職業空手家14 | 勇志会空手道

勇志会空手道

勇志会空手道 誰もが安心して学べるカラテを実践しています。少年少女がいつも元気に。心身強化。運動不足、メタボ解消したい。シェイプアップ。
お子さんに礼儀と積極性。幼稚園生、小学生から、社会人、高齢者まで老若男女、一緒に気持ちいい汗をかいてみませんか。

さて勇志会空手道総本部ですが最初の数か月こそ大変な思い

をしたものの道場生は順調に増えていき、きちんと運営できる

ようになっていました。

その頃の生活は朝7時に起きて会社に行き仕事が終わったら

すぐに道場に行き道場を開けてから稽古指導、10時半か11時

ころに道場を閉めて遅い夕食、その後道場の事務仕事をかたず

けて寝るのはいつも1時半か2時くらいでした。

朝走ることは疲れて出来ず、自分の稽古は道場にある器具を使った

ウエイトトレーニングくらいで道場稽古は基本稽古は一緒にやります

がその後は指導に専念して自分の稽古にはなりませんでした。

毎日稽古が出来てウエイトトレーニング、サンドバックトレーニングが出来る

環境をつくりながら、皮肉にも自分は道場の維持運営で頭がいっぱいになって

しまい自分の稽古にまったく身がはいらなくなってしまったのもありました。

そんなこんなで2年目に入ったころ会社で営業に移動の辞令が出てしまいました。

営業に移ると今までみたいに定時に上がるのは無理どころか帰りの時間も読めなく

なってしまいます。

いよいよ空手をとるか仕事をとるか決断しなければならなくなってしまいました。

もともと空手で得た収入は家賃やその他空手の経費に使い、家族の生活は会社

の給料で賄う考えだったので非常に迷いました。

勇志会空手道の道場生は増えていましたしフルコンタクトカラテは盛んでしたが、

当時のフルコンタクトカラテはイコール極真空手であり、その他の団体が、ましてや

うちみたいな小さな団体が常設道場を運営するだけでも大変なのに、そのうえ空手

だけで生活をしていくことがいかに困難か火を見るより明らかでした。

常設道場をつくったのは道場生が強くなるための環境づくりのためであり、それで

生活しようという発想はもともとありませんでした。昔、佐藤塾で職員になれたらと

考えたこともありましたが、それは自分自身の稽古をもっと充実させて、もっと強く

なりたいとの思いからで現役を引退した後こんな形で専業にしようとは思っても

いませんでした。

けれども決断しなくてはなりません。道場生は増えており逆に無責任に「もう道場は

やめます。」とは言えません。結局会社は辞め、空手1本で生活することに決めました。

会社の社長には大変可愛がってもらっておりお世話になっていたので退社の挨拶の

時に正直に事情を話させて頂きました。その時の社長の言葉は今でもはっきり覚えて

います。

「君が空手をやっているのは知っていましたが草野球をやるのと同じような感覚でやって

いると思っていました。そこまで空手にエネルギーを注いでいるのであれば空手を専業に

するべきです。しかし、君がこれから歩もうとしている道は修羅の道ですよ。」

社長は何もないところから会社を興し一代で苦労しながら社員100名を抱えるまでに大きくされた

方なので、自分ひとりで会社なり団体なりを引っ張っていくということがどういうことなのかいろいろ

見えていたのだと思います。その時はピンときませんでしたが後々その言葉の意味を深く知ることと

なります。

こうして1995年1月より35歳で空手を職業として空手1本で生活をしていくことになりました。勇志会

空手道を興して5年が経っていました。