Duran Duran/ Notorious (1986) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 「人は33歳になると新しい音楽を受けつけなくなる」といった説がネットでちょっとした話題となったことがありました。33歳という年齢が多くの人の”身に覚え”を喚起したからでしょう。
 我が事を振り返ると、たしかに33歳になった2001年頃から、ロックの新しいアーティストをフォローする熱がガクンと落ちた気がします。この傾向が始まったのは、33歳のときだったのかもしれません。
 
 でも、もっともっと若い頃に、同い年の友人から「最近、音楽聴いてない」の申告を受けたことがありました。なんと、それは18歳の時。
 彼は高校の同級生で、卒業後すぐに就職して営業で頑張っていました。金融系の仕事だったので、かなりハードな毎日を送っていたのでしょう。
 いっぽう、私はその年に大学生になったばかりの甘チャンも甘チャン。のうのうと、ダラダラと、ヘラヘラと日々を過ごしていました。私がバイトしていた駅前のレコード屋にフラリと立ち寄った彼を見たときも、18歳にしてすでに擦り切れたようなその表情に、すぐにはかける言葉が思い浮かびませんでした。
 
 他愛のない会話のなかに、「毎日、残業や~」「接待ばっかりでイヤんなるわ~」とこぼす愚痴が、いちいちこちらには棘になってチクチクと当たってきます。私も同じ18歳で、彼のシンドさに同情したり慰労したりできる根っこを何も持っていませんでしたから、帰って寝ろ、くらいしか思えない。
 話をそらそうと、手近にあったレコードを引っ張り出して「おい、デュラン・デュランのアルバムが出たぞ」と見せたら、これがまたよけいなツボを刺激してしまいました。
 
 「デュラン・デュランって3人になったんやなぁ」と、彼は短いため息をつきます。彼は高校時代にジョン・テイラーの髪型をマネるほどの男版”デュラニーズ”(デュラン・デュランのファン)だったのです。「音楽なんて全っ然聴かんくなった…」と呟く彼に、私は押しつけるようにしてそのLPを買わせて店から送り出しました。
 
 そのレコード『ノトーリアス』の感想を聞いたのは、電話越しだったか、それとも再度店で会ったのか、おぼえていませんが、「なんか、イマイチやった」とガッカリした声は耳に残っています。
 私がそのアルバムを聴いたのは、購入して間もないCDプレイヤーで再生するソフトを探して訪れたレンタル・レコード屋で、まだ猫の額ほどしかなかったCDコーナーにそれがたまたまあったからでした。
 
 当時の私の感想。「あいつの言ってることも、わかる気がする」。
 80年代の”第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン”期に活躍したグループの中では、私にとってデュラン・デュランはカルチャー・クラブやワム!よりも格が落ちる存在で、熱心に追いかけてはいませんでした。それでも彼らの曲にはヒット曲のパワーを感じていました。そして、そうしたヒット曲と比べると、『ノトーリアス』にはパワー・ダウンした印象を持ってしまいました。
 
 前年(1985年)のデュラン・デュランは、映画『007 美しき獲物たち』の主題歌A View To A Killがヒットし、『ライヴ・エイド』にも出演するなど、トップ・バンドの地位をキープしていましたが、5人のメンバーはザ・パワー・ステーションとアーケイディアの二派に分かれ、前者がファンキー&ハード路線、後者が欧州浪漫なエレポップと、それぞれに活動していました。
 やがてドラムのロジャー・テイラーと、ギターのアンディ・テイラーが脱退。解散説も流れるなか、3人となったデュラン・デュランがリリースしたアルバムが『ノトーリアス』でした。
 
 ロジャーの脱退は音楽業界に疲れての”引退”でしたが(その後、バンドに復帰)、アンディがもっとストレートなロック・サウンドを志向しての”独立”であったことは、パワ・ステやソロ・アルバム(87年)での演奏を聞けばわかります。彼のリズミックなギター・プレイはデュラン・デュランのダンサブルな楽曲を駆動させるものだったけれど、そこにはフラストレーションも募っていたのでしょう。
 ロジャーはアーケイディアに参加していたしアンディはパワ・ステの一員でした。つまり、この脱退劇は、パワ・ステ対アーケイディアのどちらかの一派がバンドから追い出されたのではなかったのです。
 
 しかし、『ノトーリアス』を聴いて私が感じたのは、「アーケイディア組のサイモン・ル・ボン(ヴォーカル)とニック・ローズ(キーボード)が、パワ・ステ組のジョン・テイラー(ベース)に気をつかっているな」というものでした。
 ジョン・テイラーはデュラン・デュランでもトップの人気を誇るメンバーでした。このバンドに興味がなくとも彼のルックスは無視できない女の子が多かったくらいで、その整った顔立ちは単独でも雑誌のピンナップを飾っていました。デュラン・デュランの再始動にあたってジョン・テイラーの存在は不可欠なので、サイモンとニックは彼を引き留めたのではないか。私はアルバムを聴いてそんなふうに思いたくなりました。
 
