毎日のように刀の説明を書いていますが、最近ふと気になったことがあります。
それは、戦前非常に高い地位、戦後人間国宝などに成られた方などと同格におられた刀匠さんが、意外と戦後は、日本美術刀剣保存協会の新作展などでほとんど賞を取れずに、無冠の刀匠として終わられている方が多いことです。
銘鑑などを見ても、古い刀には詳しく書いていても、現代の刀匠の事となると、本名や師匠の名前位しか載っていないことが多いです。
戦前から作刀されていた方の場合、戦前の資料は意外に多くて、その当時ランクなどにはいくつもの資料が出てきます。
しかしその人の戦後の評価。といっても、日本美術刀剣保存協会の評価がほぼ絶対になっている現在、日本美術刀剣保存協会に評価されないと、全く評価のない刀匠と同じようになってしまいますが。
戦前あれほど活躍されたのに、戦後ほとんど評価がされていない刀匠さんが結構多いことに気づきました。
もちろん、人間国宝になられたような方は、大変努力をされたと思うのですが、他の方々も早々に作刀を再開された方たちは、意欲に燃えて、再スタートを切って始められたと思うのです。
しかし戦後は入賞は全くなく、入選しかしない人もよく見るのです。
そんな意欲的な刀匠さん達が、いきなりそんなに腕が落ちるとは私には思えないのです。
入賞しなければ、無監査もなれませんし、無監査にならないと人間国宝にもなれません。
何かそこに、人の意思が入っているような気がします。
私は戦前から活躍していた刀匠さんの腕が相対的にしても、そんなに急に落ちると思えません。
何か不思議で、この世界の難しさを感じる気がします。
戦前に、皇族の佩刀や、陸軍大将の佩刀を二流の刀鍛冶が依頼されたとは思えません。
これで刀身がもっと綺麗だったら、自身を持ってもっと高い値を付けられるのですが、小錆の様な、鍛え傷の様な不思議な傷が有ったので、ほんの僅かな利益で販売する事にしました。
研げば名刀に返信するかもです。
でも、実用には全く差支え無いお刀です。
【大阪に住した刀匠の貴重な一振】「源信重」72.0cm 、鑑賞に・居合・試斬刀として!!!