土曜日の午後、愛華は小さなデイバッグを背負い、マスクをして顔が見えないようにして出かけた。
他人にぶつかられないようにするために、視覚障害者であることを示す白いつえを持っていた。
新百合ヶ丘駅に着き、エスカレーターに乗って改札を出ると、週末の午後ということもあり、多くの人でにぎわっていた。
広いペディストリアンデッキを歩き始めると、間もなく聞きなれた歌声が耳に入ってきていた。
それで、すぐ先に奥居翔と住田環の二人が路上ライブをしている会場があることがわかった。
さらに、二人の歌声が聞こえて来る所までには多くの人垣があることもわかり、愛華はその人垣の後ろの方で二人の歌を聞くことにしたのだ。
すると、間もなく誰かが自分に近づいて来る気配を感じた。
「愛華ちゃん、どうしてここにいるの?」
朱音の声であった。それに続いて香織の声も聞こえてきた。
「柚季さんと一緒に来たの?でも、柚季さんはどこにも見当たらないわ?」
愛華を見つけた朱音と香織が驚いて声をかけてきたのである。
このとき、朱音と香織の二人も素顔が見えないようにマスクをしていたのである。
「こんにちは、朱音さん、香織さん。セイラから奥居さんと住田さんの路上ライブがあると聞いたので、私も行ってみたくなって一人で来ちゃったの」
「すごいわ、愛華ちゃん。家からここまで一人で来るなんて、大変じゃなかったの?」
「朱音さん、それは大丈夫なの。セイラがずっと道案内をしてくれているから大丈夫なの」
「そうだったわ。その眼鏡をかけているとセイラと連絡が取れるのよね」
三人が楽しそうにそんな会話をしていると、住田環がカワイガールズの二人と愛華がいることに気が付いた。
そして、演奏中の曲を歌い終わると、マイクを通して三人に声を掛けていた。
「朱音さん、香織さん、愛華ちゃん、こちらに来て下さい~」
そう呼ばれた三人は、申し訳なさそうに人垣を押し分けて二人の元まで近づいて行った。
「みなさん、カワイガールズの二人です!」
住田環がマイクを通してそう話すと、“ウォー”という歓声が上がっていた。
「さすが、カワイガールズの二人だね。今までの盛り上がりとは全然違うじゃないか!」
今度は、奥居翔がマイクを通してそう話すと、さらに大きな歓声が上がっていた。
「せっかくだから、カワイガールズの二人にも何か歌ってもらいましょうか?」
住田がそう声を掛けると、『オラシオンリングが聞きたい!』という歓声が上がり、それに対して多くの拍手が上がっていたのである。
「わかったわ香織ちゃん、歌おうよ?」
「もち論よ、朱音さん!」
こうしてカワイガールズの二人も路上ライブに参加することになった。
奥居がエレキギターを弾き、住田が電子ピアノで伴奏し、二人は“オラシオンリング”を歌っていた。
二人がオラシオンリングを歌い終わるころになると、さわぎを聞きつけた多くの通行人が集まって来ていた。
それでも、このままでは終われないと感じた四人は相談して、愛華にも参加してもらい、『小さなヒマワリ』を歌うことを決めていた。
「いいわ。何だか私も参加したくてたまらなくなってしまったの」
「さすがね、愛華ちゃん。そうこなくっちゃ!」
愛華もこの提案に賛成してくれたので、住田はピースのサインを出していた。
「みなさん、今日は私達の親友の川瀬愛華ちゃんも来てくれました」
「彼女は小学校六年生なのに、先日発売したCDの『青い星に生まれて』の生みの親なのです」
住田に続いて奥居が説明すると、会場は“愛華”、“愛華”という歓声に包まれていた。
「それでは、せっかくなので、そのCDに収録されている『小さなヒマワリ』を歌わせてもらいます」
住田がそう案内すると、会場はまた大きな歓声に包まれていたのである。
今度は愛華の語りも入れた“小さなヒマワリ”を披露していた。
この曲が終わるころになると、ペディストリアンデッキにはさらに多くの通行人が集まり、収拾のつかない状態になっていたのである。
さわぎを聞きつけた駅前の交番の警察官も何人もやって来て交通整理が必要なほどの盛り上がりになっていたのである。
こうなると、さすがにこれ以上には路上ライブを続けられる状態ではなくなっていた。
「ごめんなさい、本日の路上ライブはこれで終了とさせていただきます」
住田がそう挨拶をすると、今度は“たまき”、“たまき”という歓声が上がっていたのである。
五人は後片付けを済ませると、タクシーに乗って隣駅まで行き、駅の近くにある喫茶店に入っていた。
