ちょっといい話の回覧板 | 浪花のコーチング税理士☆食べ歩き編

ちょっといい話の回覧板

 【ありがとうのシャワー】

メルマガ「人の心に灯をともす」より

小林正観さんの心に響く言葉より…


2001年9月、大阪での私の講演会で、こういう方がおられました。  

末期の大腸ガンで、医者からは「余命3ヵ月。もう手の打ちようがないので、自宅で療養してください」と言われているという方です。

その方は講演会の主催者の友人でしたが、 私の講演テープを聞いてくださり、体の悪い人を皆で囲んで “ありがとうのシャワー” を浴びせかけると、病気が治ったり改善されることがあるという話を知り、自分もそれに賭けてみたいということでした。


多くの人が集まって、その人に本当に元気になってもらいたいと思いながら「ありがと う」の言葉を投げかけると、例えば100人の人が1分間(約100回) 「ありがとう」を 言い続けると、1万回の「ありがとう」をその人に浴びせることができます。 

自分で1万回言うのは大変ですが、100人で言えば1分間で1万回の「ありがとう」を浴びせることができ、その数を加算することができるわけです。

「ありがとう」の数というのは、自分が声帯を震わせて言った数はもちろんですが、自分に向かって言われた「ありがとう」の数もすべて加算されるようなのです。


この情報はとても素敵なものでした。 

自分に言われた「ありがとう」の数も加算されるということになれば、「喜ばれる存在」として生きていくことに、支援や応援があるということにほかなりません。

やる気を持続させてくださる有り難い仕組みです。 


その9月の講演会のときに、主催者の方は「正観さん、この方のためにそういうことをやっていただけるでしょうか」と言いました。 

私が「皆さん、やりませんか」と聞くと、参加者の皆さんは「やりましょう」と言って笑顔になりました。 

そして、その方に向かって1分間、全員が笑顔で「ありがとう」を言いながら拍手をしました。


その方は皆さんに手を合わせて「ありがとうございます」とお礼を言い続けたのですが、その間に自然に涙があふれてきたのかもしれません。

涙をぽろぽろ流しておられました。

それを見た参加者120人のうち、半数くらいの方がもらい泣きをしてしまいました。

とても温かくて優しい空間でした。


多くの人が、顔は笑っているのに目からは涙が落ちているという不思議な表情をしていました。 

その状態が1分間続き、まるで室温が2~3度上がったかのように非常に暑くなりました。 

私は背中から汗が流れ落ちるという体験をしました。

わずか1分間「ありがとう」を言いながら手をたたいただけで、ものすごく体を使ったというわけではありません。

しかし、皆が笑顔で「ありがとう」を言いながら拍手をするということは、何か不思議な熱を生じさせるようです。 


室温が上がったと同時に、体温も2~3度上がったような気がしました。

つまり、それだけで人間の体に変化が生じるということなのです。 


それから3ヵ月後の2月。 

大阪でまた講演会がありました。 

私の話が終わり、皆が席を立とうとしたときに、主催者の方が言いました。 


「皆さん、忘れていました。 ちょっとご報告がありますので、もう一度座ってください」 


その話とはこういうものでした。

「皆さん、3ヵ月前に、大腸ガンで余命3ヵ月と言われた人がいたのを覚えていますか」 「覚えています」と多くの人が答えました。

半数以上の人が9月の講演会にも参加していたのです。 

「実は、あの方からのメッセージがあります」 と言われました。 

「あのときは本当にありがとうございました。 

嬉しくて嬉しくて、涙が止まりませんでした。

本当に皆さん、ありがとうございました。

皆さんに頂いた  “ありがとうのシャワー” は一生涯忘れることはありません。

いくらお礼を言っても言い足りないくらいです。 

本当にどうもありがとうございました」


余命3ヵ月と言われた方が、今日は来ていないのです。 

その方にある冷徹なる事実がやってきたのだろう、と誰もが思いました。 

主催者の方は言葉を続けました。


「あの “ありがとうのシャワー” を浴びた数日後、自分の体に変調を来していると思ったあの方は、病院に行き、精密検査を受けたのだそうです。

