カラサワの演劇ブログ

演劇関係の雑記、観劇記録、制作日記、その他訃報等。観劇日記は基本辛口。これは自戒とするためでもあります。
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映画俳優土屋嘉男死去、89歳。2月に死去していたが発表されたのは9月に入ってからだった。

 

土屋嘉男、天本英世、平田昭彦、高島忠夫、佐原健二、浜美枝、小泉博、若林映子、藤木悠……と東宝専属の俳優たちの名前を並べたときに感じるワクワク感は、他の邦画会社の場合と全く異なる。もちろん、“特撮(怪獣)映画”という特殊なジャンルのある故である。彼らの顔と名前を、われわれは子供時代から認識し、その活躍に拍手を送ってきた。彼らこそが(怪獣そのものに次いで)われわれのスターだった。確かに、役者としての格は三船敏郎や加山雄三の方が上であったろうが、子供たちにとっては、土屋嘉男や平田昭彦の方がよほどビッグネームだったのだ。

 

東宝特撮作品は海外でも高い評価を受け、高度経済成長期に外貨を稼ぎまくった。そういう状況下、世界配給を念頭において制作された作品群だからだろう、彼ら特撮作品の常連に共通するのは“日本的情緒”の薄さにあった。たとえば松竹の役者に共通する“お茶漬けの味”的な風情とはほぼ無縁の、和風ではあるがモダンでナンセンスな、カレーライス的感覚を持った俳優たちであった。それだから浜美枝や若林映子など、そのままのイメージで007映画に出演できた。ちなみに、彼女たちが007映画の出演を射止めたのも、その5年前に出演した特撮怪獣もの『キングコング対ゴジラ』がプロデューサーたちの目にとまったからである。

 

そんな中で、唯一、日本的情緒を合わせもっていた俳優が土屋嘉男だったと思う。それは、本多猪四郎の特撮ものと平行して、黒澤明映画の常連として農民や侍の役などを演じていた(『七人の侍』1959で志村喬の勘兵衛に「この飯、おろそかには食わんぞ」と言われる百姓たちのリーダーが土屋の演じた利吉である)から、というだけでなく、出身地が山梨県の大菩薩峠で、先祖が武田信玄の譜代家老土屋昌次、といった血に関係しているのかもしれない。長篠の戦いで、敗北を覚悟して織田・徳川連合軍に決死の突撃をかけ、種子島の一斉射撃を受けて壮絶なる戦死を遂げた先祖・昌次の姿は、『怪獣大戦争』(1965)で頭にアンテナを立てた衣装にサングラスという珍妙なるスタイルのX星人司令を演じたときにも演技ににじみ、

「われわれは脱出する! まだ見ぬ未来に向けて、脱出する!」

と叫んで悲壮な自爆を決行する、というラストに、その昌次の姿が重ね合わされたりするのであった。

 

怪獣ものと並ぶ東宝特撮の変身人間もの三部作には三作とも出演し、『美女と液体人間』(1958)『電送人間』(1960)では刑事を演じていたが、こっちは同僚役(二作とも)の平田昭彦のクールな個性の前にかすんでしまっていた。しかし、『ガス人間第一号』(1960)のタイトルロールであるガス人間の、人間ならざる存在になってしまった男の執念と悲劇を演じさせれば、これは土屋隆男の独壇場であった。

 

『オペラ座の怪人』の、優れた日本的翻案である本作は『キング・コング』と並ぶ、“人間ならざる者と人間の悲恋”を描いた傑作である。人体実験の末に人間ならざるガス生物と化してしまった水野(土屋)は、人間としての意識は保っているが、しかしやはりその思考はかなりゆがんでしまっており、愛する女(これも特撮作品らしからぬ日本的キャラクターの持ち主である八千草薫)のために、怪物である自分の能力を使い、殺人や強盗という犯罪を犯すことを何とも思わなくなっている。

 

主人公の刑事(三橋達也。土屋の怪演にくわれてほとんど記憶に残らない)に

「藤千代のためを思ってやっているんだろうが、結果は反対だ。ますます不幸にしているんだ!」

と喝破されるシーンの土屋の、無表情ながらもハッと胸をつかれるところの演技は最高だった。自分がすでに人間ではない、つまり恋愛関係を結ぶことが許されない存在になってしまっていることを再認識させられる悲劇。自分の愛情の発露が、相手をより苦しめてしまう悲劇。このガス人間が、キングコングやオペラ座のファントムよりもまだ幸せなのは、恋する相手である藤千代が、アン・ダロウやクリスティーネと違い、恋の最後を彼との心中で締めくくってくれたところだろうか。

 

ともかく、拠って立つ常識が異なる者の真心が相手を不幸にする、というシチュエーションは、真逆の立場とはいえ、黒澤明の『用心棒』(1961)において、三船の三十郎に、名主の妾にされていた妻を救われ、せめてものお礼にと危険を冒して書いた手紙が逆に三十郎を絶対のピンチに陥れてしまう百姓・小平の立場に相通ずるかもしれない。敵対するやくざ同士の悪意と敵意に満ちた宿場の中では、小平の善意は向けた相手を不幸にしてしまうのである。

 

高校生で初めて『用心棒』を観たとき、この土屋という役者さんは、同年代の他の映画ではかなり大きいいい役を演じているのに、どうしてこんな情けない役を引き受けるんだろう、と不思議で仕方がなかった。彼が舞台役者出身(俳優座の養成所生だったときにスカウトされ、デビューは舞台でなく映画だったが)であることが大きな要因だろう。舞台出身役者には二枚目役より、クセのある役、人間味あのある芝居が出来る役を演じたがる性格の者が大勢いる。

 

東宝という邦画のトップの会社の俳優でありながら、ほとんど自主制作映画のATG(アート・シアター・ギルド)の作品『薔薇の葬列』(1969)にまで出演し、なんと主演のピーターとベッドシーンを演じてしまうという役(いまなら腐女子たちが大騒ぎするだろう)まで演ずるのは、舞台俳優根性ならでは、という感じがする。

 

『地球防衛軍』(1957)において彼は最初キャスティングされた主役の渥美を蹴って、全編ヘルメットをかぶり通しのミステリアンの役をやりたがって監督に直訴したという。怪獣映画が子供だましの見世物としか扱われず、あの平田昭彦ですら『ゴジラ』に出たことを長いこと俳優生活の傷と思っていたという風潮の中、こういう俳優の存在がどれほどスタッフにとりありがたかったことか、想像にかたくない。好奇心が旺盛で、変わったもの、新しいものを常に求める性格だったのだろう。実生活でもその趣味嗜好は大いに発揮され、宇宙人役を多く演じた縁もあるのだろうか、空飛ぶ円盤研究の団体に参加して、ビルの屋上で三島由紀夫などと一緒に「ベントラ、ベントラ」と円盤を呼んだこともあるそうだ。『怪獣大戦争』の冒頭に登場する円盤研究会は、おそらく土屋のアイデアから取られたのではあるまいか。そして、その好奇心と冒険心が、生真面目で情念的な日本精神と同居していたところが、土屋嘉男という俳優の実にユニークなところだったと思うのである。

 

まだ見ぬ未来に向けて旅立った土屋氏は、その先で何を見ているだろうか。

 

R.I.P.

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