「まさか、僕らのライブ会場で愛華ちゃんに会えるとは思ってもいなかったんだよ。あまりにもびっくりしたから、ついカワイガールズの二人にも路上ライブに参加してもらうことを考えたんだ」
「翔ちゃん、すごかったわね。今までライブをしてきた中で最大の盛り上がりになったもの」
「やっぱり、メジャーを目指すことはすごいことだし、責任も大きなことを経験させてもらったよ」
しばらくこんな談笑を続けていると、香織が愛華に尋ねていた。
「愛華ちゃんはどうしてこの路上ライブに来ようと考えたの?」
「実は、セイラを通して奥居さんと住田さんに相談をお願いしていたんです…」
そう言って、愛華はこれまでのいきさつを四人に話していた。
そして、デイバッグの中に入れていた歌詞を書いた紙を奥居と住田に手渡していた。
それを先に読み終えた住田環が最初に感想を口にしていた。
「愛華ちゃん、随分と明るい詩なのね。今までとは全然違うわ!」
「クラスメイトの青山瑠美子ちゃんから聞いた話をそのまま言葉にしただけなの」
「愛華ちゃん、それが大切なことなのよ。そのお友達の思いがそのまま詩になっているもの」
「環さん、ありがとうございます」
次にこれを読み終えていた香織も感想を口にしていた。
「小学校六年生の恋の悩みだなんて新鮮ね。朱音さんはそのころ何をしてたの?」
「私はピアノを習っていたから、空いた時間にはいつもピアノの練習をしていたわ」
「私は男の子も含めたグループでスケートに行ったことがあるの。でも、男の子達はみんな初心者で、ぜんぜん頼りにならない印象だったわ」
カワイガールズの二人が楽しそうにそんな昔話をしているのを聞いていた奥居と住田も小学生のころを振り返っていた。
「僕が小学生のときには、好きでもそれを告白するなんてことは考えられなかったね。いつも男の子のグループだけで行動していたんだ」
「私が小学生のときには好きな子がいたわよ。やっぱり足の長い男の子だったもの」
そこでは、作曲は奥居と住田が担当し、歌うのは自分達よりも若い子の方が適任だろうということで、二人の利用している音楽スタジオで知り合いになった、ちょうど小学六年生の女の子が二人いるので、この二人のデュエット曲にすることが提案されていた。
この二人は、一応音楽プロダクションに所属しているが、毎週この音楽スタジオに歌の練習に来ていて、とても一生懸命に練習しているそうなのだ。
二人共とっても澄んだ歌声をしており、この詩にぴったりの歌声になるのではないかとの提案であった。
愛華がその提案に賛成したことで、住田環と町田香織の二人が愛華と相談をしながらこの詩がデュエットで使えるように少し内容を変えたり、少し構成を変えたりする作業を開始していたのである。
それを聞きながら、奥居翔と柴崎朱音の二人はこの詩にあうメロディを考えていた。
間もなくこの作業が終了し、曲のタイトルも『いつから好き?』に決まったのである。
「すごいな、住田さんと香織さんは。私はこの新しくなった詩の方がずっと好きだもの」
「何を言っているのよ、愛華ちゃん。使っている言葉は全部愛華ちゃんが考えたものなのよ!」
「そうね、香織ちゃん。みんなの意見を取り入れると、うまく行くことも多いものなのよ」
「それなら、私と香織ちゃんで朗読してみるわね」
そう言って、香織がメイン、住田がサブという形で歌詞を朗読し始めた。
『いつから好き?』 作詞;川瀬愛華
1 偏差値なんて気にならないけど(本当、どうでもいいのよね)
彼に近づこうとがんばった(算数が、今一だったの…)
テストの後の彼との約束(少しどきどきしていたよね)
この次もライバルでいよう(そ、そんなあ~)
ニュートン、旅人、組み合わせ、彼との話題はそれだけだけど
私はそんなのどうでもいいの、教えて欲しいの彼のこと
2 みんなで出かけた遊園地(もう、じゃまな人が多くて)
気付けばいつでも彼の横(ここは私の場所よ…)
ときどき触れる彼の肩(本当はひじが多いのよね)
私にマグマ注いでる(燃え尽きたら、どうするの~)
こそあど言葉に、故事成語、彼との話題はそれだけだけど
私はそんなのどうでもいいの、教えて欲しいの彼のこと
3 いつから気付いた長い脚(本当、すらっとしているよね)
切れ長目尻に惹かれていた(私の胸に突き刺さるの…)
三日月だった恋心(確か、右から満ちるのよね)
知らずに満ちてそのままよ(しかも、沈まないの~)
水金地火木、土天海、彼との話題はそれだけだけど
私はそんなのどうでもいいの、教えて欲しいの彼のこと
この歌詞の、初めの四行はボーカルの二人がメインとサブに分かれて歌い分け、残りの二行はデュエットになることを考えていた。
