113日(土)、西鉄レッツハイクです。 前日までは寒くて、平地でも雪が降りました。 早起きして、天神から特急電車で久留米駅へ。 バスセンターから吉井営業所行きのバスで15分、追分停留所で下車。 スタート受付の熊野神社前までは徒歩で数分。 今年初めで、しかも高良大社の参拝が出来ますから、参加者は普段より多かったと思います。
                                   コースマップ  
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受付後、熊野神社にお参りして、950分にスタート。 
天気予報は「曇り」だったのですが、時々はお陽様が顔を出してくれて、ハイク日和です。 10分ほどで王子宮高良御子神社)の前に到着。 鳥居横から右側に進みます。
 
                                   王子宮(高良御子神社)  
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 時間をとって、ゆっくりとお参りしたかった神社です。 高良御子神社(王子宮)の祭神は、名前の如く、本宮高良大社の祭神・高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)の9人の御子(王子)となっています。 高良大社は筑後国の一の宮で、古代より「筑後の国魂」として人々に仰がれてきました。 しかし、祭神の高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)とは誰なのか、謎が多いのです。 
 
多くの説が唱えられていますが、一番有力な説は武内宿禰(たけのうちのすくね)。 香椎の宮で神功皇后の朝鮮半島出征をお助けし、応神天皇の成長を御守りした人物です。 話が長くなりそうなので一言だけ・・・古事記にも武内宿禰9人の子供がいたことが記されています。 
( 参照:武内宿禰の末裔  、 神功皇后伝説 )
 
王子池(溜池)を廻って古宝殿城跡に向かいます。 
 古宝殿城跡までは、ここから400段の石段を上ります。 この道は高良山から高良大社へ続く道でもあります。 200段までは一気に上ったのですが・・・あとは、30段おきに足腰を休めます。 
                                400石段上り始め  
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                                  300段辺り      
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 300段辺りで後ろを振り返ると、町並みが望めました。 しかし、しんどい。
 
                                 古宝殿城跡  
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 広い平地の古宝殿城跡に着きました。 400段は流石にきつかった様で、殆どの皆さんが休憩していました。 標高は150mで古くは阿志岐(あしき)山と呼ばれ、67世紀頃に山城が築かれていたそうです。 663年、白村江の戦いに敗れた後に築かれた大野城と同じ目的であるような気もします。 見回した限りでは、城跡を示す遺構は見当たりません。 400石段下の高良御子神社(王子宮)は、最初はこの地に建立され、768年に現在地に遷座したと起源に書かれていました。 現在、ここには不動明王や多くの石仏が祀られていました。
 
 阿志岐(あしき)山の古宝殿城跡を後にして、森林つつじ公園に向かいます。 これ以上の雪が積もっていれば中止なんでしょうが・・・高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)の御守りがあったようです。
 
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 久留米森林つつじ公園に到着です。 この先、高良大社までトイレがありませんから、皆さんはここで休憩タイムです。
 
                               久留米森林つつじ公園  
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公園内には約100種のつつじが6万株植えられています。 久留米つつじと言えば久留米の特産品の一つになっていますが、江戸時代に久留米藩士が鹿児島大隅のキリシマツツジを品種改良して育ててきたものです。
 
                                  高良山山頂   
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 コースでは山頂への案内はされていません。 往復でも所要十数分とのことですので登ってきました。 標高312メートルです。 でも、案内されてなかった理由がわかりました。 山頂は木々に覆われて、眺望がまったくありません。
 
 雪に埋もれたつつじ園の中を通り抜け、山道を上り下りしながら「奥の院」に向かいます。
 
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 山道の途中に幾つもの木製看板が架かっています。「ゴミをなくし キレイな自然をまもろう」。 小学生徒によるグリーンスカウトのマナーアップ提言です。 
 
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                                    奥の院   
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西鉄レッツハイクのコースでは、「奥の院」の裏側の道を通って着くことになります。 「奥の院」のご由緒によると、古くは「高良廟」と称していたようで、武内宿禰の霊を祀る廟所と伝えられています。
 
