4/8 tunecore Japan より発売!『慈悲の瞑想 』Ver 白鳥  

アルボムッレ・スマナサーラ長老(日本テーラワーダ仏教協会)提唱・

うた 曼荼羅真理 ・作曲&制作 クンジュビハアリ

 

Tunecore Japanの先行予約ページは、下記リンクより、ご覧ください。

https://linkco.re/MMQv3DZm

 

 

 

 

 

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まずはじめに、この音源制作を許可してくださった、スマナサーラ長老様、並びに、日本テーラワーダ仏教協会様に、感謝いたします。誠に、ありがとうございました。

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『慈悲の瞑想』 

 

日本テーラワーダ仏教協会 ・アルボムッレ スマナサーラ長老 ・提唱

 

「慈悲の瞑想」は、日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老が提唱された日本語オリジナル版です。

 

「慈悲の瞑想」についての詳しい説明、並びに提唱者のアルボムッレ・スマナサーラ長老のプロフィールなどにつきましては、是非、日本テーラワーダ仏教協会のホームページをご覧ください。

 

日本テーラワーダ仏教協会のホームページ

https://j-theravada.com/

 

 

 

 

 

慈悲の瞑想

https://j-theravada.com/world/metta/

 

 

 

 

アルボムッレ・スマナサーラ長老のプロフィール

https://j-theravada.com/dhamma/sumanasara-thero/

 

 

 

 

 

スマナサーラ長老の説法は、

日本テーラワーダ仏教協会 公式チャンネルでお聞きください。

https://www.youtube.com/@j_theravada

 

 

 

 

 

 

 

歌、ジャケット曼荼羅アート制作:曼荼羅真理

作曲、制作:クンジュビハアリ(kunjubihari.com)

 

この曲のキーG=783Hzは、シューマン共振7.83Hzを百倍にしたものです。この曲は、インド古典音楽ベースに制作しました。使用リズムは、シタールカニ、テーンタールドルットです。最後にインド古典舞踊カタックのトゥクラが収録されています。

 

今後、別のラーガによる『慈悲の瞑想』楽曲を制作する予定ですので、他の楽曲と区別するために、バージョン名(Ver.)を付けています。

 

Ver.白鳥の意味は、楽曲に使用したラーガ(インド音階)が、Hans Dhwaniですので、ハンサを意味する日本語です。

 

以下は,

発売中の曼荼羅真理のお経の歌シリーズです。

 

 

お経の歌 vol, 1 上座部仏教 礼拝 三帰依 五戒文

https://linkco.re/7aNZ8M6R

 

 

 

 

 

 

お経の歌 vol, 2 上座部仏教 礼拝 三帰依 五戒文 (6拍子バージョン)

https://linkco.re/gsuSBYZg

 

 
 
 
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以下は、「慈悲の瞑想」制作にあたっての私達の個人的な想いですので、
一見解として、参考程度にご覧ください。
 
 
私達は、ものを見ると、「あ、これは花だ、 これはコップだ。」と言う風に、目に見えたものと、名前や言葉などの、連想される概念(意味あい)を繋げて、理解(認識)します。
 
つぎに、そこに主観が、入って来て、「私は、この花が好きだ」とか、「この花は、キレイだ」と判断します。
 
判断は、主観が行っていて、「好きか、嫌いか」と言う主観的な感情で行われます。そして、全ての判断は、基本的に自分に、「心地よい」いう利益があるか、「不快である」という不利益があるか、によってなされます。
 
つまり、我々の判断は、「私」を軸にしての「損得勘定」で行われます。これは、心のなかで常に、一瞬にして、「気が付かない」うちに行われます。これは、生命の生存本能のを基にしているものであり、すべての生命にとって、ごく自然で当たり前のことです。
 
しかし、これは、自己の利益を中心に行われる為に、常に利己的であるのです。すべての生命は、常に自己中心的に物事を見ているのです。仏教では、この自己中心的なものの見方を、無知であり、無明である。と言います。
 
人間も動物も、生きていく為に、常に、この無知、無明とよばれる自己中心的な判断をして生きています。この判断は基本的に、生命の1個体の生存の確保のみを目的としているため、それが、人間社会のように複雑な関係性のなかでの行為の基準となると、当然、問題が生まれてきます。
 
競争が生まれ、勝って、幸福なものと、負けて不幸なものが現れてきます。しかし、どんな生命も、老いや病気によって、その力が維持できなくなると負けてしまいます。そして、不幸を味わうのです。
現代の人間社会は、非常に複雑で、幸不幸が入り乱れて、モザイクのようです。
 
これら相対的な、幸不幸は、すべて生命の、生存本能のから生じる、自己中心的な判断から、生まれてくるものです。
 
「仏陀」は、非利己主義である「慈悲」を教えることで、この生命の基本的に思考である「利己主義=無知」を乗り越える方法を示しました。
 
出家した僧侶に向けて説かれた原始仏教経典「スッタニパータ」には、「慈経」と呼ばれる章があります。これは、仏陀の教えの根本思想であり、「慈悲の道」は、「人類の歩むべき唯一の道」です。
 
仏教の「慈悲の心」を出家の僧侶だけではなく、在家の我々でも、育てていくことができるように、日本テーラワーダ仏教協会の、アルボムッレ スマナサーラ長老が、「慈悲の瞑想」とう言う形で、教えられています。
 
我々、一般人でも、解りやすく覚えやすい言葉で、纏められていますので、心のなかで、繰り返して念じることで、自分の心が、「慈悲」で動き出していくようになります。
 
続けていくと、悩み苦しみが減り、心が落ち着き、ストレスから来る体調不良も減っていきます。そして、自分の態度も自然に、「周りの人が、安心する、優しい」ものへと変わっていきます。
 
意地を張って、俺が偉い、私が一番と言った態度が作り出す、自分の周りの社会現象と、
周りの人が、安心する、優しい心が、生み出す社会現象は、自ずと異なったものとなるでしょう。
 
今回は、
日本テーラワーダ仏教協会 の アルボムッレ スマナサーラ長老 が、提唱された「慈悲の瞑想」を、曼荼羅真理 が、インド音楽に乗せて歌いました。楽曲制作は、クンジュビハアリ です。
 
気に入った方は、是非、繰り返しお聞きになり、「慈悲の瞑想」を暗記して下さい。そして「自己中心的な心のあり方」から、「慈悲の心」にシフトしましょう!
 
生きとし生けるものが、幸せでありますように。