昨日、母の言葉が変わったと書いたけど、
書いた後・・・
自分が気づいていなかっただけかも。と思った。
そう言えば、ここ地元に学長が来られた時、
こけら落としに、両親と兄が来てくれた。
その時、母は泣いていた。
そのことを・・・私は特に気にも留めていなかったけど、
そういえば・・・泣いていた。
遠くからたくさんの人が集まってくれたことに感謝してた。
先祖のお導きで・・・とも言っていた。
私のことが心配だったけど、たくさんの人が集まってくれて嬉しくて、
泣いてくれていた。
学長に思い切り踏み込むと、
踏み込んだ分だけ、自分に戻ってくる。
同じ勢いで戻ってくる。
相手のため、相手のためとやっていると、自分にウソをつく。
自分のため、自分のためとやっていると、エゴになる。
だから、自分が光輝く灯台になれば、足元も遠くも同時に照らすことができる。
このことを学長はよく話される。
灯台そのものが光輝き、近い人からその光が届く。
私は、この話がピンと来てなかった。
「灯台そのものが光輝く」ということがどういうことなのか?
よく分からなかったのだ。
いつも元気に明るいことなのかと思ってた。
だから、気持ちが伴わない時は、形から入って、いつも元気に明るく振る舞う様にしてた。
だから、たまに疲れることがあった。
けど、少し分かった気がする。
自分の心が透明になればなるほど、
すでにある光に気づける様になるのだなぁ~と。
母が教えてくれた