真田幸村と言えば

イケメン俳優が演じることが多く、

格好良い猛将のイメージがあります。

子孫としては嬉しい限り♪


そのため、

生まれ育った長野、

関ヶ原後の蟄居先和歌山、

戦死した大阪、

それぞれで町興しの題材になったりします。


また、子供の多くは

仙台藩に引き取られたため、

宮城にも縁があります。


そんな幸村のイメージと言えば、

「真田の赤備え」と

「六文銭」の旗印でしょうか。


長野県のゆるキャラに

幸村を使ったキャラがいるそうで、

見ると赤い甲冑に六文銭。


まぁイメージ通りですね(笑)


しかし、歴史的にみるとこれは間違い。


幸村が赤備えで戦ったのは

1614~15年の大阪の陣です。


かつての主家武田家の

猛将飯富虎昌の赤備えに

あやかったものです。


なお、ひこにゃんが被る赤い兜は

徳川家臣井伊家の赤備えに因みますが、

この井伊の赤備えも

飯富の赤備えにあやかったものです。


そして幸村ですが、

既に江戸幕藩体制となっていた

大阪の陣の時には、

真田本家は兄信之の

約十万石の上田藩であり、

「真田家全体が徳川家に弓を引いている」

との印象となるのを避けるために、

幸村は大阪の陣で

六文銭は使っていないんです。


大阪の陣を描いた屏風図などでも

幸村の六文銭は確認されません。


仙台藩に引き取られた

幸村の次男の家系は、

もう一つの真田家の家紋、

結び雁金を用いますので

恐らく幸村も

そうではなかったかと思われます。


つまり、幸村をキャラ化させる時、

赤を用いれば大阪の陣を表し、

六文銭を用いれば関ヶ原以前を表すので、

この二つが合わさることは無いんですよね~。



なお、もう一つの縁の地宮城には、

むすび丸という黒甲冑に月型飾りの兜の

二つのお目目が可愛いキャラがいますが、

伊達の黒備えで月型兜なら

伊達政宗だと思うのですが、

政宗のイメージは眼帯だろうに・・・(苦笑)