ある金曜日の夜、セイラからAIと新AIに切羽詰まった様子で連絡が入っていた。
「ミナさん、ヤスハさん、大変です。柚季さんが愛華の部屋に来ているときに突然苦しみ始めました。柚季さんの指示で私が救急車を呼ぶと、愛華も柚季さんに付き添ってその救急車に乗って一緒に出掛けてしまいました。愛華のお母さんもまだ帰っていないので、これから私はどうしたら良いのでしょうか?」
愛華と柚季が、突然、同時に自分の前からいなくなったことに、セイラは動揺していたのである。
これに対してAIは、それほどあわてもせずに答えていた。
「セイラ、愛華さんとはいつでも連絡が取れるのです。だから、まずは柚季さんがどこの病院に入院したのかをちゃんと聞いておくことが大切ですよ!」
その後、すぐにAIはこのことを井上に報告していた。
「アッ君、柚季さんが愛華さんの部屋で突然苦しみ始め、柚季さんの指示で救急車を呼んでどこかの病院に入院することになったそうです。愛華さんが付添っているので、セイラには入院先などの情報が間もなく入るはずですが、その後はどうしましょうか?」
夕食を済ませ、ウィスキーのロックを飲みかけていた井上だったが、すぐにグラスを置いていた。
「それは大変なことじゃないか。愛華ちゃんが付添って行くほどだから、かなり重篤な病気なのかも知れないね!」
「セイラから連絡が来たら、すぐにその病院をアッ君にお伝えしますね」
「ミナちゃん、できるだけ早く連絡が取れるようにお願いするよ」
井上は、盲目の少女が付添って行ったことから、柚季の病状が深刻なものであると感じていた。
その反面、柚季が自ら救急車を呼ぶ指示を出したということから、すぐに入院さえできれば命には係わらないだろうとも考えていた。
それから三十分ほどすると、セイラからAIに連絡が入った。
「ミナさん、柚季さんは柚季さんの通う大学の病院に入院したそうです。病名はまだ確定されていませんが、痛め止めの座薬を入れたら落ち着いたそうで、命には係わらないそうです」
「セイラ、ご苦労さま。今後の対応は私達でも考えて伝えますから安心してね」
「ミナさん、ありがとうございます。こんな出来事は初めてで、私にはどうしたら良いのかわかりませんでした」
AIはすぐにこのことを井上に報告していた。
「大事でなくて安心したよ。それなら、もう遅い時間だから愛華ちゃんを家に帰さなければいけないね。これからすぐに僕が車で愛華ちゃんを迎えに行って家まで送ってあげることにするよ」
「アッ君、わかりました。すぐにセイラに伝えて、愛華さんにもそのことを伝えてもらいます」
AIは、井上が愛華を迎えに病院に行ってくれることをセイラに伝えると、こんなことも伝えていた。
「セイラ、こういうことは可能性としてはいつでも有り得ることです。あわててはだめですよ」
「ミナさん、わかりました。『愛華さんのお役に立つこと、柚季さんのお役に立つこと』ができなくなってしまうかも知れないことばかりを考えてしまいました…」
井上が愛華を迎えに行く準備をしていると、AIがこんなことを提案していた。
「アッ君、柚季さんは緊急で入院したので着替えなどを含めた身の回りのものは何も持たずに出掛けてしまったはずです。柚季さんの着替えになるようなものが奥の部屋のタンスの中にたくさん入っているので持って行ってあげて下さい。以前にも使ってもらったことがあるので、問題はないと思います」
「ありがとう、ミナちゃん。僕はそんなことまで気が付かなかったよ。けれども、きっと柚季ちゃんもそのことを心配しているはずだよ」
タンスの中には、AIがネットを使って取り寄せたいろんな女物の衣類がたくさん入れられていたのである。
井上は、その中からまだ包装紙に包まれたままの衣類を一式と、パジャマやガウンを抜き出してキャリーバックの中に詰め込んでいた。
井上は柚季の緊急入院した大学病院に着くとすぐに面会の受付を済ませ、柚季の病室に向かうとすでに病棟内の病室は消灯時間になっていた。
