ふしぎなお米
むかし、鳥取の大山寺に明願という若い坊様がいた。ある日、この若い坊様は、生きているふしぎなお地蔵様の話を聴いた。
「そんなお方がおられるのだったら、なんとしても会いたい。会って教えてもらいたいものだ。」
そう思った坊様は、寺の前に立っている、古い石のお地蔵様に
「お地蔵さま、お地蔵さま、どうか、生地蔵さまに会わせて下さい」
と、毎日毎日お願いした。 けれどもいつまでたっても、願いはかなわなかった。
そんなある夜、お坊さまは、
「明願、明願、それほどまでに生きている地蔵に会いたければ、下野の国の岩舟に行け」
という声に、はっと目をさました。
今の声は、お地蔵さまの夢のお告げに違いない。そう思った坊様は、夜が明けるのを待って早速、下野の国岩船へと旅立った。
大山寺のある伯耆の国から下野の国までは、遠い道のりだった。ひと月あまりかかってようやく岩舟にたどりついた時には、坊様の衣はぼろぼろでこじき坊主のようだった。
坊様は、村人を見かける度に、
「もし、生きておられるお地蔵さまは、どちらかな。どこに、おいでかな」
と聞いてみたが、だれひとり知る人はなっかった。
日も暮れて、坊様は仕方なく、その日は、村の小さな寺に泊めてもらった。坊様が旅の疲れで寝ていると、村人が次々に和尚のところへやってきて
「あしたの田植えを手伝ってください」
と頼んでいくが、和尚はずいぶんと年をとっているのに
「よしよし、いってやるぞ」
と二つ返事で答えていた。
次の日、村の様子を見てまわった坊様はおどろいた。あちらの田んぼにも、こちらの田んぼにも和尚さまがおられて、せっせ、せっせと手伝っているではないか。
「おお、あのおかたこそ、生きているお地蔵さまじゃ。夢のお告げのとおり、やはり岩舟にいらしたのか」
と、よろこんだ。
その晩、坊様は、和尚が帰ってくると、これまでのことを話して、弟子にしてくれるようにたのんだ。和尚は、
「明願や、わしは生地蔵などではない。歩くことも、動くこともできない木や石の地蔵でも、地蔵にかわりはない。地蔵の教えに変わりはない。地蔵のおしえはひとつなのじゃ。さあ、おまえは、大山寺に帰って、これまでどおり仏の勉強に励め。そして仏の教えに励むのじゃ」
そういって、そばにあった米の袋をてわたすと、むっとした顔で隣の部屋へひっこんでしまった。
あくる朝、坊様は追い立てられるように寺を出た。 その晩とまった宿でひとさわぎがおこった。持ってきた米の袋からひとにぎりの米を出してたいてもらうと、なんとその米がお釜いっぱいにふえてしまったのだ。宿のものたちは「ありがたいお坊様じゃ」
と拝みだすしまつだった。坊様は、泊まる先々の宿で同じようなさわぎを巻き起こしつつ、ようやく大山寺に帰った。
そして、すぐに門前の石のお地蔵さまのところへ行ってみた。
「ああ、やはりそうであったか」
坊様は叫んだ。そのお地蔵さまこそ、岩船のあの不思議な和尚様そっくりではないか。
坊様はうなづきながら、今までの迷いが消えていくおもいがした。
さて、最後に、坊様が持ってきた不思議な米のことを話さねばならぬ。持ち帰ったさいごの米をおかゆにして炊くと、その米は、増えて増えて、大がまにして七釜ものおかゆになった。寺のものやお参りにきた人みんなで腹いっぱい食べたが、どうしてもたべきれないほど残った。
そこで、このふしぎなおかゆを捨ててしまうのはもったいないと寺の庭に穴を掘って埋めた。すると、そこから一本の木が育ち、秋になるとたくさんの赤い実をつけた。 寺の坊さんたちは、その木を、七つの釜のおかゆから生れた木ということで「ななかまど」呼ぶようになったということだ。
岩舟にはこの話が「岩船地蔵」として伝わっている。もっとシンプルな話だ。ナナカマドの紅葉する時期にその由来話として語りたくて、あえて、鳥取で採取された方の話を秋に語っている。