ちょっといい話の回覧板 | 浪花のコーチング税理士☆食べ歩き編

ちょっといい話の回覧板

【立ち直ろうとしないのはあんたのせいや】

致知出版社「偉人メルマガ」より


本日は、いじめ、非行、暴力団組長の妻から、
一転して弁護士に……
激動の人生を経験された
大平光代さんのお話をご紹介します。
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いま思えば中学校に行かんでもよかったし、
いろいろな選択肢があったなと思います。
でも、当時は
「いじめられたら学校に行かなくていい」
という時代ではありませんでした。

この状況が一生続くように思っていたし、
場合によっては殺されるかもしれない。
だったら自分で死のうと決めたんですよね。
子供でしたからね、
お腹なかを刺せば死ねると思ったんです。
ところが全然意識はなくならない。

痛い、苦しい……。
ああ、自分は死ぬこともできへんのかと、
いまにして思うと大変罰当たりなことを考えました。
一命を取り留めた後、結局私は学校に戻りました。

「先生がちゃんとしてくれると約束してくれたし、
学校に行けへんかったら恥ずかしいから、
お願いだ」

と母に懇願され、
親にまで見放されたくないという思いが強かったので、
母がそこまで言うならと、登校したんです。
そうしたら、「死にぞこない」と。
結局、何も変わっていませんでした。
しばらくは頑張ったのですが、
いよいよ耐え切れなくなって、
「こういうことをする子たちが『人間』というなら、
私は人間やめたろ」と思いました。

そうして暴走族に入り、
やがて暴力団の組長の妻になりました。
小娘が遊んでいると思われないよう、
二度とこの世界から出ないことを示すために、
入れ墨も入れたのです。

しかし、結局暴力団の世界にも
自分の居場所はありませんでした。
離婚して、北新地のクラブで働くようになって、
毎日ヘネシーのボトルを一本空けていました。
「いつ死んでもいい」と、浴びるように飲んでいました。

そんな時に後に養父となる
大平のおっちゃんとの再会がありました。
ちょうどバブルの絶頂期で毎日お店は接待で満席。
そこにやってきたのです。

大平のおっちゃんは実父の友人で、
小さい頃よく遊んでもらっていたので、
一目見て互いのことが分かりました。
「いつでも電話しなさい」と名刺を渡され、
時々喫茶店で会うようになったんです。

その度に
「こんなこと、してていいんか」
と諭されたのですが、ある日私が、

「おっちゃん、
口先だけで説教するのはやめて。
そんなに立ち直れって言うなら、
私を中学時代に戻して」

と居直ったんですね。
すると、おっちゃんは
周囲も驚くような大きな声で、

「確かに、あんたが道を踏み外したのは、
あんたのせいだけやないと思う。
親も周囲も悪かったかもしれない。
でも、いつまでも立ち直ろうとしないのは
あんたのせいやで。甘えるな!」

と。

この時、落雷に遭ったような衝撃が走ったんです。
初めて私のことを真剣に叱ってくれている。
一人の人間として接してくれている。
これが立ち直る最後のチャンスだと感じました。  

 


■朝早く送られてくる、友人のにしやんからのちょっといい話を回覧板にしてしまいました。次の人に回覧してあげてくださいね。

 

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