個人サイト管理人の「目」:

 ネットは匿名性が高いため、ほかのメディアに比べて情報の信ぴょう性が低くなりがちだ。特にTwitterは、即時で情報を共有できる特性ゆえ、真偽を確かめる間もなく情報を拡散されてしまう傾向がある。そのため、いわゆる“デマ”情報が広まりやすい。最近でいえば、東日本大震災の際に、たくさんのデマが出回り、多くの人の混乱を招いていた。



【画像:「絵文録ことのは」のサイト、ほか】



 これまでは、炎上対策やネットで人気を得る方法など、情報発信者側の視点でネットを解説してきたが、今回は受信者側に視点を移し、“デマ”との付き合い方に着目する。引き続き、ネット黎明期から約10年以上個人サイトを運営する“ネットのベテラン”、「虚構新聞」(2004年~)のUK氏、「絵文録ことのは」(2003年~)の松永英明氏、「まなめはうす」(1996年~)のまなめ氏、「ー`)<淡々と更新し続けるぞ雑記。ωもみゅもみゅ」(2000年~)のさらしる氏の知見に学んでいこう。



●楽しいのが“ネタ”、楽しくないのが“デマ”



 “デマ”を定義するのは難しい。冗談で発せられた“ネタ”との境が曖昧なのもその理由の1つ。



 例えば「虚構新聞」が掲載した「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」の記事。本当の情報と誤認してSNSで拡散する人が多く、結果的にネットで混乱を招いたデマとして扱われた。



 デマかネタかは、時間の経過や状況によって変わってしまうのだ。



 そんなデマを個人サイト運営者はどう定義しているのだろうか。また、デマとネタの境界線をどこに引いているのだろうか。ネットに遍在する、真偽不明な不確定情報へのスタンスを聞いてみた。



松永 デマとネタを区別する基準は、人を傷つける意図があるかどうかですね。例えば、Wikipediaのパロディサイト「アンサイクロペディア」はデマではなく、良質なネタサイトだと思います。なぜなら、ただひたすらにふざけているだけで、誰かを傷つけるような情報が載っていないからです。



 デマと、単なるニュース記事の誤報とを区別するのは簡単です。デマの難しい点は、しばしば善意で伝えられるので、情報の真偽を問いづらいところにあります。例えば「ある有名人が実は裏でひどいことをしていた」とか、特定の人の評判を下げるような悪意のあるデマ情報を、「この情報はみんなに知られるべき」という正義感で、情報源をきちんと調べる前に勢いで伝えてしまうことってありますよね。そしてその情報は、同じような正義感を持つ人によってどんどん拡散されてしまう。押し付けの正義感は、デマさえも安易に振りかざしてしまう。それってすごく怖いことだと思います。



さらしる 単純に、楽しいものがネタで、楽しくないものがデマだと思います。私自身、あるアニメが実写化や劇場版化するといった嘘の情報によく騙されてしまうんですが、それが手間暇のかかった画像が添付されていたりと、よくできたネタなんですよね(笑)。そうなると、気付いたときに「なんだ、嘘だったのか」と笑えますし、そういうものを私はデマだと思いません。



UK デマは人を楽しませようとしてないですよね。だから、最後まで読んでもオチがないですし、時には人の不安を煽ることもあります。「虚構新聞」の記事はたまにすべることもありますけど(笑)、オチや笑いどころはかなり意識して入れています。Twitterの公式アカウントで発信することで、うちの記事であることも明確に表明しています。なので、デマではなく、ネタを流しているという意識は強く持っています。



 松永氏とUK氏は、他人を傷つけたり、人の不安を煽るような意図がその背景にあるかどうかを、デマの判断基準の1つとしていた。さらしる氏は「楽しいかどうか」を判断基準にしていたが、うまくオチをつけて笑いに昇華できるかどうかにデマとネタの境がありそうだ。ただ、今回挙げられたデマかどうかの基準は、あくまで主観的な判断によってしまうため、初心者には少し難しいかもしれない。また松永氏はデマ情報の拡散の背景に、人の善意があると分析していたが、自分で情報を発信する際には、真偽を確かめずに勢いだけでシェアしていないか、十分に気をつけたいところだ。