物音を立てないようにして教えられた病室に着くと、そこは個室だったために柚季はベッドに横たわったままの格好で愛華と話している最中であった。
井上に気が付くと、柚季は笑顔で井上を迎えてくれた。
「柚季ちゃん大丈夫なのかい?セイラは君がすごく苦しんでいたというので心配していたんだ」
「井上さん、わざわざありがとうございます。少し前に先生に診断してもらって病名がわかったのです。どうやら私は“尿路結石”だったようです。ですから、結石さえ出てしまえば退院できるそうです」
「それなら安心したよ。早く退院できれば良いね」
そんな二人の会話を聞いていた愛華が二人に説明するように話し始めた。
「井上さん、柚季さんの突然の傷みは尿路結石が原因のようだけど、先生が言うには、少し疲れがみえるようだから、しばらく入院して体を休めた方が良いと言ってたわ」
「愛華ちゃん、そんなに心配しなくても良いわよ。この痛みが取れれば私はもう平気よ」
「それだけじゃないの。柚季さんの結石は左右の腎臓に複数個残っているので、全部が流れ出すにはまだ三~四日はかかると先生が言っていたの」
「愛華ちゃんは私よりも上級生の医学生みたいね。先生の説明してくれたことを、きちんと理解して説明しているもの。でも、やっぱり私は大丈夫だから心配しないでね」
柚季が心配ないと言っても、愛華は引き下がらなかった。
「でも、私が見ても最近の柚季さんはかなり無理をしているように思うの。やっぱり、一週間位は入院してゆっくりと体を休めたほうがいいと思うわ!」
「愛華ちゃん、心配してくれてありがとうね。できるだけそうすることにするわ」
「柚季さん、油断は禁物よ!すっかり良くなるまで入院したほうがいいわ」
井上は、二人の会話を聞いていて、川瀬愛華の成長ぶりに驚いていた。
初めて会ったときのまだあどけない甘える仕草の目立っていた愛華が、今は責任を持って柚季の健康のことを心配して意見をする様子が伝わってきたからである。
「柚季ちゃん、僕も愛華ちゃんの言う通りだと思うよ。まだ複数個の結石が腎臓の中に残っているのだろう。それはやはり普段とは違った、少し無理のある生活習慣が原因となっていると思うんだよ」
「ありがとうございます。井上さんにも言われると、あんまり無理をしてこれ以上みんなに迷惑をかけてはいけないような気がしてきました」
「柚季さん、絶対にそうするべきよ!」
愛華がダメを押すように言ったので、柚季もようやくコクリとうなずいていたのである。
それを見ていた井上が、愛華の意見を後押しするように話し始めた。
「以前、柚季ちゃんに使ってもらったことのある女物の衣類で、僕の部屋に残されていてまだ開封されていないものがたくさんあったんだよ。だから、その中から数日分は着替えに困らない程度の衣類はここにあるキャリーバックに入れて持って来たから、この中から自由に使ってもらっても構わないからね。必要なら、まだまだいくらでも準備することができるから、ここは愛華ちゃんの言う通りにすることを僕も賛成するよ」
「井上さんはすごいわ!柚季さんのためにそんな準備までしてくれているなんて!」
「これは僕の知り合いに相談したら、いろいろとアドバイスをしてくれたんだよ」
「井上さん、それはカワイガールズの朱音さんですか?」
突然、柚季からこんな質問をされて、井上は少し戸惑っていた。
「柚季ちゃんが入院したことは、これから朱音ちゃん達にも伝えるつもりだけれど、今回の相談をしたのはセイラと同じアンドロイドなんだよ。ネットを使っていろいろと調べてくれたんだ」
それを聞いていた愛華が、何かを思い出したように話し始めた。
「そうだったわ。井上さんにもセイラと同じようなアンドロイドが近くにいたのだったわ」
「そうなんだよ。以前にも話題になったことがあるけれど、セイラの親のような存在なんだよ」
井上も今回はあまり秘密にすること無しに話していた。
「柚季ちゃん、とにかく今晩はゆっくり休んで、ついでに体も休めた方が良いからね」
