$平沼 「たちあがれ 日本」 を勝手に応援!!
http://www.hiranuma.org/new/index.html



 
$平沼 「たちあがれ 日本」 を勝手に応援!!
http://www.tachiagare.jp/

$平沼 「たちあがれ 日本」 を勝手に応援!!

$平沼 「たちあがれ 日本」 を勝手に応援!!
http://www.gemki-fujii.com/

$平沼 「立ち上がれ 日本」 を勝手に応援!!
http://blog.goo.ne.jp/mizumajyoukou/e/ce39f134075bce6e76958452a30f3b81

人気ブログランキングへ(ご希望がありましたので増設しました。宜しくお願いします。)



-オノコロ こころ定めて-さんより

『 ポスコロ 日本解体のイデオロギー 』
2010/7/26(月)

韓国・中国などからの、訳の分からない難癖の背景はなんだろうか。
どうして、次から次へとネタが出てくるのかと、
不思議ではないだろうか?

それには、源泉がある、「ポスコロ」という源泉である。
これは、共産主義が敗れ去った後、共産主義の「リサイクル」として発生した、新種のイデオロギーである。
新種なので、みんなに免疫がない。
それで、爆発的に流行している。

日本人など、対韓・対中で、贖罪感がある。
そこに入り込んでくる。

「ポスコロ」ザイードの発明だが、
韓国などに行くと、とっても単純な理論に昇華している。
要は

・俺たちは、ひどいこと(植民地化)された
・植民地の民には、復讐の権利がある
・徹底的に旧宗主国を痛めつけ、俺たちが宗主国になって、やつらを奴隷にしてやる
・その為なら、どんなウソも、どんな甘い顔も、どんなパクリも正当化できる

という便利な理論に化けている。

・半島の国が、わが国の文化をウリナラものというのも、ポスコロ
地方参政権だかを主張するのも、ポスコロ
・どうして、いつも「土下座シローー」なのかも、ポスコロ
韓流をはやらせて、日本のバカな女たちを食い物にするのも、ポスコロ
・戦艦に「毒島(竹島)」と名づけて、悦に入っているのも・・・・。

多文化共生とか、ダイバーシティとか、あやしいのの震源地
山のように本がでてるんだなぁ。(例:Amazon検索

敵の手の内のひとつは、この「ポスコロ」にある。
ただ、「まともな常識の持ち主」以外は、これ以上の学習はお勧めできない。
逆に洗脳されるのがオチだから。

どう対処すればいいか。

ナイーブに、いや植民地じゃないんだあれは・・・

とかいっても泥沼です。
対処法の要点は、

植民地化ですか? はい、もっと徹底してやるべきでした。
クレオール バイバイfont>

ということ。



独学ノートさんより転載>
------------------------------------------------------------

post-colonialism ポスコロ/ポストコロニアリズム・ポストコロニアニズム
「ポスト・コロニアリズム 」

・文字どおりには「植民地主義の後続形態」という意味。
・現在においては経済力や軍事力による露骨な植民地支配は影を潜めているが,文化という面での支配は依然として続いている。
 *ポストコロニアリズムは、この現状を重視し、文化による帝国主義的支配
  の戦略をあばきだして克服しようとする。

 *近代の帝国主義は,「国民国家」の理念を掲げてきたために,宗主国は植
  民地の異民族や異文化にも自分たちの言語や文化を押しつけ,それに同
  化させようとする文化支配の傾向を持っている。

エドワード・サイード『オリエンタリズム』(1978年)
 *最初にポスト・コロニアリズムの理論的支柱を提供した。

  →オリエンタリズム
・ポスト・コロニアリズムが提唱する抵抗の戦略は,「多文化主義」
 *ポスト・コロニアリズムは,社会や文化を単一な民族と共通の言語に基づく
  一元的なものとみなす従来の見方を批判して,多様性と重層性を強調す
  る。

 *社会や文化は「混血=雑種(ハイブリッド)化」によってこそダイナミックに
  変化していく。

 *その好例が「クレオール」現象である。

・「クレオール」
 *土着民が枯民地などの外来の移住民とコミュニケーションする必要から生
  まれる「急場しのぎの混成語」だが,これも時間がたつうちに,語彙が豊富
  になり,普通の「自然言語」と変わらなくなる。
 *この事実は,国民国家を支えるとされる言語のアイデンティティーが,長い
  時間の尺度でみれば相対的なものにすぎず,
複数の言語の相互作用
  から生じてくることを示している。