少し重かった詩が、二人で歌い分けることでテンポの良い軽いタッチのものに変わっていたのである。
「楽しそうな曲になりそうだわ。練習が始まったら私もそれを聞いてみたいわ」
「香織ちゃん、そうしようよ。私達もその子達の練習に立ち会おうよ!」
「そうしようよ、朱音さん。何だか放ってはおけない気がするのだもの」
カワイガールズの二人もできるだけこの企画に参加することで、この話は決まっていたのである。
この先の活動の相談を終えた五人は、そこで分かれ、朱音と香織の二人は愛華を家まで送って行くことにしていた。
愛華の住むマンションの玄関についたとき、朱音は途中に“たい焼き”の店があったことを思い出し、そこでみんなのおやつを買って来ると言って、一人で来た道を引き返していた。
香織と愛華が先に部屋に戻ると、セイラが出迎えてくれた。
「香織さん、“おいでやす”」
「こんにちは。相変わらずセイラは面白い子ね!」
朱音がいなかったことを幸いと考えた香織は、井上と松山柚季との関係を愛華にたずねていた。
「愛華ちゃん、柚季さんとアッ君はどんな関係なのか知っている?」
「柚季さんはアッ君のことはとっても尊敬しているの。でも、最近は大学の同じ事務局を運営する山本さんと言う名前の男の人と一緒に私を訪問してくれることが多くなっているわ」
「それなら柚季さんはその男の人と仲が良いのかしら?」
「私には良くわからないけれど、山本さんが柚季さんを好きなのは確かだと思うの」
「それなら問題はないわね」
香織がそんな返答をしたことに愛華は驚いていた。
「香織さん、問題がないとはどういうことなの?」
「それはね、朱音さんはアッ君のことが好きなことなの」
愛華はそれを聞いてうれしそうに答えていた。
「アッ君はもてるのね」
「私はトモ君がいるから平気なんだけれどもね」
今度は、そんな二人の会話を聞いていたセイラが香織に質問をしていた。
「香織さん、『トモ君がいるから平気』とは、どういうことですか?」
「そうねえ、『トモ君がいつも私のことを考えてくれているから、私はいつも他の人のことを考えることができる』と、いうことなのかな」
「そういうことなのですか。それなら、アッ君はいつも朱音さんのことを考えているとミナちゃんが言っていましたから、朱音さんも平気なのですね?」
「セイラは上手いことを言うわね。それなら、もう私が心配しなくても二人はきっと付き合うようになるはずだわ。だから、朱音さんも平気なのよ」
「香織さんはそんな心配までしてあげているの?」
愛華には、井上と朱音はいつも仲良く付き合っていると思っていたのに、香織が心配するような問題があるらしいことを不思議に感じたのである。
「そうなのよ。あの二人はお互いに好きなのに、何故か二人共それが言い出せないの」
「そうなのか…。きっと、瑠美子ちゃんの気持ちも同じなのね…」
そんな会話をしていると、朱音が戻って来ていた。
「朱音さん、“おいでやす”」
「こんにちは、セイラ。私にはもう一人の香織ちゃんがいるように思えるわ」
朱音が戻って来るのを待ちかねていた香織が話し始めていた。
「朱音さん、セイラがミナちゃんから聞いたことをまとめると、『朱音さんも平気』なんだって」
「香織ちゃん、いきなり何を言い出すかと思ったら、それはどういうこと?」
「それはね、アッ君がいつも朱音さんのことを考えてくれているから、朱音さんは何をしていても構わないということなの」
「そんなことないわよ。アッ君は忙しいのだから、私が助けてあげないといけないくらいなの」
「何言ってるの朱音さん。アッ君が朱音さんの頼みを聞いてくれなかったことは有るの?」
香織にそう聞かれ、朱音はそんなことは今までに考えたこともなく、これまでの記憶を辿っていた。少しずつ、二人が出合った頃からのことを思い出してみると、自分が望んだことは全て叶えられていることに気が付き、胸が熱くなってくるのを感じていた。
「香織ちゃん、もっと多くアッ君と連絡を取るようにするわ」
「そうよ。一歩を踏み出すだけでいいのよ。それだけですべてが変わってくるはずよ!」
そんな会話をしたことで、三人は仲良しの姉妹のように打ち解けて会話を続けていたのである。
『いつから好き?』の曲の方は、五人が会ったときに朱音が考えたフレーズを元に、残りを奥居が作曲することできれいなデュエット曲に仕上がっていた。
全体のイメージとしては、中学受験の勉強をしながら、自分の恋にも向き合っている少女の気持ちを、ただ打ち消すのではなく、こういった経験も含めて育っていくのを見守って欲しいとの願いが込められたものであった。