●“ネタ”にリアリティがありすぎると“デマ”になる



 嘘のニュースを配信する「虚構新聞」の記事は、しばしばネタがデマとして広まってしまう。そのためネットで炎上したり、デマとネタをめぐる議論で取り上げられることも多い。最近では、「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」の記事が炎上してしまい、話題になった。そこで、サイトを運営するUK氏本人に炎上の理由を分析してもらい、自身の見解を述べてもらった。また、ほかの個人サイト運営者にも、虚構新聞について率直な意見を聞いた。



UK 「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」について、Twitterでつぶやいた「お詫び」にも掲載したのですが、あまりにも多くの人に「橋下氏ならやりかねない」と思わせてしまったのが予想外でした。しかも、この謝罪文がまた1つの風刺と受け取られて、さらなる炎上につながってしまいました。



 加えて、「Yahoo!ニュース」のトピックスに掲載されてしまったことで、多くの人の注目を集め、普段虚構新聞を見ない人たちも巻き込んでいく形に……。そして、虚構新聞にネタで書かれた記事を真に受けて、橋下さんをバッシングする人たちも出てきてしまって。ネタで書いていたのに、いつしかデマになってしまった。これは大変不本意だったので、謝罪するに至ったんです。



 この騒動を機に、虚構新聞に関する意見を、多くのネットユーザーがTwitterやブログで書いていました。それを見ていると、批判する人の多くは「人を騙すのは嫌いだ」といった感情が背景にあるような印象を持ちました。ですが、私としては読み手に嘘だと分かってもらえるようにサイトや記事を工夫しているので、情報発信者としての責任はある程度は果たせていると思うんですね。例えば、「虚構新聞」というサイトのタイトル、本文中のネタ度の強いオチ、公式アカウントでのツイートによる情報発信源の明示、見出しの横に入れた「これは嘘のニュースです」という隠し文字など、結構分かりやすくしてあるんです。



 読み手側に全ての責任の所在があると言いたいわけではないのですが、Twitterでシェアされた情報について、内容をよく確かめないで反射的にリツイートしてしまうところには、読み手の不手際を感じます。



さらしる 恐らく虚構新聞に否定的な人は、嘘のニュースを配信するという行為に対する是非ではなく、単純に「騙されて悔しい」という感情的な気持ちが大きいのだと思います。私もよく騙されますけど、無料で閲覧できますし、楽しんだ代償として悔しさがあると思えばいいのでは……。



松永 虚構新聞は、記事によってはデマかネタかの判断を取りづらいかもしれません。特に橋下市長の記事はリアリティがありすぎました。そのため、ネタと受け取ってもらうには難しかった部分があるのではないでしょうか。



 虚構新聞の事例で浮き彫りになったのが、デマに対する受信者側のリテラシーの問題だ。つまり、デマそのものが問題なのではなく、不確定な情報を見つけた際に、我々がどのように受け取り、対応するかが重要なのだ。



●情報を怪しいと疑える“嗅覚”を鍛えよう



 デマかもしれない情報に出会ってしまったとき、我々はどのように対応すればよいのだろうか。そもそも、その情報がデマかもしれないと、どうすれば気付けるのだろうか。



まなめ デマ自体はあまり悪いとは思っていないんです。日常生活の中では、いちいち会話の中でデマかどうか確認することなんてほとんどないですよね。なので、情報源の不確かな情報を得た時に、「情報源を確認してから発信すべきかどうか」を判断できればいいんです。こうやって情報を「怪しいなあ、臭うなあ」と疑える“嗅覚”のようなものは、普段どれだけ情報に接しているかに比例すると思います。