・社会の「混血=雑種性」を問題にしようとすれば,一つの社会における人種
 やエスニシティジェンダーの差別も問題にせざるをえない。ポスト・コロニ
 アリズムの形成に重要な貢献をしたイギリスのカルチュラル・スタディーズ
 は,アルチュセールグラムシの影響のもとにフェミニズムやサブカルチ
 ャー研究に関心を示すようになっていたが,これが多民族国家のアメリカ
 やオーストラリアに移入され,エスニシティジェンダーヘの関心が高まっ
 た。
・スピヴァクは,インドの「寡婦殉死」をめぐる西洋の男性とインドの男性の議
 論において,当の女性たちが沈黙を強いられていたことに注目し,女性や
 黒人といった植民地の最下層にいる言語を奪われてきた人びと(サバルタ
 ン
)の存在を強調した。
・「グローバリゼーション」によって,世界の文化が均質化し,従来の国民国
 家の理念が破綻している現在,多文化主義に基づく共同体の可能性を模
 索するポスト・コロニアリズムの試みは,重要な意味をもっている。




〘 つまる処は、西洋思想かぶれ 〙

 こう言っては何ですが、「東洋思想」からすると、何と下らない役にも立たないことを考えていることか、コミュニストの異常な馬鹿さ加減には嫌悪すら感じます。
 「従来の国民国家の理念が破綻」していると勝手に決め付けていますが、そんなものは、カルト左翼の輩がその様に妄動し、言いふらしているからでしかないのに、よくもまあ我田引水したものです。
 「自然」から発生した東洋思想に対して、西洋のそれは基本的に「反自然」ですが、コミュニストのそれは「精神病院の中で述べられる」ことが最もふさわしいと思います。

 さて、それはさておき、反日国家や在日の「小中華思想」はともかく、カルト左翼を別の面からみれば「西洋思想かぶれ」でしかないことが判ります。
 そういう意味では朝鮮左翼や支那左翼も、要は「西洋かぶれ」なのです。
 南朝鮮の意識調査では、米国に親近感を持っている朝鮮人が80%を超えると云う、かつての日本を見る様な有り様なのですが、それ以外の点でも、例えば元々のキリスト教が歪められた「朝鮮キリスト教」国家でもある様に、いまや南朝鮮は固有の歴史も、文化も、宗教も、全てを捏造した「紙風船国家」になってしまっています。

 南朝鮮でも、いわゆる朝鮮左翼の跋扈は著しく、先の転載でもお判りの様に、国家挙げての反日の裏舞台では、「朝鮮カルト左翼」が、歪めたコミュニズムを振りかざして扇動しているという実態がある訳です。

 朝鮮の特徴は、例えばキリスト教が、統一教会の如く、本来の教義からは大きく外れた淫祀邪教に変貌してしまっていることに見られるように、土俗の迷信や歪んだ自意識( 「恨」の文化です )が本来のものを異常な形態に変えてしまうことです。

 キリストが朝鮮人の血を引いているとか、孔子は朝鮮人だったとかいうことを公に主張したり、学校の歴史教科書に荒唐無稽な掲載をしたりという事実は、誰が見聞きしても「正常な精神の範疇を逸脱」してしまっています。

 これが宗教の場合では、朝鮮新宗教はキリスト教の外観を取りながら、何故かセックスがらみの邪教になるか、ムーダンなる「巫女」がらみのものになっている様なのですが、本人達は、本来のものを勝手に改変して自らが正しいとするその「異常性」に気付いていない訳です。

 そもそも、コミュニズム自体が反自然的なバーチャル妄想ですから、様々な「理論」なる妄想も究極は「荒唐無稽な非常識」に陥っていきます。

 「ポスト・コロニアリズム」も、要は自然である人種の住み分けや歴史・文化の相違の大切さを無視して、「世界国家」という一種の無政府主義、もしくは「コミュニズムによる世界独裁国家」「共産主義帝国」を無理やり肯定しようとしているに過ぎません。

 面白いのは「ポス・コロ」の提唱者を見ても、やはり「コミュニズム」が「西洋思想」であり続けていることで、コミュニスト・カルト左翼の輩は「本質的には西洋かぶれ」でしかないと云うことです。

 日本の明治政府関係者にも「日本人は劣っているから西洋人の血を入れねば駄目だ」と本気で考えていた者がいたと云うことですから、「西洋かぶれ」は実にはた迷惑な迷蒙であり、いわゆる「東洋思想」が不当に無視・弾圧されている現状は、「ポス・コロ」ではありませんが、「植民地主義による思想・文化侵略」とも言えるのかもしれません。

 その意味では、「変質して歪み極まったポス・コロ」を背景に、日本に対して「非常識な言動」を繰り返している南朝鮮や在日は、西洋の「植民地主義による思想・文化侵略」の手先を務めているとも言えるのではないかと思います。

 いずれにせよ、南北朝鮮と支那、そして在日の身勝手な論理は粉々にしてやる必要がありそうです。

 「復讐」という過去の事象を元にした行為の対象が、現在の国家・個々人であるということは、現在の時点においての国家・個々人がその過去の事象について一片の責任も有していないという事実を無視したものであり、「過去の別人たる先人の行為の責任」なるものが、何故「現在の個々人の負うべき責任」に変質しているのか、国際法にその定めが無いとすれば、言いたてる側はその合理性と妥当性の証明を為す必要があります。