二週間後の土曜日に、このスタジオでリハーサルをすることになり、愛華を除くメンバーが集まっていた。
そこで、初めてボーカルを担当することになった二人とカワイガールズの二人が対面していた。
「この二人がこの歌を歌ってくれる谷川麻由ちゃんと藤野すみれちゃんよ」
「初めまして、谷川麻由です。私はカワイガールズの大ファンで、お会いできてとってもうれしいです!」
「こんにちは、藤野すみれです。会うのは初めてですが、カワイガールズの歌はいつも聞いています!」
住田が朱音と香織に二人を紹介すると、二人はうれしそうに挨拶をしていた。
「こちらこそ宜しくね。柴崎朱音です。良い歌になるといいわね」
「こんにちは、町田香織です。みんなで頑張ろうね!」
そこで、早速本番さながらに奥居と住田の伴奏に合わせてこの歌のデュエットの練習を開始したのである。
すると、一回目のテイクですでに二人の息はぴったりと合っていたのである。
これには、奥居と住田がこの曲をICレコーダーに吹き込んだものを二人に渡してあったので、二人共これをしっかりと練習してきていたからであった。
「二人共、本当に上手ね。とても小学校六年生とは思えないわ」
「でも、このままだとこの曲のイメージにはちょっと合わないかも知れないわ」
香織に続いて朱音も正直に感想を言っていた。
「すみません、どうすれば良いのですか?」
二人は共にカワイガールズのアドバイスを真剣な表情になって求めていた。
「そうねえ、少しビブラートが効きすぎていて大人っぽくなり過ぎてしまっているの。このままだと、小学校六年生が設定のこの詩と曲のイメージからは少し外れてしまっていると思うの」
「確かにそうだわ、朱音さん。ビブラートを聞かせるのは最後のひとフレーズだけにした方がいいと思うわ。それまではフラットな感じで歌い、二人の掛け合いを聴かせるの。そして、最後に少し大人の女の色気を感じさせるのよ」
「香織ちゃんたら、『大人の女の色気を感じさせる』だなんて…。二人の歌声は、フラットなままでもすごく聴き心地が良いの。だから、この曲にはそれが一番必要とされていることだと思うわ」
「わかりました、ありがとうございます。そのように歌ってみます!」
二人は笑顔になって口をそろえて答えていた。
そして、カワイガールズのアドバイスを取り入れて歌い直してみると、やはり、あどけなさが残ったことで新鮮さが感じられるデュエット曲に変わっていたのである。
「奥居さん、住田さん、こんな感じでいかがですか?」
香織がその歌を聞いて満足し、奥居と住田に感想を求めていた。
それまで何も言わずに四人のやり取りを見ていた奥居と住田の二人がようやく感想を口にしていた。
「君達はやっぱりすごいね。この詩にぴったりの歌になったよ」
「私もこれでとても良いと思うわ。これなら明日にはレコーディングができるわね」
河合が初期費用を負担すると言うことで、この音楽スタジオが必要な演奏家を手配してくれることや、CDの販売権は二人の所属する音楽プロダクションが持つなどの契約ができており、すぐにレコーディングをして売り出してくれることが決まっていたのである。
ここでは、二人のデュオ名もカワイガールズの妹分ということで『リトルシスターズ』と決まっていた。
『いつから好き?』のCDが発売されると、この曲は小中学生の間で人気になっていた。
そして、二週間ほどすると、クラスメイトの青山瑠美子が愛華にこんな報告をしてくれた。
「愛華ちゃん、彼がね、中学受験が終わったら二人で遊園地に遊びに行こうと約束してくれたの!」
「本当なの、瑠美子ちゃん。それは良かったわね。何だか私もうれしくなってきちゃったわ!」
「きっと、“リトルシスターズ”の歌う『いつから好き?』の歌を聞いて、自分も何か行動をしたいという気持ちになったみたいなの。本当に“リトルシスターズ”には大感謝よ!」
「それなら瑠美子ちゃん、これからは受験勉強にも集中できるわね!」
「何だか愛華ちゃんに相談したことがきっかけになったと思うの。だから、愛華ちゃんにもお礼を言いたくなってしまったの」
愛華は、詩と曲が人に与える影響が大きいことを改めて噛みしめていた。
それと同時に、カワイガールズの二人と、奥居翔と住田環に対する感謝の念が湧いてきたのである。
そして、今後も人の気持ちを詩で代弁することが、目標としているカワイガールズのように、他人のために自分がしなくてはならないことだと確信していたのである。