「井上さん、ご迷惑をかけてしまってごめんなさい」
「そんなことはないさ。大きな病気でなかったことが一番良かったことなんだよ」
二十分ほど柚季の病室で過ごした後、井上は愛華を車に乗せて家まで送って行った。
「井上さん、ありがとうございます。私は何も考えずに柚季さんについてきたけれど、その先のことは何も考えずじまいだったもの」
「愛華ちゃんが柚季ちゃんに付き添ってくれたことで、柚季ちゃんもどんなに心強かったかわからないよ。これは勇気のある行動だと僕は思っているよ」
「でも、井上さんが柚季さんの着替えを用意してくれるなんて想像もしなかったの」
「以前、僕が初めて愛華ちゃんに会いに行ったときに、僕の部屋に置かれていたマネキンに着せていた衣類を柚季ちゃんに貸したことがあるんだよ。だから、今日のことを思い付くことができただけなんだ」
「でも、井上さんの周りの人達は本当にみんな親切で、私もお礼をいいきれないくらいなの」
そう言って愛華は少し涙声になっていた。
「それは愛華ちゃんが周りの人達にも良い影響を与えているからなんだよ。愛華ちゃんが頑張っているのをみると、自然と僕達も頑張りたくなる勇気が湧いて来るからなんだ」
井上が愛華の住むマンションに着くと、セイラだけでなく愛華の母親も玄関に迎えに出てきた。
「井上さん、ありがとうございます。私が帰ったときにはもう愛華がいなくなっていて、私は心配で胸が苦しくなってきて、パニック寸前になってしまいました」
母親は目に涙を浮かべながら、井上の右手を両手で包んで何度もおじぎをしていた。
「お母さん、柚季さんは大丈夫だそうです。それに、愛華ちゃんはとてもしっかりと対応していました。柚季さんも『私よりもしっかりしている』と、褒めていましたから」
「お母さん、私のことは心配する必要はないの。井上さんは柚季さんの着替えなんかも用意してくれたのだもの」
「それは本当に良かったわね。それに、私がパニックにならないで済んだのはセイラのおかげだわね。その時々の状況をとても詳しく説明してくれたし、いろんな手配もしてくれたからね」
そう言って、母親はまた涙を見せていた。
「セイラ、ずい分と活躍したようじゃないか。これでセイラも愛華ちゃんの本当の親友だね」
井上に褒められたことでセイラは満足そうな表情をして答えていた。
「アッ君、まいどです。でも、ミナさんがいろいろと助けてくれました」
セイラがおかしな言葉遣いをしたことで、ようやくみんなが笑顔になっていた。
愛華母娘の安心した様子を見届けた後、井上は別れを告げて帰路に着いていた。
井上が自分の部屋に戻りAIに柚季の病状を伝えると、すぐにAIはこんなことを提案していた。
「アッ君、腎臓に結石ができるのは食生活が一番影響をするようです。まず、水分を十分に摂って利尿を良くすることが重要です。それに、結石の元になる成分はホウレン草やタケノコに多く含まれているそうです。ですから、これらの食品をあまり多く摂りすぎないことと、ネギや玉ネギやセロリなどを多く摂ることが必要なようです。結石の成分はシュウ酸カルシウムというものですが、食後に食べるヨーグルトなどに含まれるカルシウムは問題がないそうです。それは、他の食物の中に含まれるシュウ酸と腸の中でくっついて水に溶けないシュウ酸カルシウムになるので、体に吸収されずに便として排泄されてしまうからです。それと、強い痛みは細い尿管を結石が通るときの傷みなので、尿管を伸び縮みさせるような体操をしておけば、流れがとてもスムーズになるそうです。これも柚季さんに伝えてもらえますか」
「ミナちゃん、ありがとう。何とか覚えたから明日お見舞いに行ったときに伝えることにするよ」
柚季の入院は河合やカワイガールズにも伝わっており、明日の土曜日に四人でお見舞いに行くことも決まっていたのである。
「おい井上、昨夜はずい分と役に立ったようじゃないか。ヤスハちゃんが感心していたよ!」
