いつも感想メール楽しみにしています。
誰かの参考になって欲しいという思いで、
今回は感想を送らせて頂きます。
群馬県のS.Kです。宜しくお願いします。


私が電話鑑定をお願いしたのが、裕先生です。
ありふれた言葉で申し訳ないのですが、
とても穏やかで話しやすい方でした。


私にとって話しやすい方は重要です。
誰にも言えないような身の上話や、
身近な人に知られたくない本音、
そのような話をする身としては、
声の印象は大切だと思っています。
裕先生への第一印象は「信用できそう」でした。


私は、中学・高校といじめを行っていました。
中高一貫性の学校でしたので6年間ずっとです。
その事は、私の両親や姉は知りません。
いじめていた相手は、同じクラスのA子。
A子は、右半身が動かない障害を持っていて、
毎日のように馬鹿にして笑いものにしていました。


当時の私は、両親の不仲や勉強のストレスなど、
心がとても荒れていて、誰かに怒りを
ぶつけたくて仕方なかったのです。
少しでもかばう子がいたら、いじめの対象にしました。
みんな怯えて、何も言わなくなりました。


A子はいつも唇を噛みしめて、
いじめに耐え続けていました。
学校を休まず通い続けていた事にも腹が立ち、
いじめはどんどんエスカレートしました。
私はA子に「死ね!」と何度も言いました。


そのまま高校を卒業し、A子ともバラバラになり、
私はA子の事なんてすっかり忘れました。
二十歳になった夏でしょうか。
私は交通事故に遭いました。
信号無視の乗用車と激突し、下半身不随になりました。


自分の障害が受け止めきれず、
ふと蘇ったのは障害を持っていたA子の顔。
私はA子の呪いだと思いました。
自分のしてきた事も顧みず、
全てA子のせいだと確信した私は、
A子の家に電話をし、文句を言ってやろうと思いました。


電話口に出たのは母親らしき人。
A子に代わって欲しいと伝えるとこういいました。
「A子は3か月前に亡くなりました」
と言われ、私は恐ろしくなり電話を切りました。


A子が死んだ。私の下半身が動かなくなった。
A子の呪いが、本物だったのだと確信しました。


それからというもの、私の周りは不幸の連続。
母が精神を病んで長期入院。
すぐに父がくも膜下出血でこの世を去りました。
結婚が決まっていた姉が破談になり、
姉は自殺未遂をして、うつ病を発症しています。


私はA子の呪いに日々追われ続けるうち、
恐怖でA子に謝り続ける毎日を送りました。
そのたびに「今更遅い」という声が聞こえる気がして、
藁をもすがる想いで、裕先生に辿り着いたのです。


「私の呪いを早く解いて下さい」と
急き立てるようにお願いしてしまいました。
毎日のように心がざわついて仕方がなかったのですが、
裕先生のヒーリングの力が働いたのでしょうか、
裕先生との鑑定のあいだは、
落ち着きを取り戻せたのを覚えています。


「A子さんの呪いじゃありませんよ。」
そう言われた時は、最初信じられませんでした。
ずっとA子のせいだと思い込んでいたので、
考えを変えるには時間が必要でした。


「むしろご先祖様の怒りを感じます。
お父様方の先祖にあたる方ですね。
家系すべてというよりも、
特にSさんのご家族に対しての念が強いです。」


そう言われて、ふと思い当たったのは、
父が遺産相続をした際に、
先祖代々住んでいた家をさっさと壊して更地にし、
土地を売却してしまった事なのではと思いました。
更地になる前に、私はその家の夢を見る事が多く、
時にはうなされる事があったのを、思い出しました。


裕先生曰く、その家や土地は、
この先ずっと守らなければいけなかったのに、
父は強欲な人で、お金に目がない人だった為に、
先祖や親戚の想いを踏みにじってしまったようです。


「この先ずっと恨まれ続けるんですか?」
私は絶望していました。こんな酷い不幸を体験し、
もっと不幸な事が起きると思うと恐怖で仕方ありません。


「とても強い念なので少し時間がかかるかもしれませんが、
ご先祖様の想いを浄化する必要があります。」
裕先生は除霊をするといいました。
半信半疑ながらも、私の道はそれしかないと思い、
裕先生にお願いをしました。


私たち家族にまとわりついているものが、
相当強いものだった事は、
何の力もない私でも、少しずつ感じていました。
残された家族、頼れるのは裕先生しかいませんでした。


裕先生に除霊して頂き、半年ほど経過した頃でしょうか。
姉のうつ病がかなり良くなり、仕事も始めました。
母も、治療がうまくいって、もうすぐ退院できそうです。
全く不幸がないというと嘘になりますが、
以前に比べると、たいへん穏やかな毎日に感じます。
それが、どんなに幸せな事か・・・。


私は自分の障害とようやく
向き合えるようになってきました。
車いすの乗り方がもう少しうまくなって、
1人で電車に乗れるようになったら、
私はA子の家に行こうと思っています。
今更何ができる訳ではないけど、
A子の両親に謝りに行こうと思っています。


裕先生にA子の事も聞きました。
「A子さんはね、病気で亡くなったみたいです。
とても心が綺麗で優しい人だったから、
人より人生の修業が短くてすんだのかもしれません。
素晴らしい人ほど短命だというでしょう。
だからね、A子さんは、あなたのこと
全く恨んでなんかいませんよ。」


私はその時、自分の小ささを知りました。
A子はその優しい心で、
私の怒りをずっと受け止めていたのでしょうか。
私の事を憎む事もなく、耐え続けていたというのでしょうか。
A子は私のいじめの事を誰にも言いませんでした。
おかげで、私の悪行は誰にもばれずに済みました。
私は、A子に守られていたのかもしれません。


私はA子のような障害をかかえて、
同じように苦しい想いをする事でしょう。
馬鹿にされたり、笑いものにされても、
全ては、私がしてきた事への代償です。


人を傷つける事は、形をかえて自分の元へ返ってくる。
まさに、身を持って経験したのです。

裕先生と出会わなければ、
私は自分の過ちを受け止めず、障害からも逃げ、
この世からも逃げていたかもしれません。

あの日、あの時、裕先生に鑑定してもらおうと、
決断していて良かったと思っています。

私は許される人ではないけれど、
私のような人を増やさない為にも、
自分にできる事をしていこうと思います。
A子という存在を背負いながら。


群馬県 S.K