クーデターで第16代王に即位した「仁祖」(インジョ)の時代は西人派の派閥政治でした。この時代は中国では明と後金の戦国時代で、朝鮮王朝は「親明、反後金」を鮮明にしたので、後金からの侵略が後を絶たず、外交に苦しみます。
 その後、後金が清になり、朝鮮は清の冊封国(名目的な君臣関係)になります。「仁祖王」の息子で清の人質になり、新しい思想で朝鮮に帰ってきた「昭顕世子」は、父「仁祖王」や西人派と仲が悪くて早くに亡くなります。王による毒殺という噂もあり、世継ぎには、「仁祖王」の弟が第17代王「孝宗」(ヒョジョン)として即位します。
 この頃のドラマとしては「イルジメ」「フュージョン時代劇快刀ホンギルドン」などを観ましたが、まだ朝鮮の歴史を知らなかった時なので、見ていてもあまりわけがわからなくてドラマだけを楽しんでいました。。
 
 「張禧嬪」の時代は第19代王「粛宗」(1674~1720年)(スクチョン)の時代で、「粛宗」の母は先代18代王「顕宗」(ヒョンジョン)の妃「明聖大后」で西人派です。「粛宗」とは血の繋がっていない祖母の第16代「仁祖王」の第2王妃、「荘烈大王大后」がいます。南人派です。西人派と南人派の争いがあります。
 「粛宗王」と母の「明聖大后」は仲が悪く、大后としては王を守りたい一心ですが、王と王妃が天然痘に感染し、王妃が亡くなったことを王に知らせなかったことで、回復した王は決定的に母を許せなくなりました。
 「粛宗王」は朝廷の謀反、派閥争いの中、飢える民を案じる良い王様として良政を敷きます。
 オクチョン(後のチャン・ヒビン)と王は、市中見回りのときに出会います。オクチュンは女官になった初日に再び王と宮中で出会い、その夜王と結ばれて承恩をうけます。
 同じ頃、2人目の王妃も宮中へ入宮します。王妃は容貌も心も美しく、非の打ち所のない女性なのですが、王はオクチョンの誘惑や、涙の演技に夢中になり、王妃は毎夜一人寂しく王を待つことになります。王妃は西人派、オクチョンは南人の推薦を受ける南人派で、今後両派は激しく争うことになります。
 王と結ばれたオクチョンは大后の猛反対にあい、宮中を追い出され、命を狙われ、流産をします。
 大后は王が天然痘に感染したため、祈祷をしますが、薄氷の張った冷水を300回あびて亡くなってしまいます。オクチョンの入宮を阻む人がいなくなって、「チャン淑媛(スグォン)」(側室の1番下の階級)として宮中入りをはたしますが、6年の歳月が流れていて、その間は王族の東平君に匿われていました。
 オクチョンのいない間、西人派の推すキム貴人が側室として入宮しますが、王は見向きもしません。
 王の寵愛を一人占めするチャン淑媛(スグォン)は王妃への反抗も露骨になり、朝廷の臣下を陥れ、王はチャン淑媛の進言で大臣を罷免させるとも噂されます。人徳のある王妃ですが、チャン淑媛の行いにはきびしい叱責をします。
 王妃の兄(ミンジヌ)は王の怒りを買い、罷免され、素行の悪いチャン淑媛の兄(ヒジェ)は王の前で一芝居を打ち、朝廷へ。
 チャン淑媛は階級があがり淑儀(スギ)になり王子を産みます。王は王子を第1王子として認め、チャン淑儀は「禧嬪(ヒビン)」(側室で1番上の階級)へ格上げされ、チャン禧嬪(ヒビン)になります。子供を産めない王妃は肩身がせまくなり、とうとうチャン・ヒビンが権力を手にし、後ろ盾である東平君、南人派が勢いづきます。
 西人派の長老が王子の称号の取り下げを願いますが、王は怒り、3代続く権政を誇っていた儒学者である長老を追放し、西人派の大臣たちも罷免します。
 チャンヒビンの王子誕生で政局が大きく変わっていきます。
 
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