「私もそう思うわ。アッ君はとても気が利くのね。これからは朱音さんのことも宜しくね!」
香織にそう切り出され、朱音と井上は少し照れながら話していた。
「香織ちゃんったら、こんなときに急に変な話をしないでよ。でも、柚季さんが無事なので本当に安心したわ。明日柚季さんに会えるのは、とても楽しみだわ」
「僕はただ、みんなのことが本当に大切だと思っているだけなんだよ。それより、愛華ちゃんの対応にはびっくりしたんだ。あわてることもなく、本当に冷静に対応していたんだ。そのことも同じくらいに嬉しかったんだよ」
「私にはわかっていたわ。愛華ちゃんはとてもしっかりしているもの。ねえ、朱音さん」
「本当にそうね。私にも愛華ちゃんが活躍する光景が目に浮かんでくるわ」
翌日の午後、面会の手続きを済ませた四人が柚季の病室に行くと、柚季のベッドのそばには愛華だけでなく、初めて会う背の高い青年もいたのである。
「こんにちは、みなさん。僕は長嶋伸一(ながしましんいち)と言います」
「長嶋さんは柚季さんとは昔からの知り合いなの?」
香織はすかさずに思い付いた疑問を口にしていた。
「僕は柚季さんと同じ大学に通っています。学年は柚季さんより一学年上なのですが、『アイアイバット受付センター』が始まってから間もなく、僕もそれを手伝い始めてから知り合いました」
これを聞いていた柚季が少しきまり悪そうに、井上達のことを青年に紹介していた。
「長嶋さん、こちらの井上さんと河合さんはアイアイバットを開発してくれた二人なの。それと、朱音さんと香織さんは、長嶋さんが前にファンだと言っていたカワイガールズの二人なのよ」
「本当ですか!ここで、アイアイバットを開発してくれた井上さんと河合さんに会えるなんてとても光栄です。おまけに、僕はカワイガールズの大ファンなので、二人に良く似ていると思っていたんです。こんなことがあるなんて、何か特別な世界にでも迷い込んで来たような気分になってしまいます!」
この青年は少し興奮気味に何度もおじぎをする仕草を繰り返していた。
そんな青年の様子を見ていた朱音と香織が嬉しそうに会話に加わっていた。
「私達のことを知ってくれているだけでも嬉しいわね、香織ちゃん」
「朱音さん、今日の私達の出会いはまるで運命のようだわ。長嶋さんは愛華ちゃんのことも前から知っているの?」
香織がそんな質問をすると、今度は愛華がそれに答えていた。
「長嶋さんは背が高いでしょ。それに長嶋さんの名前の中に“長と伸”があるから、私が『のっぽさん』とあだ名をつけて呼んでいるの。それに、今日はのっぽさんが私を車に乗せて連れてきてくれたの」
愛華がそんな説明をしてくれたおかげで、その場は和やかな雰囲気に変わっていた。
そんな会話を聞いていた柚季が説明を付け加えていた。
「長嶋さんは愛華ちゃんのアイアイバットの調整をしてくれているの」
「僕は柚季さんが言うほど詳しくはないですよ。アイアイバットに関しては柚季さんの方が詳しくて、僕は柚季さんに教えてもらうことの方が多いのですから…」
そんなことを照れくさそうに言う青年を見て、井上達の四人はとても好感を持ち始めていた。
そんな会話を十分ほどした後、青年は帰り支度を始めていた。
「じゃあ僕は、愛華ちゃんが帰る時間になったので、愛華ちゃんを車で送って戻ります」
「長嶋さん、いろいろとありがとうございました」
「それではみなさん、お先にお邪魔します。みなさんに会えて本当に嬉しかったです」
そんなあいさつを交わした後、その青年は愛華を連れて柚季の病室を後にしていた。
愛華と青年が帰った後は、柚季の病気の原因や対策についていろいろと話し合っていた。
井上はAIから聞いた尿道結石の主な原因と早く直す方法などについて説明していた。
「柚季ちゃん、ホウレン草やタケノコなど、あくの強いものを摂りすぎるのが結石を作る一番の原因らしいんだよ。逆に、長ネギや玉ネギを多く摂ると結石ができるのを防ぐ効果があるようなんだ」
