アメリカが隠しておきたい日本の歴史❶ マックス・フォン・シュラー著(平成28年発行) | ウインのワクワク「LIFE」

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気にかかった文章】

 

第2章 日本陸海軍は本当に残酷だったのでしょうか

銃の使用に際してはまず「止まれ!」と2回叫び、さらに「止まれ!さもなくば撃つぞ!」と叫びます。それでも止まらなければ、撃って良いことになっています。そしてそれは射殺することを意味します。

皆は恐怖心でいっぱいで、すぐにその言葉を叫びました。返事がなかったので、私(著者)たち4人は実弾が装填された銃を、木箱に向けて撃ちました。

先ほどの猫のように、何かがいて、それが何かはっきり確認できない場合でも、兵士は撃ちます。戦場で、はっきり確認できるまでまっていたら、自分が死ぬことになります。

 

アメリカ人は、日本の街には小さな工場がたくさんあったので、空襲する必要があったと言います。アメリカ海軍が日本の貨物船を約8割沈めていたので、日本の工場には製品を製造するのに必要な原料がなく、工場はほとんど生産できない状態だった、という事実には触れません。

 

アメリカが行った日本の都市への空襲は、日本人大虐殺に他なりません。それはアメリカ政府が、入念に計画、準備して行ったものでした。アメリカは西部の砂漠に、大部分が木と紙でできた日本家屋を再現したセットを造り、そこに焼夷弾を投下して、その効果を検証しました。

 

そして、アメリカは同様の行為(国際法で定められたマークを付けた日本の病院船の撃沈)を繰り返しています。中東で、アメリカは多数の無人機を使って攻撃~。

 

無人機で攻撃された人々のうち、実際にゲリラ兵だった者はわずか2%に過ぎなかった、ということです。

 

アメリカでは、軍隊を応援することは信仰のように自然なことです。とはいえ、実際に軍に入隊するアメリカ人は非常に少ないです。しかし、自分の国の軍隊を尊敬するのは当然のことです。

 

 

第3章 大東亜共栄圏

アメリカ人は特に大東亜共栄圏を非難しています。彼らにとって、それは恐ろしい存在でした。白人キリスト教国家によるアジアの経済的、軍事的支配を断ち切る、新たな政治的、経済的共同体だからです。

 

第4章 日韓関係はなぜ修復できないのでしょうか?

1853年に、アメリカのペリー提督が日本に来た時、アメリカ人の識字率は40%、日本人の識字率は80%でした。

 

1894年、清国は李氏朝鮮の王からの要請により陸軍の部隊を朝鮮に派遣しました、日本と清との間で戦争になりましたが(日清戦争)、結果は日本の圧勝でした。

 

西洋人と話をしていると、何度も耳にすることがあります。彼らは、日本は自分の島に留まっておくべきで、日清戦争は日本の侵略政策の始まりだと言います。アメリカ人は特にそういいます。

 

日本人が生存のためにしたことがどうして悪なのでしょうか?

 

密かにロシアの海軍基地を造っていました。その海軍基地の計画の一つは馬山で、現在の釜山市の近く、対馬の目と鼻の先でした。日本はそんなことは許容できず、日露戦争が起こりました。