先日、何日間かヒマでゴロゴロしながら「人生って何なんだろう?」とか考えていました・・・( ̄▽ ̄;)

 

 漫画とかでは、スポーツも格闘技も超一流で頭脳的にも天才的な夜神月君的な存在がいたりするワケなんですが、現実にはいないじゃないですか、それどころか、「世界一の頭脳!!」とか言ってみても例えばホーキング博士とかアインシュタインとかが社会政策とか経済政策とか福祉政策とかに精通してるかっていうと多分そういうこともないし、スティーブ・ジョブズなんかも伝説的な経営者として崇められてはいるけどかなり人格的に欠陥を抱えていたということも言われている。

 

 あと、僕はダンスをやっていて、色んなジャンルのダンスを観ながら「アレもやりたい!!コレもやりたい!!」って思うんですけど、やっぱりそこにも限界とかキャパシティーがあって、本業でやってはいないのでなおさらに才能や練習時間の制約を考えると限界が規定されてしまう。

 

 学問なんかは、さらに細分化されていて、苫米地英人氏なんかが言うには最先端の研究分野の論文は発表された直後にその意味を理解出来る人間は1人か2人くらいだったりするらしい。

 

 それから、私が最近やってる経済の構造批判的なものは、まあ読む人が読めば分かると思うんですが、ある意味で藤井聡さんや三橋貴明さんがやっているマクロな分析に対するアンチテーゼだったりするんですね。大雑把なマクロ分析だけではどうしても取りこぼしてしまうような要因をあえて拾い上げて、良く言えば補足、悪く言えば揚げ足取りみたいなことをやっているワケです。

 

 西部邁さんなんかは、大衆社会批判の文脈で、特定分野の限られた知識や技能しか持たない専門人を批判しているのですが、このような大衆批判、専門人批判というのもよくよく考えれば何に対しての批判なのか分からないところがあって、そもそもそのような専門人が大量発生した要因として社会や知識が複雑化し多様化していったことが原因なのであって、専門人や大衆人が生まれてくるのはその結果です。

 

 西部邁さんは、ジェネラリストの重要性を説くのですが、現実に複雑化や多様化が進展していってしまった世界において、あらゆる知識に万能に対応するような万能人というのは器用貧乏で薀蓄は垂れ流して、聞く人に「ふーん」とか「へー!!」とか感心させはするけど、イマイチ何も残らないようなペラペラ人間になりかねない。

 

 藤井聡さんの例なんかで言うなら、藤井聡さんは土木工学の専門家として国土強靭化計画を発表してその成果なども認められるカタチで内閣参与にまでなったんですが、仮に、藤井聡さんが土木という専門分野を持つ代わりに、より幅広い分野の多様な知識を持ったジェネラリストだったとしたら、結局、何の人なんだか分からないような人になってしまうワケじゃないですか。

 

 結局、人間が70億人もいる現在の世界でそれなりに抜きん出た存在になろうとするなら、ある程度専門分野を絞って特定の能力に特化する必要がある。しかし、専門分野への特化は当然ながら多様な能力や認識力を犠牲にして得られるものだから、どうしても専門人化してしまう。

 

 つまり、あらゆる分野で万能かつ非常に高度な能力を持つってのは難しいんですね。

 

 それから人生には老いも寿命もある・・・ソウルメイトさんがこんなコメントを書いてくれたんですが・・・

 

 中野剛志さんはシュペングラーによる西洋文明の没落についての予言を『日本の没落』という著作の中で解説しておられますが、西洋文明の没落と「日本の没落」がなぜ結びつくかというと、日本の近代化、工業化というものが西洋文明を深く、広く取り入れる形でなされたものであるからに他ならない、からなんですね。

 で、たしかにある特定の人間の集団には栄枯盛衰があるし、特定の人間の集団か生み出した文化にも栄枯盛衰はある、だろうと思います。

 これは、たとえば、卑近な例でいえば、企業の創業と発展、成長、成熟、衰退にも言えることでしょうし、個人についても、めざましい勢いで業績をあげて注目を浴びつつ名声をものにする時期、大家と称せられるようになって、特定の分野で重鎮とか、権威と見なされるようになる時期、そして、過去の名声ほどには画期的な業績を生み出せなくなった時期のように個人においても集団においてもほぼ、普遍的に生じうることなんじゃないかと思います。

 なぜそういうパターンをたどるのかについては、いろんな複合的な要因があっめ、一意にこれだ!と決め付けるわけには行かないと思いますが、成熟期を過ぎて衰退期にさしかかる者はほぼ例外なく、生命力の衰退、枯渇が観察されるんじゃないかと思うんですが、高木さんはいかが思われますか?

