鍛冶俊樹の軍事ジャーナル(11月12日号)

三島由紀夫と最後に会った青年将校

 

 元陸上自衛官で防衛大学校教授でもあった西村繁樹氏の著書「三島由紀夫と最後に会った青年将校」が先月、並木書房から出版された。

www.namiki-shobo.co.jp/

 西村氏については、昨年の11月24日号「三島由紀夫が復活する」で紹介しているので、それをそのまま、引用すると

【西村氏は、防大4年生のときに、陸上自衛隊の施設で当時、体験入隊中だった三島と偶然出会い、その後、陸自の将校に任官してからも交流があった。三島事件の1か月前にも会っており、事件後は三島の檄文を隊員の前で読み上げて、陸幕から睨まれたという。

つまり自衛隊上層部から危険人物視された訳だが、それを救ったのが当時内局に出向中だった外交官の岡崎久彦だった。岡崎は内局で氏に会って「君は三島が最後に会った男だそうだな」と言ったという。

その後、米国のランド研究所に派遣されたが、そこでの米ソ冷戦下における日本の核戦略上の立場に関する研究は、1980年代の中曽根政権の安保政策の基礎を築いた。また1990年代にはハーバード大学に派遣され、米ソ冷戦後の日米安保体制の在り方に強い影響を及ぼした。】

https://ameblo.jp/karasu0429/entry-12421237162.html

 

 三島は、自決の数年前から自衛隊によるクーデタを画策しており、当時の自衛隊の上層部にも働き掛けていた事は従来から知られていたが、本書はその具体的な動きを初めて明らかにしている。

 私が本書で最も注目したのは、当時の皇太子殿下(現上皇陛下)について、三島は青年自衛官たちにこう語ったと言う。

【「皇太子殿下(のちの天皇、現上皇)は私が怖いらしく私に会おうとなされない」と明かした。三島は皇太子殿下にご進講をしたいようであった。】

 

 三島は、学習院高等科を首席で卒業しており、昭和天皇から恩賜の銀時計を賜っている。上皇陛下の学習院での先輩に当たる訳で、三島の親友で評論家の藤島泰輔は陛下のご学友でもあった。また三島の小説「英霊の声」は昭和天皇批判で有名だが、これが出版され評判になった年の園遊会に参列して昭和天皇と対面している。

 こうした事実を踏まえると、三島が当時の皇太子殿下に面会を求めていたとしても不思議はない。ちなみに三島が自決した直後に、皇太子殿下はある著名な文学者と面会され「今回の事件は政治的なものでしょうか、文学的なものでしょうか?」と御下問されたという。

 

 三島事件は、三島の文武両道の終着点であり、政治性と文学性の交点に位置していると考えられるから、御下問は期せずして事件の核心に触れていたことになろう。その文学者の答えは「文学的なものでしょう」だったとの事である。

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10月31日号「引くに引かれぬアメリカ軍」の動画解説がUPされた。

https://www.youtube.com/watch?v=hJsLDVoWsUw&feature=youtu.be&fbclid=IwAR3aIl0BDU1TJSTy1KPWYQekbWfKowyYnDY6cgjLZKS2P61OcVB5AHEkgcM