ヨイショと自衛隊【訃報:古今亭志ん駒】 | カラサワの演劇ブログ

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「される身に なってヨイショは丁寧に」

という名句の作者、古今亭志ん駒死去。

 

もう81歳だったのか、と驚く。落語の中の“江戸っ子”というイメージそのまま、という見た目、キャラクターだった(実際は埼玉県川口市出身)。若々しさはそこから来ていたのだろうが、生まれは1937年で、立川談志と同年代(ひとつ下)である。志ん生に入門したのは1963年、26歳のときとこの職業としてはかなり遅い。

 

その若さと江戸っ子らしさ(どちらもイメージだが)を買われてテレビ『大江戸捜査網』ではずっとレギュラーで出演を続けていたし、落語家としてより役者として目にする方が多かった。いちばん印象的だったのは角川映画『戦国自衛隊』(1979)での、戦国時代にタイムスリップする隊員役。セリフは

「何言ってやんでえ」

くらいしかなくて、すぐ殺されてしまうのだが、全キャストの中でいちばん自衛隊員らしかった。……それもそのはず、落語家になる前は本当の自衛隊員だった(ただし海自)。入門が遅かったのも、自衛隊に8年もいたからである。

 

落語家になってからは「ヨイショ(相手をおだてて持ち上げること)」をトレードマークにしており、落語家の符丁のこの語を一般に普及させたひとりかもしれない。とはいえ、この人のヨイショがどれだけのものだったのか、そのエピソードはあまり聞いたことがないし、そういうキャラクターでもなかったような気がする。

 

むしろ、三遊亭円生の起こした落語協会分裂騒動のとき、師匠の馬生(弟子入りした志ん生の没後、その長男の馬生の弟子になった)が協会への残留を決めたのに逆らい、その弟の志ん朝について脱退したことなどを見ると、目上にヨイショどころか逆らったわけで、分裂が頓挫した後も、いまさら馬生一門には戻れず、年下の志ん朝の弟子になった、などというしくじりの一幕を見ると、相手に合わせて生きるというより、自分の決めた生き方は曲げられない不器用さが感じられる。

※ご指摘があったが、これに関しては、馬生から「弟について行ってやってくれ」と頼まれた、という話もある。馬生ならありそうな話である。

 

もちろん、贔屓の客などにはヨイショはしっかりやっていたのだと思うが、ヨイショをトレードマークにする、ということ自体、その努力を自分に課していたわけで、本質は頑固さと努力の真面目人間であった気がするのである。

 

冥福を祈る。今年は落語家さんの訃報が新年そうそう、続くなあ。

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