私の趣味の1つが「城巡り」

 

しかし、

元来出不精な上に、

山登りなんて大嫌いなので、

元城跡の山に行くのは勿論、

観光地で整備された城にさえ行きません。

 

私の城巡りは、

城の専門書のイラスト鳥観図と

現代の地図、地形図を照らし合わせて

脳内変換で戦国期の城を楽しむ

引き籠りスタイルです(笑)

100を超える城を知っていても、

私が実際行った城なんて、

江戸城、青葉城、松本城、名古屋城

くらいです(苦笑)

 

これらは江戸時代に整備された

平和な時代に築城された城であるため、

綺麗ではあるものの、

戦国の息吹は感じられません。

 

日本各地にある有名な城郭は、

大抵江戸期に整備されたものですので、

戦国期の城を楽しもうと思うと、

山に登ったりして

廃城跡を見る事になりますので、

誰かが調査し、

誰かがイラスト化してくれた

鳥観図が一番なんですよね(笑)

 

 

そして現在、

城に関する様々な調査が進み、

「歴史」が変わってきています。

 

「歴史」とは

「誰かの評価」の事を指しますので、

実際の歴史的事象の

事実は変わらないのですが、

新たな調査による発見などがあると、

「歴史」が書き換えられるんですよね。

 

誰かによる発見を待っている、

埋もれている歴史が、

まだまだ世界中にはあると思います。

 

 

例えば、

歴史調査が

され尽くした感もありそうな

1600年の関ヶ原の合戦ですが、

最近の航空測量調査によって

単なる山だと思われていた

関ヶ原近くの山に

大規模な城跡が発見されました。

 

今までは関ケ原の戦いの

イラストにも映像にも登場しなかった

「背景の山」が、

実は大規模城郭だったことが発見され、

関ケ原で

徳川軍が勝った事実は変わりませんが、

新たな城が発見されました。

 

1570年、

織田信長が越前朝倉氏を攻めるも、

浅井長政の裏切りにあった

「金ヶ崎の退き口」と呼ばれる撤退戦。

 

織田軍が直前に落とした金ヶ崎城で

何故朝倉・浅井軍を

迎撃しなかったのか。

 

それがやはり最近の航空測量で、

「金ヶ崎城」とは呼ぶものの、

防御施設としての城の機能は

当時はほぼ皆無なことが

明らかとなりました。

 

お市の方が兄信長に

「小豆袋」を送ったエピソードで

有名な戦いですが、

こちらも近年の調査で少しずつ

歴史が書き換えられています。

 

 

城はまだまだ発見が続く分野ですし、

日本各地に何千という城跡が

有名無名含めて隠れています。

 

私が攻城した

片手最後の5つ目の城は、

東京都世田谷区豪徳寺にある世田谷城。

 

住宅街の真ん中に城跡があるんです。

 

現在では公園になっていますが、

しっかりと堀の跡も残る城跡です。

 

三方を烏山川が守る

舌状台地の先端という、

江戸城や小田原城、

大阪城などとも同様の

城を作る定石中の定石の

地形を生かした城です。

(現在の烏山川)

 

ただ、規模が違い過ぎて、

サイズ感は近所の公園サイズですが。

それでも、

城の上から城下を見下ろせば、

防御のための

高地であることが分かりますし、

空堀跡もしっかりと残っています。

この空堀に入った敵兵を、

あの上から撃つんでしょうね。

これくらいのサイズと

世田谷という交通の便があると、

無名でマニアな城跡も

攻めれるんですけどね(笑)

 

皆さんの家の近くにも

マイナーなかつての城跡

実はあったりすると思います

 

 

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