kashi-heigoの随筆風ブログ-ジャンパー2


 あれはいつだったろうか。中学3年生時分だったかもしれない。東京の従兄弟からカーキ色のジャンバーを、お下がりで貰った。昭和30年初頭だから、なかなか珍しい代物で、洋物のジャンバーだった。裏地が羊の毛で暖かで、首の襟にも毛皮が縫い込まれていた。袖は、ゴム編みだった。当時は珍しい貴重な洒落たジャケットだった。もともとは、粗綿、麻などで作った仕事着のことだろうが、西洋の匂いがして、長いこと僕のお気に入りで、冬になれば何年も大切にこれを着たものだ。みんな黒いマントを着ていた頃、都会風のジャンパーを纏っていた。


 僕が、初めてアメリカに行ったのは、会社からの研修で、1974年の初秋だった。今から、40年近く前だ。行き先は、東海岸のボストン近郊だった。3カ月間の研修を終えたのは、11月の中盤だった。辿り着いたころは、青々としていた樹木の色合いも、いつの間にか一変して周囲は晩秋の景観になっていた。彼の国は、広大である。車を数時間飛ばしても、紅葉の海が途切れることがなかった。ただ、ハロウインが過ぎて、帰国の日が近づくにつれ、帰心が募ってきた覚えがある。抑えようがないほど大きくなってきた。なにか紛らわさなくてはならないと思った。

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 僕は、自分のお土産に<あのジャンパー>を求めることにした。ジャンパーは安くても、価格は200ドル前後はする。当時は、1ドル300円前後だった。月給が10万円ぐらいであったから、大変な買い物である。貧乏サラリーマンには、数百ドルもする皮のジャンパーなど買うことができない。

 ボストンのデパートの地下の安売りで手頃のものを探した。彼の国は、身体が大きいうえに、インチ表示で探すのに苦労した。たいてい腕が長いのである。僕が探し求めていたのは、あの昔持っていた、カーキ色のジャンバーだったが、似たものはなかった。しかたなく150ドルの灰色の皮のジャンバーにした。牛皮でなく、ラムスキンと呼ばれる羊の皮だった。輝くように光るタイプで手触りが柔らかくていい。袖口が毛糸で編まれている。腕にペンをさせたし、その下にちょっとした小銭入れとなるポケットがある。そればかりか、ちょっと隠れたところにもポケットがあった。すっかり気に入ったのである。

 ジャンパーを買い求めて間もなく、本格的な寒波の襲来で、あっという間に雪景色に変貌し、野山は白一色になった。僕は、そのジャンパーを着て帰国の途についた。


 そのジャンパーを長年大事にしていたのだが、いつの間にか着なくなって押し入れの奥に仕舞ってあった。去年、妻に「あれはどうした」と聞いたところ、「ファスナーは壊れているし、直すと高いから、捨てたわ」とにべもない。何か大事なものをなくしたような気がした。できれば、補修して着続けたかったのだが・・・。過ぎ去った40年の時間は取り戻せない。せめて、あのジャンバーを着て、昔の感触を思い出したかったのだが、どこへ行ってしまったのだろうか。            2011.12.3