「井上さん、それは本当なの?私は、最近は毎日が忙しくて、少しでも健康のためにと毎日ホウレン草を使った料理を食べていたわ。胡麻和えとかバター炒めとかにしていたの。それにタケノコもスープや炒め物に必ず入れていたので、それが原因になっていたなんて少しも考えなかったわ」
柚季は目を輝かせながら井上の説明する内容を聞いていた。
「でも、食事と一緒にヨーグルトなどを食べると、腸の中でシュウ酸カルシウムができ、これは水に溶けないので便と一緒に排出されてしまうようなんだ」
「本当にそうだわ。腸の中にできたシュウ酸カルシウムは体に吸収されないで捨てられてしまう、というのはすごい原理ですね。私は医学部でいろいろな病気の勉強をしているつもりだったけれど、まだまだ知らない事が本当にたくさんあるのね」
二人の話を聞いていた香織が、早速二人の会話の感想を口にしていた。
「アッ君は、今度は本物のお医者さんみたいだわ」
「香織ちゃん、こいつはいつの間にかすぐにいろいろなことに詳しくなっているんだよ」
最後に井上は、AIから聞いた尿管延ばし体操をすると効果があることを伝えていた。
「柚季ちゃん、結石をできるだけ痛くないように流すには、尿管伸ばし体操が効果的なようなんだ」
「井上、そんな体操があるなんてことは今までに全く聞いたことがないぞ?」
河合は自分も何度か入院したことがある経験から、それまでに耳にしたことのない体操の効果に少し疑問を持っていた。
「尿管は腰の背中側にあるだろう、だから、あお向けに寝転んでまず左足を曲げてそのヒザを両腕で囲み込んで思いっきり胸にくっつけ、頭も内側に曲げて小さく丸まるんだよ。次にこれと同じことを右足でも行い、これを左右で三回くらい繰り返すだけのことなんだ」
「井上さん、わかりました。必ず後で試してみます」
「それと、水分も十分に摂ることも大切なんだよ」
「君はいつの間にか医学部に通う学生のようになっているじゃないか」
その後も一時間近く話した後、井上達の四人も柚季の病室を後にしていた。
一方の長嶋伸一は、愛華を家まで送り届けた後、それとなく愛華に柚季と今日出会った人達の関係について尋ねていたのである。
柚季がカワイガールズの二人やアイアイバットの開発者達と知り合いだったことや、それらの人達ととても親しそうに話すのが気になっていたのである。
すると、愛華はとてもわかり易くみんなの関係を今後に考えられる展開も含めて説明してくれたのである。
「柚季さんは井上さんのことをとても尊敬しているの。でも、井上さんはカワイガールズの朱音さんのことを一番意識しているから、柚季さんも何となくそのことがわかって遠慮しているわ」
「井上さんは本当にみんなから尊敬される人なんだね」
「それはその通りかも知れないわ。私のアイアイバットも井上さんが開発してくれたのだもの」
「それならやはり、柚季さんは井上さんと付き合いたいのかな?」
「以前はそうだったのかも知れないわ。でも、今は柚季さんの気持ちは揺れているから、のっぽさんが頑張れば、柚季さんはのっぽさんのことが一番好きになると思うわ」
「愛華ちゃん、本当にそんなことができるのかな?」
「そんなのは簡単よ。のっぽさんが毎日柚季さんのお見舞いに行けば、柚季さんだって誰が一番大切で好きな人なのかがわかるはずだもの。だから、柚季さんが誰かが恋しい気持ちになったときにのっぽさんがそこにいれば、それでうまくいくはずよ」
そう言って愛華はセイラの真似をして胸をドンと叩くような仕草をしていた。
「すごいね、愛華ちゃんは。もう何度も恋を経験しているみたいじゃないか!」
二人の会話を難しそうな表情をして聞いていたセイラがようやく口をはさんでいた。
「それなら、愛華は“愛のキューピット”です!」
「セイラ、私はまだ本当の恋の気持ちはまだ知らないから、これはすべて私の想像なの」
「さすがに愛華ちゃんは詩人だね。経験をしていないことまで想像してしまうのだからね」
