こんにちは。『アドラーの森つちうら・つくば』です。
今日はパセージ第三章で、みなさんのお話の中で特に【自立】について考える章になりました。
パセージでは三章で課題を分けることを学びます。
パセージでは自分の課題を自分一人の力で解決することを自立と定義しています。
そんな章をみなさんと学んだ帰り、ふと思ったこと。
最近、“外ではマスクを外してよろしい”“体育の授業ではマスクをしなくてよろしい”などというお触れが出ただの出ないだのと聞きますが、
そもそもわたしはこれまでずっと外でマスクする意味がわからず、外でつけたことがありません。
室内でも、黙っている電車やお店では基本外して過ごしています。(以前はつけてましたが、いろいろ調べてやめました)
わたしは【意味のあること】をしたいと強く願って自分の行動を決めています。
でね。
娘はどうかというと、外ではふんわり外し、屋内ではつけるんです。
先日一緒に買い物にでかけたのですが、そのときも一緒に楽しく平和に買い物をして店を出ました。
娘も、「お母さんマスクしないんだね。笑」と笑ったのみで、それ以上わたしに何も言いませんでした。
室内でマスクをしないという行為の結末は、わたしの身に降りかかります。
(出入り禁止になるとか?白い目で見られるとか?注意されるとか?どれもされたことないです(気づいてないだけかも?))
室内でマスクをするという行為の結末は、娘の身に降りかかります。
(目立たないとか?←思春期の娘はコレがめっちゃ大事っぽい)
わたしが娘に【意味のあること】をしてほしいという期待は、娘にとっての【意味のあること】はきっと自分と違うのよねと尊重することでわたしが自分一人の力で解決します。
娘がわたしに【目立つことをしない】でほしいという期待も、きっとわたしを尊重することで娘の中で解決してくれているのだと思います。
うーん
わたしたちって、完全に自立した者同士の親子じゃない?
マスクをするのがよいとか、悪いとか、そういう話ではありません。
自分はどう生きるかを、自分で考えて、自分が決めていく。(もちろん限界設定範囲内でね)
これができるのが、ほんとうの意味での自由なんじゃないかな。
という話です。
そしてその自由が与えられている日本って本当に恵まれた素晴らしい国です!
これからも娘の自立を応援するためにも、
自分自身が自立して生きていきたいなぁとしみじみ思ったことでした。
アドラー心理学を一緒に学びませんか?
お庭の花が少なくなっていて、今はこのお花だけです。(名前がわからない)
蜂さんが熱心にお仕事してはりました。(動かないでと念じたが無理)
みなさんの心が自由で、心身ともに健やかな毎日を過ごせますように