博多人形師・小島与一作「武内宿禰」
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と言うことは、高良の神様=高良玉垂命武内宿禰になります。高良玉垂命は日本書紀・古事記には名前が出てこないようですが・・・高良玉垂命武内宿禰の説は最有力ですね。 拝殿の前では凛としたパワーを感じました。
 
手水所の湧き水は「勝水」と言われている名水です。 香椎宮の名水・不老水武内宿禰が掘ったと伝えられています。 因縁を感じます。 「勝水」は持ち帰りが出来ます。 コンビニで買ったお茶のペットボトルが空になりましたから、汲んできました。 
 
 
奥の院から高良大社までは車道で直ぐの距離ですが、西鉄レッツハイクのコースに従い遊歩道を歩いて行きます。  20分程で高良大社に到着。
 
                                      高良大社   
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拝殿にて家内安全と家族の無病息災をお祈りいたしました。 
高良玉垂命延命長寿武運長久の神として、人々に崇敬されてきたと案内に書かれていましたが、まさに武内宿禰ですね。
 
ご祭神は3柱。 向かって右が八幡大神、中央が高良玉垂命、左が住吉大神となっています。 八幡大神(はちまんおおかみ)とは神功皇后の御子・応神天皇のことです。 住吉大神(すみよしおおかみ)とは神功皇后の朝鮮半島出征をお守りした海の神様。
 
応神天皇を抱く香椎宮の武内宿禰像 
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そして主祭神の高良玉垂命が神功皇后の側近ナンバーワンの武内宿禰。 これは、もう、香椎宮ですね。 「香椎浪漫」の管理者であるうっちゃんとしては嬉しい限りです。 
香椎宮の神木・綾杉の後方に武内宿禰の像が建っています。 武内宿禰が抱いている赤ちゃんが応神天皇八幡大神)です。
 
今度、香椎宮境内摂社の武内神社に、高良大社に御参りしてきたことを報告しに行きます。
 
                               高良大社から久留米市街を望む  
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ここから久留米市街を眺めていると、歴史上の多くの戦いで、この地を奪い合った理由が分かります。 耳納連山の西側の先端部分で、北方の筑前・西方前面の筑紫佐賀平野・南方の肥後が見渡すことが出来る唯一の要所ですね。 戦国時代、大友・島津・竜造寺が三つ巴の奪い合いをした地がここです。
 
                                   高良山神鶏    
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 ゴール受付の手前に「高良山神鶏」と書かれた鳥小屋がありました。 中を覗くとつがいの2羽の鶏がいます。 昨年は酉(とり)年で大変だったでしょうね。 「お疲れさま」と声をかけてあげました。
 
                                        ゴール受付   
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 ご神木の樟(クスノキ)の下が受付です。 参加記録カードに認証印を押してもらいます。 累計キロ数は55kmになりました。 100kmまでは今年いっぱい掛かりそう。
 
ゴールから最寄のバス停(御井町または久留米大学前)までは、石段の参道を下って行きます。 これが結構な距離がありまして・・・しかも、宝満山のような石段が続くので膝に負担がかかります。 
 
                               高良大社 一の鳥居 
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 20分掛けて参道下の一の鳥居に着きました。 立派な鳥居です。 江戸時代は久留米有馬藩の厚い崇敬を受けていて、この石造大鳥居は明暦元年(1655年)、2代藩主忠頼公から寄進されました。
 
                                   高良山略図    
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 天保7年(1836年)に描かれた高良山略図が境内に掛けてありました。 江戸時代の久留米藩が育成したつつじ園の説明に使用されていたのです。 上方の赤マルで囲まれたエリアが久留米藩のツツジ園でした。 江戸時代後期の参道の様子が良く分かります。 略図には・・・見えにくいですが・・・勿論、一の鳥居(○印)が描かれています。 
 
鳥居の先のバス停(御井町)は便が少ないので、久留米大学前まで歩いて・・・そこから西鉄久留米・天神経由で帰宅しました。 
一日中、武内宿禰の浪漫を感じることが出来たハイクで、大変満足です。
 
雪の中でも、高齢者がこうしてハイクを楽しむことが出来たのは、「西鉄レッツハイク」の安心・安全を配した運営のお陰です。 スタッフの皆様に感謝いたします。
   
    うっちゃんの西鉄レッツハイク         香椎浪漫