コロナのせいで、うちに閉じこもっていたためか、元気が出ません。

ちょっと鬱ぎみ。

それでブログの更新もサボっています。

 

元気づけに、最近買って、積読になっていた本たちを眺めています。

 

↓この本に目が留まりました。。

白川静さん(1910~2006)をご存じですか。

日本が世界に誇る漢文学者、東洋学者です。

 

白川さんは(さん付けて呼んでもいいのかな)、文字に対する深い読み方、見方で私たちを驚かせてくれます。

 

直接お会いしたことはありませんが、私は白川さんに大変お世話になりました。

1989年から2007年まで、私はイェテボリ大学の日本語学科で講師をしていました。

科目は文字。当時は今と違って、外国人に日本語を教えるための教科書というものがほとんどありませんでした。

 

大学で教えるようになる前には、成人学校で夜、教えていましたが、生徒たちは大人が多く、主に日本文学に興味を持つような人たちで、のんびり、ゆっくりとお茶を飲みながら行っていました。

それが大学で教えるようになると、話すだけでなく、日本語を読む、書くなども入ってきて、単位を取るためには、試験に受からなくてはならないので、学生たちは本気で勉強しますから、教えるにあたって、別の面白さがありました。

 

で、私の担当のひとつがかなと漢字。週に一コマ、90分授業をします。

当時は外国人に日本語を教えるための教科書というものが、ほとんど存在していませんでした。それなら、自分で作るしかない。

教材を作るのに、始めのうちは下の写真、一番右側の「漢字の起源」という本を使っていました。

その後、藤堂明保さんの「漢字源」という字典を発見。ここで漢字の源となるものを学びました。そして、授業をするのに随分利用させていただきました。

 

↓教科書を作るために使ったアンチョコと自作のコンペんディア。

本のなかで、左の三冊、字統(漢字の成り立ち)、字通(漢字の意味)、字訓(日本語  の成り立ちと意味)は白川さんが一人で書いたんだそうです。それだけでもびっくり。

下のコンペンディウム「漢字200-l」は秋学期用、1から200までの漢字のためです。

次の春学期に201から400まで。つまり一年で400個覚えることになります。

学生たち、大変です。

 

 

「漢字200」というのの他に、その週の漢字を10回づつ書く練習用の用紙も作り、毎回提出させました。それを赤ペンで直す。あまりきれいに書いてこない子のは丁寧に直しました。

当時の日本語科は人気絶大で、毎年40人が入学してきたので、直すの、大変でした。

ある学年は倍の人数、80人が入ってきて、さすがに全部添削できないので、希望者だけにしました。そうしたら、てきめん。字が下手になった。

 

まあでも、ある時、日本で小中学校の先生をしている方に、「みんなきれいに書きますね。日本の学生よりうまいかも」なんて--まあ、お世辞でしょうけど、嬉しかった。

そうはいえ、いろんな学生もいて、ひとつひとつ定規で線引いたんじゃないかと思うような几帳面な字を書く子もいました。

これらの教科書や練習は、夏休み中かけて、作りました。まあご覧のように、コピペも随分しましたが。

 

ある年、母がスウェーデンまで遊びに来ました。もう大分年を取っていて、小さな旅行鞄一つで現れた。家に着いてカバンを開けると、中から上の写真で三番目の本、白川静さんの「字通」がゴロンと出てきました。他にはほとんど何も入っていない。「はい、お土産。これ面白いわよ」

 

以来、白川さんの虜になりました。本当に面白い。授業にまるのまま使える!それで授業は毎週習う20個の漢字の中から、解説が面白いのをいくつか取り上げて、白川節をスウェーデン語にして、授業の目玉にしました。学生にも評判がよく、漢字を覚えるときの助けになる、と言ってくれました。こういう訳で、白川さん、大変お世話になりました。

 

時々脱線して、例えば「屋」という漢字が出てきたときの関連で、尾、尿、などの漢字があることを黒板に書いて(意味の説明はほとんど必要なし)、「あ、こんなのは試験に出ないから、覚えなくていいよ」って言ったら、「もうおぼえちゃいましたー」なんてニヤニヤしてました。 

 

↓最初の1学期で学ぶ漢字200個。

 

