不良少年の映画人生 【訃報:夏木陽介】 | カラサワの演劇ブログ

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何か追悼記事ブログになってしまっている感があるが、俳優・夏木陽介死去。81歳。

 

映画黄金時代の末尾を飾り、続いてのテレビ黄金時代でも人気を博した、最後の“スター”とも言うべき存在であった。芸能界への足がかりは中原淳一の主宰する雑誌『ジュニアそれいゆ』のモデル。大学時代にスカウトされたという。当時、同じく中原の雑誌で男性モデルをやっていた人物に、後の菅原文太がいる。

 

モデルとして少女たちの人気を集め、大学卒業と同時に東宝に入社。デビュー作こそ1958年、『美女と液体人間』での家田佳子とのアベックの男女というチョイ役であったが、同じ年にもう熊谷久虎(原節子の義兄)監督の『密告者は誰か』で主役に抜擢される。この映画の制作された昭和30年代は、少年非行が大幅に増加した時代でもあり、この作品もアパート荒らしの最中に、踏み込んだ刑事を殺してしまう不良少年が主人公だった。時代を映したキャラクターだったわけである。

 

実際、東宝の養成所でも彼はケンカっぱやく、先輩だろうと監督だろうと不満があれば噛みつき、ぶん殴る不良俳優としてならしていたという。東宝がすでにスターだった彼を、厳しい俳優指導で有名な黒澤明に預けたのも、一度再教育してやろうという心づもりだったのかもしれない(1961『用心棒』)。さすがは黒澤で、二枚目スターだからといってまったく容赦しない厳しいリテイクで、かなりしごかれたという。それにしても、不良で有名だった男を、百姓を嫌って家を飛び出す不良息子の役で使うとは、そのシャレのきつさは凄いというか素晴らしい。しかも、冒頭とラストできちんとオチがつき、やくざ嫌いだった黒澤の、メッセージを伝える役を果たさせているのである。

 

もっとも、これで改心したとは言いがたく、その後もやんちゃぶりは治まらなかったらしい。『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964)では、共演者で、スタント・ドライバーでもあったダン・ユマ(ロバート・ダンハム)とカーキチ(死語)同士でウマがあい、毎日、ロケ現場には夏木のポルシェとダンのコンテッサで、公道でレースをしながら通っていたという。今なら問題になるだろうが、大らかな時代であったものだ。この映画での彼が非常にリラックスした演技で、ダンともいいコンビぶりを見せていたのは車が取り持つ縁だったのだろう。

 

『ドゴラ』の本多猪四郎監督とは、その数ヶ月後にまた『三大怪獣地球最大の決戦』でまたコンビを組む。『用心棒』の黒澤明の『赤ひげ』の完成が遅れ、正月映画に穴があきそうになった東宝が、あわてて安定した人気のあるゴジラものを作らせたわけだが、若林映子と『ローマの休日』ばりのロマンチックな恋愛関係になる役なのに、なぜかそこのシーンがパッとしない。むしろ、やんちゃなラジオ取材記者の星由里子との兄妹関係の方が微笑ましかった。実際、『ドゴラ』でも、若林映子の宝石強盗や、藤山陽子の大学教授助手などという美女に囲まれながら、DVDのオーディオコメンタリーでは「再見するまでほとんど忘れていた」と言っており、ひたすらダン・ユマとのカーチェイスが想い出、と語っている。女性より車の方が好きだったのである。

 

後年のドラマではあまり似合うとは思えない口ひげをトレードマークにしていたのも

「ナメられてはいけない」

という感覚だったのだと思う。不良ぽさは生涯ついて回り、青春ものドラマのさきがけ『青春とはなんだ』が人気を博したのも、視聴者の若者たちに、教師とはいえ「自分と同じ感覚」を感じたためだろう。『Gメン'75』ではシリーズ途中でプロデューサーとぶつかり、降板しているが、そのいさかいの理由というのが、撮影中の食事の代金をどっちが支払うか、という“メンツ”の問題、というのがいかにも不良少年あがりという感じで苦笑するしかなく、人間性というのはオトナになっても変わらないなあ、という感じがする。2010年に刊行された評伝(轟夕起夫・編)のタイトルが『好き勝手』というのは、いかにもという感じで笑ったものだ。

 

彼が足を踏み入れた時代の映画の撮影現場などというのは、多忙ゆえの喧噪が極まった末の完全な体育会系の場所であり、“誰がいちばんケンカが強いか”でヒエラルキーが決まる、という子供じみた荒っぽさに満ちていた。夏木自体はあまりに恵まれ過ぎていた経歴ゆえに業界に未練もなく、“いつでもやめてやる”という気持ちでいた(ラリーのチーム経営などの方に興味があった)ようだが、結局、晩年までその業界を離れることがなかったのは、持ち前の不良少年的気質に、その水があったということなのだろう。

 

今現在の平和主義的世代から見れば理解できないことも多いだろう。数年前、テレビのバラエティ番組で昔のやんちゃぶりを披露したとき、ネットの掲示板で非難囂々だったことを覚えている。しかし、今の時代感覚で、特殊な時代、特殊な環境だった当時の映画界の人間の感覚をはかること自体が無意味なことであり、また、今の目で理解できないということは、あの頃、彼がいかに“時代と寝ていたか”という証左でもある。まさに、昭和の、映画・テレビ時代のスターを体現した人物だったと思う。

 

R.I.P.。

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