 あまつさえ、それが「歪曲」と「捏造」に基づいているとなれば、通常の訴訟においても、原告がその訴訟の正統性を証明する証拠を出さねばいけないのですから、当然、南朝鮮は口先だけではなく、証拠提出の義務がある訳です。

 それについては以下の文章を見て頂ければ宜しいかと思いますが、朝鮮は開き直っています。
 であれば、こちらも突っぱねればそれで済むことなのです。

【コラム】1億人の塩野七生
(2010年08月14日 朝鮮日報)

 日本の歴史小説家、塩野七生氏の作品は、韓国でも多くの読者がいる。15巻から成る『ローマ人の物語』(新潮社)は、韓国だけで300万部以上が売れた。文庫版を除けば、日本よりも売れたと言われるほどだ。韓国では出版されていない『日本人へ リーダー篇』(2010年 文春新書)で、塩野氏は韓国、中国、日本の歴史問題の解決法について、一つの提案をした。韓国で人気の歴史小説家の話だけによく読んでみた。

 彼女は歴史問題を裁判に例えた。韓国と中国を原告、日本を被告と位置づけ、陪審員は他国が担当すべきだと提案した。そして、被告は有能な弁護士を期待することが難しいため、断罪を避けるためには、徹底して証拠を集めるべきだとの論理を展開した。なぜならば、原告側(韓国と中国)は、テーブルをたたき、声を張り上げる戦法をよく使うから、日本人は沈黙しがちで、沈黙を守り続けるためには、証拠を通じて自分たちの無罪を立証しなければならない、という趣旨だった。

 証拠収集のため、彼女は20世紀前半から50年間の日本のあらゆる公文書を集めて公開しようと提案した。公文書を公開し、英訳版も作成する。そして、それに対する判断は第三者に任せようというのだ。

 記録や文書には強い者の論理が記されているものだ。歴史の大半は勝者が書き記したものだ。日本が韓国などアジアを侵略した時期の公文書に、自分の身動きすらとれなかった被害者の立場が反映されているはずなどない。われわれが従軍慰安婦や強制徴用者の問題を取り上げれば、日本は「証拠に基づき話そう」という。やくざは高金利を取り立てる根拠に覚書を差し出す。その覚書にはこぶしを振り上げて、脅したことまでは記録されていない。公文書だけで当時の真実を完全に把握するのは無理であり、詐欺行為だ。

 塩野氏は結局、内心を隠すことはできなかった。彼女は「アジア歴史資料センター」というところで公文書を収集している点を挙げ、「そうしたセンターを通じ、『日本は歴史を直視しない』という非難に対応できる」と語った。彼女はセンターに対する政府の支援金を10倍に増やそうと提言し、「公文書をデータ化するのに20年かかるので、その間は自己批判や謝罪を保留することができる。予算を10倍に増やすのは安上がりだ」という結論を下した。

 塩野氏は2006年に『ローマ人の物語』を書き終えた際、「民族も宗教も趣向も異なる人々が互いに共存することができた時代の歴史を書きたかった」と語った。一貫してローマを研究してきた作者が、自分たちの歴史に関しては、「資料整理が終わるまで、謝罪は先延ばししよう」というレベルにとどまっている。

 一人の歴史作家の見解というだけならば、無視してしまえばよい。しかし、そうした歴史認識は日本では特別なものではない。筆者が日本で出会った気の良さそうな不動産屋のおじさんからファッションモデルに至るまで、歴史問題については、「証拠を示せ」と言っていたのを思い出す。よその国を強制的に占領し、「独立万歳」を叫んだ7500人を殺害し、強制徴兵、徴用で数多くの命を奪い、植民地の女性を慰安婦として虐待した国の人々が「証拠を示せ」と言い張るのは、「お前たちは愚かだからやられたのに、なぜ腹を立てるのか」と言っているに等しい。日本には塩野氏のような人が1億人いると考えたほうがよさそうだ。
鄭佑相(チョン・ウサン)・政治部外交チーム長


 
 何故、常識的に考えてこんな不条理なことが日本と南朝鮮の間で進行してしまうのか。
 能天気な日本人は、その不条理を、朝鮮人の側に立って進行せしめている「裏切り者の日本人」がいることを深く考えていないようですが、まず、これらの、既に「国民としての資格を喪失した日本人」
を何とかせねばなりません。
 その為には、一刻も早く、保守のナショナルセンター、「西洋かぶれの裏切り者」どもと闘っていく各方面の保守を支援していく保守の核が出来ることが必要なのではないか、と思います。
 「一人一党」は保守の常ではありますが、「一人一党」はそのままに、それを様々に支援していく組織の設立について大同することは、必ずしも出来ないことでは無いと思うのです。
 
 心ある常識的な保守草莽の方々には、朝鮮・支那がその背後に秘めている「歪んだ欲望の理論」をよくご検討いただき、併せて、保守が今後如何にして日本を護っていくべきか、考えて頂きたいと思う次第です。