったが、答えは出ていない^_^;