ユーキャンキープイット | ここにタイトルを記入してください
あとがき数珠つなぎ


綿谷りさの「蹴りたい背中」に収録されている短編「ユーキャンキープイット」は高橋源一郎に「日本近代文学の息の根を止めさせた」作品、とあとがきで評されていたけどその短編のどこが凄いのか、日本近代文学がなんなのか、私には全くわからない、そう思っている人は以外と多いらしく、中には綿谷りさとやりたい魂胆が丸見えだ、というアホ丸出しの感想の人もいるが、日本近代文学がなんなのか、ユーキャンキープイットのなにがすごいのかはすべて高橋源一郎が説明をしてしまっていて、というのも近代文学を噛み砕いて言うと文章の中に「私」を見出すことであり、ユーキャンイープイットにはそのワタシ感が全くないのだという、けれどもワタシが読んでいてそんなこと考えなかった理由は日本近代文学とその展観について普段から考えていなかったからにほかならなく、それを理解しながら読書をするのも楽しそうだと思うし、そういう視点から見ると高橋源一郎がデビューした当時からやっていることは、物語を物語で語ることの放棄、物語を筋書きなしで破綻なく描くことで、それらは近代的、というか今の本当のあたりまえの物語のセオリー、例えば「すべての物事には原因と結果がある」とかをひっくりかえそうとしているんではないかと思うが、これは俗に「ポストモダン」というらしいが、そんなジャンル一般ぴいぷるのワタシにはわかるはずもなくでもなんかポストモダンってかっこいいと思うけど、そういった色物というか飛び道具なしで日本近代文学の懐まで攻め込んだ綿谷りさはすごいし、こんなに小説みるのをおもしろくしてくれた高橋源一郎もイイ。

ところで綿谷りさは村上龍の「限りなく透明に近いブルー」文庫新装版を書いているのだが、その時のある一文を思い出したくてもなかなか思い出せず、グーグルで検索を繰りす日々が続いたが【"もう一度" "限りなく透明に近いブルー" "tumblr"】で検索してようやくその一文を検索することができました。

再び元の世界に戻るためには、もう一度世界の美しさを信じるしか方法がない。