 私が「これは怪しい情報だな」と感じた時は、いつもほかの人の反応を確認するようにしています。例えば、「はてなブックマーク」についているコメントを見たり、Twitterでどんな反応があるかを検索してみたりという具合に。もちろん、それだけでデマかどうかを判断するわけではないのですが、判断材料の一つになると思います。



 最近Twitterで記事をシェアされると、つぶやきに書かれた見出しだけで内容を判断して、本文を読まずにリツイートする人が多いですよね。でもその前に、リンク先の記事をちょっと確認するだけで、デマの拡散を防止できるんです。それくらいの手間は取ってほしいですね。



 ネットの使い方は人それぞれです。友人とコミュニケーションを取るために使う人もいるし、情報収集を目的に使う人もいます。前者にとってネタであることが、後者にとってはデマだと解釈されることもあります。両者にとっては、どちらの言い分も正しいことになるので、デマかネタかの区別は、その違いかなという認識です。ただ、デマをめぐる問題の中には、情報が「半永久的に残る」というネットの特性が関係していると思います。自分の評判を落とすようなデマがいつまでも残っていたら、誰でも嫌ですよね。情報の当事者にとって都合が悪いものがデマだと言えるのではないでしょうか。



 デマに振り回されないためには、情報を怪しいと疑える“嗅覚”が必要とまなめ氏は説く。普段から多くの情報に接して、その力を鍛えておきたい。また、情報源の不確かな情報を見つけた時に、一度ほかの人の反応を確認してみるのも有効だと分かった。



●「タイムライン=世論」と勘違いしやすいTwitter



 最後に、そのデマの広まりやすさから、「デマッター」や「デマ拡散装置」としばしば揶揄(やゆ)されるTwitterについて、松永氏に意見を聞いた。Twitterでデマが飛び交いやすいのは、リアルタイムで情報共有できること以外に、どんな要因があるのだろうか。



松永 Twitterには「自分でフォローする相手を選べる」という大きな特性があるため、当然自分の好きな情報や、考え方や興味関心が似た人がタイムラインに集まりやすくなります。そうすると、自分のフォローした人たちの意見が世論だと勘違いしやすくなります。



 例えば「反原発」を掲げる人は「私のタイムラインではみんな反原発を支持しています」と主張するだろうし、放射能の影響を懸念して「西日本に逃げるのが正しい」という人は、タイムラインが同様の考えの人たちで占められていることがほとんどです。そうなると、自分のタイムライン上で“正しい”とされている情報を疑う意識が希薄になります。



 Twitterは、人によって見える世界が全く異なります。にもかかわらず、「世間はみんな自分と同じ意見だ」と錯覚しやすいツールでもあります。なので、「私のタイムラインは偏っている」との自覚が大切です。タイムラインで話題になっていることを主張した後、誰かから「それ、あなたのタイムラインだけの話でしょ」と指摘されたときにムキになってしまう人は、その意識が足りてないように感じます。当人的には「世間の気持ちを代弁する」といった正義感を背景にしていると思うのですが……。そうやって正義感を無理やり押し付ける人が、Twitterで変に目立ってしまうがために、デマが拡散してしまうのも問題ですね。



 自分に似たユーザーや情報が集まりやすいTwitterの特性は、視界が狭まるという点で、ときにマイナス要素にもなる。世の中には多種多様な人間がいるという当たり前の感覚を、SNSの中では忘れてしまいやすいのだ。先ほどまなめ氏が、情報をデマであるか判別する方法として、ほか人の意見や反応を参考にするのを提案していたが、これに倣えば、参考にしている意見すら、自分で選別したユーザーのものであるという自覚を持つことも、同時に求められそうだ。



 今回は、デマをめぐる受信者側のリテラシーについて取り上げた。最終回となる次回は、本連載を総括する。個人サイト運営者たちは、ネット黎明期からこれまでの変化をどう感じているのだろうか。このごろのネットのトレンドである、「2ちゃんねるまとめサイト」や「NAVERまとめ」などの「まとめサイト」に焦点を絞りながら、最近のネット社会の特徴や問題についても言及する。



[村上万純,Business Media 誠]