 『ノトーリアス』はそれまでのデュラン・デュランのアルバム以上にファンク的な語法が目立つ作品です。ファンタジックなエレポップ路線はWinter Marches Onのみ。
 アメリカではチャートの2位まで上昇したらしいタイトル曲のNotoriousは、BPMが110くらいで、Dmから小指をチョイチョイと6thと7thに動かして弾けるシンプルなギターのカッティングがリフを成し、ホーンズと女声コーラスがサビを彩ります。スラップ・ベースがアクセントを刻み、ドラムがニュアンスを持たせて横幅のあるグルーヴで支える。
 と、30年ぶりにクレジットを調べて気づいたのですが、このアルバムのドラマーはスティーヴ・フェローンだったのですね。やたらウマいなと感心したものの、当時はスティーヴ・フェローンなんて人はもちろん、彼が名をあげたアヴェレイジ・ホワイト・バンドの存在も知りませんでした。
 そうだったのか。だからこのアルバムはリズムだけはガッシリと頑丈にできているんだ。
 
 ギターはここから15年間デュラン・デュランを支えることになる、元ミッシング・パーソンズのウォーレン・ククルロ。ただし、『ノトーリアス』にはアンディ・テイラーが録音に参加したトラックがあるようで、さらにプロデューサーのナイル・ロジャースらしきカッティングも聞こえます。
 
 ともかく、このタイトル曲以外にも、American Science、Skin Trade、Hold Me、Vertigo、So Misled、Meet El Presidenteなど、渋みのかかった重めのファンク・サウンドが土台となっています。そして、そういう曲ではジョン・テイラーのベースがあたかもカメラ目線を送るかのように張り切っています。
 Skin Tradeはプリンスみたいな曲調にサイモンが殿下なりきりの歌を披露するし(86年ですからね…)、So Misledではメンバーがレコーディング中に喜んだろうなと想像できるドラムのシンコペーション技が見事です。
 しかし、そうなってくると、ヴォーカルが心許ない。
 サイモン・ル・ボンは日本のヴィジュアル系シンガーに与えた影響も大きく、私もひっくり返ったりしゃくりあげたりする彼の歌い方にはデュラン・デュランの曲の重要なパートとしての親しみをおぼえます。
 サイモンのヴォーカルはバンドの煌びやかなカラーを背負っているように見えて、じつは朴訥なまでに実直な熱さが特徴です。その彼のピークは、デュラン・デュランの大成功とともにエイティーズのスポット・ライトを浴びて、The Reflexの踊り急ぐかのようにグラマラスな賑わいを体現したあたりにありました。
 人気の点ではジョン・テイラーやニック・ローズに座を奪われがちだったのも、ヴォーカリストとして良くも悪くもバンドの枠内に収まっていたからでしょう(ザ・フーにおけるロジャー・ダルトリーの立ち位置と重ねたくなるところもあります)。
 
 デュラン・デュランが『ノトーリアス』で”分裂”以前のチャラチャラしたサウンドを避けたのは、86年というニューロマンティック退潮の時期を考えると正解ではありましたが、サイモンはこのアルバムのリズムのフロントに立つようなタイプのシンガーではなく、いくつかの曲では華を欠いています。
 タイトル曲で♪ラ~レ~ファ~ファファファ~♪と身も蓋もなくDmそのまんまなメロディーを歌っても、実直さが硬さになってグルーヴに乗りきらず、たとえばブライアン・フェリーのようなゾワゾワさせるアクが薄いので、曲自体からぬめりや粘りが褪せてしまうのです。
 アルバム中、彼の歌が違和感なくハマっているのがバラードの佳曲A Matter Of Feelingであることからも、『ノトーリアス』の音楽的な展開がサイモン・ル・ボンに合っていたとは思えません。
 曲はどれも可もなく不可もなしといった塩梅ですが、The ReflexからA View To A Killに発展したエイティーズ的なサンプリングを抑えてあり、これ見よがしな転調をひかえたソング・ライティングには好感が持てます。できるだけギミックを排して3人体制のデュラン・デュランを打ち出していて、キーボードのアレンジなどもウワモノでヒラヒラ踊らせず、リズムの柱に沿わせています。
 
 いっぽうで、そうした作りがデュラン・デュランの魅力を保持しているかとなると、難しいところです。
 私は必ずしも彼らのサウンドの信奉者ではなかったけれど、それでも前述したようなヒット曲やアルバムを聴いていたのは、そのヒラヒラしてチャラチャラした音に時代の息づかいやポップスの色気を感じていたからでした。
 『ライヴ・エイド』が終了して80年代が後半に入るや、ニューロマンティック界隈の音が急速に同時代性をなくしていったのは確かです。けれど、あのゴージャスなイケメン・グループだったデュラン・デュランがチャラチャラすることに迷いを見せているのは寂しかった。ここから93年にOrdinary Worldのヒットを放つまで、デュラン・デュランは雌伏の時期を過ごすことになります。
 
 私の友人にしてみれば、18歳にして仕事に忙殺される毎日で、高校時代に夢中だったデュラン・デュランまでもが3人に減って出したアルバムが『ノトーリアス』では、自分の青春が詰んだような心境になったのでしょう。
 もっとも、私は彼の愚痴を聞き流しながら、「毎日残業や」も「音楽聴いてへん」も、なんならデュラン・デュランが3人になったことすらも自分が責められているようで、決して愉快な心地はしなかったのですが。
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(2011年のアルバムAll You Need Is Nowは、原点に戻ったかのようにふっ切れた快作。
熱心なファン以外にもおすすめできます。『リオ』『アリーナ』などにおぼえる同時代的な親近感を除外すると、これが彼らのアルバムでいちばん良いと思います。)
 
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