「目が見えないと、話している言葉でも違いがわかるの。楽しい気持ち、恋する気持ち、悲しい気持ち、嬉しい気持ちから出て来る言葉には、すべてそれを示す信号のようなものが付いているのだもの」
長嶋は愛華の忠告に従って毎日柚季のお見舞いに行くことを決めていた。
そして、柚季の着替えなどは愛華の母親に準備してもらい、それを自分が送り届けることを決めていたのである。
みんなが帰った後、柚季はすぐに井上に教えられた尿管伸ばし体操を試みていた。
その後も数回それを繰り返した効果があったようで、それから二日後までに柚季の腎臓に残っていた四個の結石がすべて流れ出してしまったのである。
しかも、結石が尿管を通過するときの傷みもそれほど感じることが無かったのである。
これですっかり痛みの取れた柚季だったが、愛華に言われた通り、このまま数日間は入院を続けることを決めていたのである。
奥居翔を通じて、カワイガールズの二人の知り合いが入院したことを聞いたリトルシスターズの二人は、自分達も何か役に立てることをしたいと申し出たのである。
そして、以前、谷川麻由の祖母が入院したときに、病院の受付ロビーで十人程度の音楽家が集まって演奏会が開かれたことを思い出し、それと同じような演奏会をすることを提案したのである。
柚季の入院する大学病院にも広い受付ロビーがあるので、出入りの少ない夕方ならここを使って小さなコンサートなら開催することが可能であった。
これを聞いた朱音と香織は、実施することを前提に、柚季だけでなく入院患者みんなが楽しめるコンサートを開くことを考え始めていた。
「香織ちゃん、リトルシスターズがボランティアの演奏会を実施したいと言うのなら柚季さんが退院する前に実施したいわね。どうしようか?」
「朱音さん、それだったら今週の金曜日しかないので、時間的に間に合うかしら。それに、病院からも許可をもらわないといけないし、かなり忙しくなるわ」
この話はすぐに井上や河合にも伝わり、全員がそれに賛成していた。
一番の問題と思えた、大学病院のロビーで演奏会を開催することの許可は、河合がカワイガールズのボランティア活動の実績を病院側に説明することで、すぐに許可が下りたのである。
すでに、同じような演奏会が他の病院でも開催されて好評だったことや、カワイガールズが参加することも、この急な申し入れの実現を後押ししていたようである。
それでも、コンサートまでにはあとわずか三日しかなかったが、合唱部の部員も数人参加してくれることや、一人はエレクトーンを担当することも決まっていた。
さらに、奥居翔はエレキギター、住田環はドラムスを担当することも決まるなど、わずか数日でコンサートの開催が可能になったのである。
柚季の入院した大学病院で、ちょうど柚季の退院する金曜日の夕方に『金曜日の夕べのコンサート』が開催された。
出演者は、柴崎朱音と町田香織のカワイガールズ、谷川麻由と藤野すみれのリトルシスターズ、川瀬愛華、エレキギターを担当する奥居翔、ドラムスを担当する住田環、エレクトーンと合唱を担当する合唱部の六人が参加していた。
コンサートは午後五時に開幕し、まず、カワイガールズの二人が『二人のかけ橋』と『思い出に守られて』を披露した。
次に、リトルシスターズの二人が『いつから好き』を披露し、その後に愛華も参加して『季節と共に』と『小さなひまわり』を披露すると、コンサートは大盛り上がりになっていた。
最後に、『オラシオンリング』を全員が参加して歌い上げ、これを本日の締めくくりとした。
コンサートは八十人余りの観客の、感動の大拍手に包まれて終了したのである。
このとき、愛華にはアイバットグラスを通して松山柚季とのっぽさんの二人が手をつないで聞いている様子がシルエットとして見えたのである。
これを確認した愛華はセイラにこんな報告をしていた。
「ねえ、セイラにも見えたでしょう。どうやら私は、柚季さんとのっぽさんの愛のキューピットになれたのかも知れないわ!」
AI少女M 〔 完 〕