非少女犯行声明 | ここにタイトルを記入してください
大森靖子が監督を勤めたらしい『非少女犯行声明』という短編映画を鑑賞した。
非少女とは、処女という概念を理解する頃には既に非処女であった自身のことを指し
反抗声明とは、全ての女子を肯定する、に始まる一連の宣言を指す。

現在の世の中において、過激な行動と呼ばれるものはやり尽くされ凡庸化している。
お笑い芸人やロックミュージシャンがどんなに破天荒な行動をしても
それは単なる悪ふざけや、コピーされた過激さ、から抜け出すことができない。
そもそも過激さは必要あるべきか?という問いへとたどり着くだろう。

今読んでいる村上龍のエッセイには
「ポルシェを乗っている経営者に経営不振を理由に解雇を言い渡されたらどう思うか」
という問いを若者に行ったことが書かれていた。
「自分の給料で何を買おうが自由」
「例えばポルシェを売ったところでどうこうできる問題ではない」
という答えに対し、怒りは生まれないかと村上龍は質問すると
大半は「しょうがない」と答えたそうだ。

そういえば最近、怒っている人を見ることがあまりない。
テリー伊藤も怒っていないし、ビートたけしは呆れているし、立川談志はしんだ。
お笑い芸人は怒らないし、アイドルは怒らないし、ミュージシャンも怒らない。
昨今の閉鎖的な日本の中で、なぜ、と言われても
本当に今日本は閉鎖的なのか?とか、まず自らの行動を改善するべきではないのか?
という理性的な感情によって怒りは抑えられる。
私たちは感情をコントロールすることができる理性的な人間となった。
というべきなのだろうか、反抗する気力がないだけなのか、わからない。

大森靖子は映画の中で常に怒っている。
敵が増えてしまうようなことを平気で言っている。
この人は一体何と戦っているのだろう、と疑問に思う。
今現在、こんなに公の場で怒っている人はいないってぐらい怒っている。

日本の全てはわからないが、
私の見える範囲で、唯一今の現状に対して、怒っている表現者である。
それは日本の経済とか、昨今の文化などではなく
ただ、とにかく今の現状に対してイライラしているのだ。
作中で、自らがアンダーグラウンドカルチャーに位置していること
またそれに満足していると誤解されることに対してはっきりと拒否反応を示す。

アンダーグラウンドである限り、全ての女子を肯定することも
アンダーグラウンドの思想であり続ける。
それを行うには、メインカルチャーになるしか方法はない。