そうしたら、ガン細胞が全部消えていた。

職場に復帰し、今日は残業をしているので来られない。

皆さまにくれぐれもよろしく伝えてくれ、ということでした」 


その言葉を聞いて、会場の空気がゆるんだだけではなく、「ワァー」というやわらかな歓声とため息に包まれました。

「よかった」というニュアンスが明らかに会場を支配しました。

そして拍手が起こりました。


この話は事実なので、なぜそうなるのかということについて論じる意味はないと思います。

そこに集まっていた120人が、温かい心と、本当にこの人に良くなってもらいたいという気持ちで、笑顔で “ありがとうのシャワー” を浴びせた結果、その人の心や体に大きな変革が起きたということに違いありません。

そして、奇跡と思えるようなことが起きたのでしょう。 


今までに何回かそのようなことが起き、その結果何人かの人が奇跡的な治り方をしました。

その場にいる人たちが本当に心からこの人を何とかしてあげようと思い、そこに笑顔と、温かい「ありがとう」の拍手が重なると、どうもすごい効果が現れるようです。

全部が全部必ずそうなるとは断言できませんし、そのメカニズムも私にもよくわかりませんが、とりあえずそういう現象が起きるということだけはお伝えしておきたいと思います。

『ただしい人からたのしい人へ』廣済堂出版




小林正観さんは「なぜ《ありがとう》と言われると嬉しいのか」について本書の中でこう述べている。


『一人では生活できない以上、人は「人間」として生きていくほかはありません。 

人の間に生きているから「人間」。

この「人間」として生きるということは、取りも直さず、自分のために生きることではなく、ほかに存在するもののために生きるということです。 

それは、人間社会の中で自分が「いかに喜ばれる存在になるか」ということにほかなり ません。

「私」がどこまでいくか、どのような人間になるか、ではなく、いかに喜ばれる存在になるか、ということに尽きます。

「いかに喜ばれる存在になるか」というのは少し哲学的な表現ですが、これを平明な言い 方に直せば「いかに頼まれやすい人になるか」になります。 

つまり、人の間に生きている「人間」としては、自分がいかに目標に向かって歩み、それを達成するか、ではなく、いかに喜ばれる存在になるかということになるのです。

頼まれやすい人であるというのは、喜ばれる存在であるということにほかなりません。

頼まれたことをやってあげたとき、その相手はニッコリ笑って「ありがとう」と言ってくれるに違いありません。

そのときにこそ、人間の本当の「存在の喜び」が湧いてきます。 

「喜ばれること=人間の最も根源的な幸せ」。

そういう幸せを感じるように私たちの心に はプログラムがセットされているようです。 

ニッコリ笑って「ありがとう」と言われたとき、私たちは本当にこの上ない幸せを感じるようにできています。 

実際にやってみてください。

ニッコリと美しい笑顔で「ありがとう」とお礼を言われたときに、「ああ、生きていてよかった。私はこれをさせていただいてよかった。 実は一番幸せで楽しいのは、私ではないか」と思えるに違いありません。』


「頼まれやすい人」になるということは、実は、「誘われやすい人」になるということでもある。

食事会に誘われる、旅行に誘われる、講演会やコンサートに誘われる…

人は、一緒にいて楽しい人しか誘わないものだ。

「頼まれやすい人」も、この人なら(笑顔で)引き受けてくれる、と思うから頼むのだ。


人は、この世に「喜んでもらう」ために生まれてきた。

だから、誰かが喜んでくれ、「ありがとう」と言ってくれたときが一番うれしい。

自分の存在を認められたからだ。

あなたが、この世にいてくれてよかった、と全面肯定されたということ。


大勢の人に囲まれ、口々に「ありがとう、ありがとう」と言われたらどんな人でも魂が震える。

「ありがとうのシャワー」は、だからこそ、奇跡が起こるのかもしれない。


多くの人に「ありがとう」と言われる存在で。

 


■朝早く送られてくる、友人のにしやんからのちょっといい話を回覧板にしてしまいました。次の人に回覧してあげてくださいね。

 

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