聴く耳があれば、心を開いていれば、
この世界の真実やシステム、生きる理由など、
知りたいとゆう欲求があるなら必ず肉体が終わりを迎えるまでには知ることができると思うのです。

素直でいることです。思い込みを手放すことです。観念を手放すことです。それは信じているあなたにとっての真実かもしれません。

そう、今持っているもの、信じているものがあなたにとっての真実かどうか見分ける方法があります。

あなたにとっての信じているものがあるとします。それは心地よいものですか?気持ちのいいものですか?100%一点も曇りがなく爽やかな感覚でしょうか?もしそうではなければ、それは真実ではありません。恐れが支配しています。

真実は抱き締めたり大切にするものではなくて、手放した状態に在るものでした。

そう、手放した状態から見えるもの、手放した状態から信頼できるものです。それはとても楽で自由で暖かく、安心していられる状態です。死さえ怖くなくなります。

ただ、肉体への痛みに対するの恐れからは解放されません。ある程度の痛みは意識で解放できるのは解ります。しかし七転八倒する痛みのことです。もし私がそれに答えるとするなら「今この瞬間、私は穏やかで幸せです。起きてもいないことを、今ここに無いことをわざわざ考えるのは滑稽なことです。それは存在していません」と答えを出します。

どんな覚醒者も悟りを拓いた者も、肉体の痛みについて語っているものには出会ったことがなく、その点において誰か私に教えてください。私たち人間はどんなことも幸せに変えられます。世界を創れます。世界は思い込みな故、世界を変えることができるのです。

しかし痛みだけは、私ではないものに支配され牛耳られる感覚と裏切りに思えるのです。肉体を持った唯一の棘でしょうか。