↓中身。最後から2番目の章。

左のページは新しい漢字、書き順と読み方、右側のページは使用例と意味(スウェーデン語で)

なにしろ日本語の知識ゼロの学生が対象ですから、その週までに他の先生から習った文法や言葉しか使えないので、例文を作るのに苦労しました。

 

↓次のページ。読み練習。

日本語習い始めて4か月ぐらいです。

語彙も文法もまだそれほどできないから、例文作るの難しい。どうしても「これはペンです」的な内容になってしまう。


当時の若い学生たちは、夜のクラスに来ていた大人たちとは全く違って、多くの若者が日本語科に来た理由は「漫画を原語で読みたいから!」

オタクが多かった。面白い子たちでした。

 

高校までは学校はなるべくサボって、家でオタクやって、漫画を読んでた連中ですが、日本語で読めるようになりたいが故に入学してきたのですから、それはそれは熱心な子もいました。

「うわー、読めるじゃん、話せるじゃん」ということになると、ますます熱心に出席してきます。それで成績も上がって、「先生、僕、今までこんなに勉強したことありませんでした」とか、試験で生まれて初めて100点取って、びっくりしてたり。可愛かったな、オタク。

 

学生の中には、漢字オタクもいて、漢字に関しては、私の何倍もよく知っている。

もう、そういう学生は、漢字は卒業してるから、授業に出てこなくてもいいよ。試験だけ受けなさい。と言ってるのに、毎回授業に出て来て、一番前に座ってる。

ある時、何かの拍子でデコボコという漢字は面白いよ。こういう形してるの。と黒板に書いたら、授業の後でやって来て「先生、凸凹の書き順はこうです」とやられた。学生は全然悪気があるわけじゃないんですよ。陰口叩くんじゃなくて、あっけらかんと先生に忠告に来るところがいいでしょう。(みなさん、凸凹の書き順、知ってました?)。

 

しかし、日本語が少しできるようになっても、それだけでは就職できません。

で、学生には、何か他の科目で興味あるものをメインに学びなさい。そうすれば、日本語はプラスαで試験の時に光るかもしれないから、と言っていました。

まあ、中には日本語を専攻して研究科まで行った学生もいましたけど。

 

あ、白川静さんの話をするんだった!

「白川静さんに学ぶ"これが日本語"」、読み始めた途端に面喰いました。

「ひとつ」と「ふたつ」という数え方。

先ず日本語の「ひとつ」から「とお」までの語源的な意味の説明。

「みっつ」<->「むっつ」、「よっつ」<->「やっつ」などのように数の数え方で、こんなにも倍数関係を持つ日本人は偶数性の強い民族で、その偶数性から相対的・調和的な特徴を持っているようです。「八百万の神」「八岐大蛇」など、大切な数字、聖数にも偶数を多く持つ民族です。つまり自分を全体のなかの半分に属する、ととらえる傾向がある。

 

これに対して、中国は奇数性の強い民族です。「天地人三才」「陰陽五行」「七賢」など中国の聖なる数は奇数が多いのです。

白川静さんは、中国人の奇数好きについて、中心に自分を置くことができる数だからだと考えていました。奇数であれば例えば、例えば「三」ならば、左右のものを従えて、中心に自分をおくことができます。

 

また、日本人が言う「東洋」と中国人が考える「東洋」とは意味が違うのだそうです。

日本人が「東洋」という時、それは「西洋」に対置するものとして「東洋」が考えられています。つまり、全体を二つに分けて、自分はそのうちの半分の中の一人にすぎない。

これに対して、中国人が「東洋」という時は、日本を指して言う言葉です。ここに中国を中央に置いた「中華思想」の反映があります。云々

 

なるほど、こういうことを、中国と話し合う場合は考えて置く必要があるんでしょうね。

それでちょっと思ったんだけど、韓国はどうなんだろう。こんなに近くにいるのに、全く話が通じないのは、彼らもまた、奇数系の民族なのかしら。

欧州との交渉の方がやりやすいみたいですね。

しかし、欧州人も、奇数系民族じゃないのかなあ。

イエス誕生を讃えたのは3人の賢者だし、ラッキーセブンなんて言葉もあるし。

西洋人こそ、自分中心に考えるし…

 

いろいろ考えさせられて、面白い本です。まだ最初の方しか読んでないけど。