 

ソウルメイト2018-07-05 09:33:08

 

 老いと能力の劣化という問題で言えば、かの天才物理学者アインシュタインも晩年には、量子力学の理論を理解できず、最新の物理学の研究成果から取り残された哀れな老人と見られていたそうです・・・あの天才がですよ?(;''∀'')

 

 まあ、もっとも物理学の場合、数式や実験でどちらが正しいかが証明されるから良いですが、文系や社会科学の分野になるともっと悲惨かもしれなくて、すでに完全に老いぼれて最新の議論から取り残されたような人間が、過去の栄光とそれに付随する権威によって「私が正しい!!」と強引に言い張ってしまうかもしれない。

 

 幸運にも(?)アインシュタインは人格者だったこともあり、自分自身の過去の栄光を権威として振りかざして、下の世代の新しい科学者を抑圧するような残念な人間ではなかったワケですが、もし仮にアインシュタインが「俺は天才だ!!俺の考えに従わない他の科学者はクソ喰らえだ!!あいつらは間違ってる!!」なんて言い出して、さらには周りの人間や、下の世代の連中が忖度して、「そうそう、まさにその通りでございます!!」なんてやってたら世界の科学の発展は数十年単位で遅れていた可能性があるワケです(-_-;)

 

 なんというか、インターネットって完全に烏合の衆じゃないですか、インターネット上でアレコレ情報発信したり、うだうだと思索を綴ったりしても、それがほとんど社会に何の影響も及ぼさない。個人でやってればなおさらです。しかし、それでも私が延々ネットで活動し続けてるのには一つ理由があって、やはり自由にやれることなんですね。

 

 もちろん、「言論を通して世の中を変えたい!!」と思っている方にとっては、インターネットでうだうだと活動して社会になんの影響も及ぼさないまま時間と労力を浪費するのは無駄でしかないワケなんですが、一方で私の場合はもうほとんど日本の将来にも、言論が及ぼす影響にも一切希望を抱いていないワケでそうなると・・・

 

だったら、誰にも気を遣わずに自由にやった方がええやろ(σ‐ ̄)ホジホジ

 

となるワケです( ‥)ノ°

 

 以前、西部邁さんが「生まれて、生きて、死ぬだけだ」なんてことを言っていたそうなんですが、まあ、そうなんですね。ただ、これをあんまり厭世的になることを推奨するワケでもなくて、生きるんだったらしっかり生きろっていうか、まあ『明日のジョー』的にいうなら、世の中のほとんどの人間は真っ白な灰になる前の段階で適当になっちゃってると思うんですね。「まあ、こんなもんやろ・・・」と。

 

 なんですが、そこはもうちょっと松岡修造的というか、「いや、もっと熱く頑張れよ!!」と・・・なんていうか、「所詮、人間生まれて生きて死ぬだけさ」っていう厭世観と、やるべきことを全力でやるっていうパッション的なモノが同時存在するようでないといけないと思うんですね。

 

 あんまり死人に石を投げるのもどうかと思うんですけど、西部さんってやっぱり結構中途半端な人だったじゃないですか、なんかこう超然とした態度になろうとしても妙な小人臭さとか人間臭さを残してたり、「周りに迷惑かけずに綺麗さっぱり死んでみせる!!」とか言いながら、実際には周りに迷惑かけまくってgdgdな最後になったり、と。

 

 もちろん直接の因果関係はないんですけど、それでもなんとなく抽象的な次元においては、中途半端な生き方を反映するカタチで、中途半端でgdgdな最後を迎えたんじゃないか?なんてことを思ってしまうんですね。だって、ほら西部さん場合は病気や老衰なんかの自然死とは違いますから・・・。

 

 結局、「何が言いたいの?」と言われれば特に、何ということもないのですが、なんとなく最近考えたことをうだうだと書いてみました(;''∀'')

 

 

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