飯塚/武雄 24時間 100キロウォーク
え~ッ!最初から「完歩証」の写真?
100キロウォーク完歩証
「完歩証」には間違いありませんが、平成24年10月(5年前)に開催された「行橋/別府100キロウォーク」に参加した時のものです。 時間は24時間34分35秒。 何故、こんな苦しいことに挑戦したのか、キッカケは良く覚えていません。 恐らく、会社リタイア後の新しい自分を見つけたかったのでしょう。 半年間、トレーニングを積み上げてはいたのですが・・・それでも、無謀な挑戦でした。 宇佐を過ぎた頃から、足裏には肉刺(マメ)ができ、両足の筋肉はケイレン、・・・痛くて歩けない。 それでも、ゴールに辿り着いたのです。 その時の喜びを「ホームページ」で次のように書いています・・・
「順位は約4000人中2550位。時間24時間35分。行橋を昼に出発して夜通し歩き、次の日の昼に別府到着。最後は足を引きずってゴール。とにかく辛かった。しかし挑戦して良かった。学校や会社からもらった賞状よりも、この完歩証が一番嬉しい。マラソンの有森裕子ではないが、この時ばかりは自分を褒めてあげました」
本当に喜びは大きかったのです。 でも、余りの苦しさだった故、「これが最初で最後、2度と100キロなど歩かない」とも決心したのでした。
それなのに、11月3日の文化の日、うっちゃんは新飯塚駅の「飯塚/武雄100キロウォーク」のスタート地点に立っていました。
新飯塚駅スタート地点
5年の月日が経つと、人間はその時の苦しみを忘れます。 何かの拍子に、「一度やり遂げたんだから・・・」、と甘い気持ちで申し込んだのでした。 当初の開催日は9月17日(日)~18日(敬老の日)でしたが、台風で延期になったのです。 規模は「行橋/別府100キロ」より小さく、募集人員300名でしたが、延期によって、180名に減っていました。
選手宣誓 スタート
↑ 選手宣誓は鹿児島から参加の中村さん。 彼は100キロを16時間で完歩する100キロウォーク常連の参加者。 宣誓を受けるのは実行委員長の千代田さんです。
うっちゃんの今回の目標は24時間を切ること。 行橋/別府は26時間以内ゴールの制限ですが、飯塚/武雄は更に短い24時間以内です。 前回の記録を、たったの35分縮めれば良いだけ・・・これも少し甘く見てました。 12時キッカリにスタート。
飯塚/武雄100キロウォークのコース (マピオン使用)
芳雄橋を渡る
↑ 新飯塚駅をスタートして、直ぐに遠賀川(左)と穂波川(右)を渡ります。 秋晴れの空の下、風が心地よい・・・と、スタート時点は気分良く歩く。
国道200号線合流 200号線を南下
↑ 瀬戸の交差点で200号線に合流。 遠くに冷水(ひやみず)峠を望みながら南下。
長崎街道内野宿へ
内野横山から右の長崎街道(旧道)へ入り内野宿へ向かいます。 長崎街道228kmの中にある25宿の一つです。 江戸時代そのままに道が残り、当時の面影をとどめています。
人馬継所跡
宿場の運輸部門で人足や馬を提供する施設が「人馬継所」と呼ばれていました。
肥前屋(展示館) 長崎屋の内野汁
↑ 旧旅籠の「肥前屋」でトイレ休憩。 休憩施設として開館した「長崎屋」で実行委員会が準備した「内野汁」をいただきました。 美味しかったです。 ここまで通算14km。
冷水峠への標識 冷水峠への石畳
↑ 内野宿場町の西構口から長崎街道で一番の難所・冷水峠への道が始まります。 内野宿から冷水峠までの坂道は、当時のままの石畳が残されています。 今、自分が歩いている石畳の上を、シーボルトや伊能忠敬、坂本竜馬らも歩いたのだ、と考えると感慨深いものを覚えます。 文化庁の「歴史の道百選」に選ばれています。
峠の途中を流れる小川 峠を越えた下り阪
↑ 峠までの途中にある地蔵堂の横を小川が流れています。 冷たい水が流れ、峠の名前(冷水峠)の由来となったそうです。 峠を越え、次ぎの宿場・山家宿(やまえじゅく)までの坂道を下ります。 旧長崎街道の上に造られた国道200号線は歩道が整っていないため、「夜須カントリークラブ」に回りこんだコースを歩きます。
夜須カントリークラブ 筑前町で日没
