思い出の昭和レトロが懐かしい

長谷川法世さんが館長を務める「博多町家ふるさと館」で今年も「思い出図画展」が開かれている。 8日(土)に立ち寄ってみた。 

博多町家ふるさと館

 

偶然なのか、その日は博多駅広場で「博多レトロ博」が開催されていた。 図画展とレトロ博イベントを報告します。

 

僕達団塊世代は、戦後に生まれて、家庭を持って、会社人生の中頃までを、元号としての昭和時代後期を過ごした。 終戦の中で両親が苦しんでいた頃の幼い生活から始まり、国内で復興から経済成長が進んでいる時代が青春期、そして子供を育てる頃に平和と幸せを感じるようになった気がする。 戦後の昭和の生活には多くの思い出が残っている。 僕はそんな思い出を大切にするために、毎年この図画展の作品を見に来ている。 僕と同じ思い出を持った方の「絵」を眺めていると、その時のその場所にワープ出来る。

 

賞を受賞した作品を、と言うより、僕の思い出と重なった作品を幾つか紹介したいと思う。

 

 「ご馳走・・・命をいただく」  作者:山本秀典さん    

来客やお祝い事の時は、家で「」をさばいていた。

 この「」は強烈な思い出だ。 田舎のじいちゃんは「鶏をしめる」と言っていた。 夏休みや冬休みに孫たちが集まると、じいちゃんとばあちゃんは「鶏」をしめてくれた。 じいちゃんが縄で吊るした後、鶏の羽毛をむしり取って、藁火で残った毛を焼く。 ばあちゃんは鶏の首を出刃包丁で落し、しばらく逆さに吊るす。 滴り落ちる血を茶碗に貯めて固めさせる。 その後は、慣れた手つきで順序よく部位を切り分けていく。 ばあちゃんは一羽しめると、2~3日は色んな鶏料理を僕たちに食べさせてくれた。 茶椀に固めた鶏の血も、レバーのように焼いて食べた。 現在は、こんな場面を見ることなく、肉屋さんで当たり前に鶏肉を買っているが・・・「命をいただいている」感謝の気持ちは、牛や豚・魚も同様に忘れてはいけない。 

 

 蚊帳(かや)のある夏休みの匂い   作者:瀧川正章さん

 この思い出の光景も、田舎のじいちゃんっちです。 夏休み、山や川で遊んで帰って来ると蚊帳のなかで昼寝をしていた。 夜も縁側を開けたまま、蚊帳のなかで寝た。 田舎だったし、夜も今のように物騒ではなかった。 朝、起きるとカブトムシが蚊帳にとまっていることもあった。 しかし、この絵は上手ですね。 蚊帳の透けた感じが凄い。

 

 就学旅行 旅館で枕投げ   作者:大宅 徹さん

 小学校六年生の時の修学旅行とのこと。 確かに小学生の時は、枕投げが定番でしたね。 力道山ブッチャーの対決だと言って、プロレスの真似もやっていた。 流石に高校生の時は枕投げの記憶はない。 奈良の旅館だったが・・・消灯の後、誰かが持ってきたウィスキーを皆でチビリチビリ飲った。 空のビンをどうするかになって、天井に隠すことになった。 誰かが肩車に乗って天井の板を持ち上げ、ビンを隠した瞬間、カチーンと音がした。 よく見ると、同じような酒のビンが数本あったそうな。 前に宿泊した高校生も同じパターンを繰り返していたことが分かった。 いま思えば・・・いかん事っちゃ分かっとったばってん、大人になる前のツヤつけとう年齢やった。

 

 すいかの種とばし   作者:新畠 光子さん

 昔の家には、家族が一番良く使用する和室(今で言うリビング)があって、窓を開けると庭に面して縁側があった。 知人に「縁側文化」を語る人がいて・・・確かに家族が触れ合う場として多くの語らいがあって、この縁側は日本独特の文化と言える。 僕の場合、兄妹三人で縁側に座ってスイカを食べた。 一番下の妹はスイカの種を一つづつピッピッと飛ばしていたが、僕と弟は頬の両側に出来るだけいっぱいの種を溜めて、「機関銃だーッ」と言って一斉に飛ばし合った。 妹はキャーキャー言って逃げ回っていた。 その妹も今年70歳になった。 

 

 

博多町家ふるさと館を出て、その足で大博通りから博多駅まで歩いた。

駅前広場で開催の「博多レトロ博」の会場が近づくと、懐かしい歌謡曲が聞こえた。

博多レトロ博

入場料は無料で、ゲートをくぐると昭和の匂いに包まれた。 「昭和の町」で有名な豊後高田市の宣伝隊の協力で開催されたようだ。 

 

 何度か豊後高田市を訪れた時に、このミゼットは見たことがある。

 昭和30年代後半、幅が狭い商店街通りで大活躍したダイハツ ミゼット・・・白黒テレビでのコマーシャルでは、大村 崑さん(右)が「ミゼット! ミゼット!」と連呼していた。

 

 これも豊後高田市からやって来たボンネットバス。 

 

 昭和時代の懐かしい食卓風景・・・ゼンマイ仕掛けの時計とダイヤル式の電話。

 

 通りの塀には、こんなホーロー制の宣伝看板が貼ってあった。 

 一番有名なのは大村 崑さんの「オロナミンC」と、松山容子さんの「ボンカレー」かな。 テレビで大村 崑さんの「番頭はんと丁稚どん」、 松山容子さんの「琴姫七変化」は良くみてたなー。  松山容子さんのチャンバラはカッコ良かった。

 

 野球ゲーム盤とサッカーゲーム盤。 野球ゲーム盤の裏底には磁石が貼ってあって変化球が投げられるんだ。

 

 任天堂ファミコンが登場したのは、昭和末期で息子の幼稚園時代だ。 それでも息子が寝たあとに、マリオで遊んだことがある。 

 

 平成になってからはスーパーファミコン。 ドラゴンクエスト Ⅴ(天空の花嫁)は、仕事で滅入った時の気分転換に僕の方が夢中になっていた。 イオナズンなどの攻撃呪文やベホマなどの回復呪文も得意だったよ。

 

 ステージでは昭和のヒット曲のイントロクイズで盛り上がっていた。 フィンガーファイブの曲名が思い出せないが・・・「リンリンリリン、リンリンリリン」という曲・・・それが聞こえていた。

 飲食エリアでは、家族が昭和の懐かしい食べ物を楽しんでいた。

 

この日(6/8)は博多町家ふるさと館の「思い出図画展」と博多駅広場での「博多レトロ博」で、昭和へタイムスリップした。 出来れば、もう一度豊後高田へも行ってみたいなあと思う。

思い出図画展」は6月20日(木)まで開かれている。

 

 香椎うっちゃんのぶろぐ ➡ 「博多町家思い出図画展2023

 

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