↑ 冷水峠を越えるのに体力を消耗しました。 大汗を掻いてノドが渇き・・・夜須カントリークラブ前に設けられた給水ポイントで冷たい「ポカリ」をガブ飲みしたのですが・・・この事が数時間後に苦しむ原因となったのです。 386号線やすらぎ荘入り口交差点を右折する手前で日没をむかえました。 この時点で通算約27km・・・4分の1強を歩きました。日が暮れると、何故か心細くなる。
↑ 再び200号線から国道3号線に入り南下、筑紫野市原田(はるだ)に向かいます。夜間歩行中は配られた点滅バッジをリュックにつけます。 第1CP(チェックポイント)の原田公園に18時53分到着(指定制限時間は20:00時)、通算の距離は34.2km。 ここは長崎街道の飯塚宿・内野宿・山家宿に続く原田宿です。 ゼッケン番号のチェックを受け、水分補給をして再び出発。
鳥栖市役所前標識 月を見ながら
↑ 3号線のけやき台駅、基山駅前を通過し、鳥栖インターから34号線に入り、佐賀に向かいます。 この辺りから体がだるくなり調子が良くありません。 原因は直ぐに分かりました。 冷たい水(ポカリ)の飲み過ぎと夕食を食べてないことです。 ウォーキング中はあまり食べないほうが良い、と思っていたのですが・・・逆です。 胃袋に食べ物を供給してあげないと「力」が出ません。 冷たい飲み物をイッキに飲むとお腹がケイレンします。 コンビニでおにぎりと温かいお茶を買って、外で月を見ながらゆっくりと食べました。 しばらく歩くと体調が戻ってきました。
吉野ヶ里公園駅手前2kmのセブンイレブン地内が第2CPで、23時45分に到着(指定制限時間は午前1:00時)、通算の距離は54.4km。 ここまでは、まあまあ・・・でも、未だ半分。 ふくらはぎと太ももが痛くなってきている。 「リタイア」を申告している参加者がいた。
ウォークマン 県立森林公園 第3CP
↑ 第2CPを出発します。眠気は感じませんが、下半身が痛くて痛くて・・・体力が無くなり、速度も遅くなってきました。 映画の「ランボー」を思い出します。 彼は傷ついた時、”痛さ”を考えないようにしているんですって。 こんな時にウォークマンが助かります。 音楽を聴きながら、痛さを忘れて、そして考えず・・・とにかく足だけ、交互に前に出し続けます。
森林公園の第3CP(通算距離73.8km)に午前4時24分到着(指定制限時間は5時)。 制限時間までの余裕が無くなってきました。 足がパンパンで、一度休むとなかなか立ち上がれない。もうダメかもしれない。 眠くなってきた。 「リタイアした方が楽だよ」と、もう一人の自分がささやく。 「黙れ!老いぼれ!」と返すが、自分だった。
2日目の朝日を拝む
6時15分過ぎ、東の空が明るくなってきた。 牛津町辺りだろうと思う。 ウォークマンからはサザンが流れている・・・もう少し頑張ってみよう。
肥前山口駅 高橋駅
7時30分、肥前山口駅前に着いた。 通算距離は85kmとなっている。 歩く速度は極端に遅くなっているが・・・残り15kmを4時間30分以内で歩ければ大丈夫だ。
ここまで来れば、あとは気力。 右足の裏の肉刺(マメ)も痛いのだろうが・・・もう何も感じない。 高橋駅前まで来た。 残り2.3km・・・ここから先の何と遠いことか。 遠くに武雄の町が見えているのに、なかなか近づいてこない。 でも、時計を見て安心した・・・まだ1時間と25分ある。 間に合うゾ!
ゴール
午前11時11分、制限時間まで49分を残して、何とかゴール。 先にゴールした参加者や実行委員会のスタッフが拍手で迎えてくれました。 やったゾ~! でも苦しかった~! 芝生に倒れこんだら、ちょっぴり感激の涙が・・・。
完歩証
夜が明けてからの身体的苦痛・精神的苦難に耐えたことについて・・・今回も自分を褒めてあげようと思います。 あんたはエライ!
武雄温泉
実行委員会からいただいた武雄温泉の入浴券で汗を流し、筋肉を揉み解して帰路につきました。 特急みどり16号の車内で飲んだビールの何と旨いことか!!!。 博多駅で「お客様! お客様! 終点です」の声で起こされるまで、爆睡!
実行委員会とボランティアの皆様、本当にお疲れ様でした。 有り難うございます。
うっちゃんのJR九州ウォーキング(番外)