カラサワの演劇ブログ

演劇関係の雑記、観劇記録、制作日記、その他訃報等。観劇日記は基本辛口。これは自戒とするためでもあります。
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コメディアン、ジェリー・ルイス死去(8月20日)。91歳。

 

昔の喜劇には二人ひと組のコンビを主役にした作品が多く、それらにはみな、名前がついていた。スタン・ローレルとオリバー・ハーディーが極楽コンビ、バッド・アボットとルウ・コステロが凸凹コンビ、そしてディーン・マーティンとジェリー・ルイスが底抜けコンビだった。

 

二枚目のマーティンと徹底したバカのジェリー・ルイスとのコンビネーションはいかにもアメリカ的で、何も考えなくても笑えるその作品群は、1950年代のアメリカにおいて凄まじい人気を誇ったという。そう言えば日本でも60年代にはテレビでこの二人の映画がしょっちゅう放映されていて、ルイスの吹替えの近石真介、マーティンの吹替えの羽佐間道夫の絶妙なやり取りは子供心にお気に入りだった。

 

とはいえ、肝心のギャグに関してはいまいちピンと来なかったのも事実だ。マーティンと別れて一本立ちしたあとの『底抜けいいカモ』(1964)は、平凡なホテルのボーイが映画会社によって人気コメディアンに仕立て上げられて、右往左往するものの、その飾らないところが逆にウケて本当にトップコメディアンになる、という話で、多分に本人のキャラとのシンクロを意識した(監督も脚本もルイス自身)と思われる人物造形だったが、肝心の彼が大ウケしてトップコメディアンになるきっかけのギャグ(これが長い)が大味で大して面白くなく、見ていて何だこりゃ、と呆れたのを覚えている(このコントシーンにコメディ番組『じゃじゃ馬億万長者』の秘書・ジェーンさん役で当時人気だったナンシー・カルプがちょっとだけ出演しているが、テレビの『じゃじゃ馬〜』の方がよっぽどサビが効いていて面白かった)。

 

これに限らず、功なり名遂げた60年代のルイスには、自分を「優れた人気コメディアン」と位置づけて主人公と自分を重ねる作品が多い。単にコメディアンというのでなく、ハンサムでモテる、というキャラクターにも自分を重ねた。1962年の『底抜け大学教授』(これもルイスの脚本・監督)は『ジキル博士とハイド氏』を逆さまにしたコメディで、普段は冴えない科学者としてメイクをした姿を見せ、それが薬品をのんでハンサムなモテモテ男(メイクを落したルイス自身)に変身する、というストーリィだった。コメディアンというのは自分のカッコ悪さ、滑稽さを武器にして笑いを取りに行くのが常道であって、それが自分で自分をカッコいい二枚目、と定義してしまっては笑えるものも笑えなくなる。(後に『ナッティ・プロフェッサー』としてエディ・マーフィー主演でリメイクされたときは、元の教授を特殊メイクで超デブにして、変身後のマーフィーがモテるキャラになることに必然性をつけていた)。とにかく、この高すぎる自己評価ゆえに、私の中でのルイスの評価は逆に低くなったが、実際、70年代に入ると、ルイスは日本ではほとんど“忘れられた人”になってしまっていた。死亡したときの記事のいくつかは彼を“喜劇王”と称していたが、どこが喜劇王なのか、首をひねる人の方が日本には多いだろう。日本におけるこのルイス不人気には、一冊の本がかなり関与している。

 

その本とは1970年代に刊行された小林信彦の『世界の喜劇人』(晶文社)で、かなり著者のクセのある人物評価が前面に出ている著作だが、中でも目立つのは徹底してジェリー・ルイスをdisっていることだろう。「ダアダアの幼児性が気味悪い」という、多分に感覚的な嫌い方であったが、これは小林が特殊というわけではなく、落語の与太郎や『裸の大将』の山下清のように、愚かなようでいて賢こぶっている世間の人間の虚をつく、といった“愚か”キャラの造形に慣れている日本人にとり、知能障害を思わせるルイスのキャラクターを笑い者にすることはどこかに抵抗があった。冒頭でマーティン・ルイスのギャグを“何も考えなくても笑える”と評したが、これは裏を返せば“考えると笑えない”ということなのである。小林の感覚は多くの日本人の代表だったのだ(アニメーション作家の久里洋二のように、“それでも好き”と表明する人も数少ないがいることはいたが)。

 

小林はルイスはアメリカでも嫌われ者だ、として、テレビのショーでルイスが古い仲間たちと再開して感激し、

「なんでみんな、もっと頻繁に会う機会を作らないのかな」

とお涙的な言葉を発したとき、仲間のひとりが

「知らないの? あんた嫌われてるんだよ」

と返したジョークを紹介していたが、これは向こうのコメディアンたちのギャグとしてはよくあるパターンである(私が見たのでは、ルイスがチャリティショーで世界を回ることを仲間が讃えて歌うのだが、その歌詞に、“ジェリーは世界を回る、愛と希望を世界の人びとに与えるため……本当は金儲け”というのがあった。爆笑したものである)。

 

……もちろん、小林のこの感覚は喜劇研究家としては偏狭である。1950年代、まだ第二次大戦の心の傷が残り、それに続く朝鮮戦争の勃発などで人心が荒れていたアメリカにおいて、ルイスの何も考えない“馬鹿っぷり”が人びとの心をどれだけ和ませたか、を考察しなければいけなかったろう。とはいえ、小林のこの著書は後の日本の喜劇研究のバイブルとして重んじられ、日本におけるルイス低評価を固めてしまった。

 

そして、ルイス自身が、小林の著書に合わせたわけでもないだろうが、60年代に“まともな人間を演じる”ことでつまらなくなり、70年代に入って、その勘違いぶりを際立たせ、アメリカにおいてもその評価を下げていった。……いや、評価自体は大いに上がり、レジェンドとしての存在感を増したが、いっぽうで若い世代に徹底したルイス嫌いが増加していった。それは、ルイスが映画では馬鹿を装いながら、テレビのバラエティなどでは自分の知性を強調する態度を取り続けたことにも原因があるし、筋ジストロフィーの子供たちのために私財をなげうち、基金を設立するという“感心な”(ただしキャラに似合わない)ことをやっていることへの反発もあった。二十年以上前だが、ブラック・ジョークの本を読んだら、

「しゃべることも立つことも、自力で呼吸することもできないのに生きているのはなーんだ?」

「ジェリー・ルイスの子供たち」

という、ひどいのがあったが、これはルイスに対する嫌悪が、その彼が援助している筋ジス患者たちに向けられたものだろう。

 

“レジェンドコメディアン”としてのルイスの頂点は、あきらかに自身をモデルにした超人気コメディアン、“ジェリー(!)”ラングフォード役を演じたマーティン・スコセッシの『キング・オブ・コメディ』(1982)だろうが、ここでのルイスは精彩がまるでなかった……と、古谷綱正の映画評で酷評されていて、実際に観てみたら、それほどではなかったが、ロバート・デ・ニーロがあまりに上手すぎて、ルイスはすっかりかすんでしまっていた。優れた映画作品では“演技力”が“自分をモデルにした役を自分が演じるリアリティ”より上回るのである。

 

小林はルイスを「あまりに若くして(20歳)スターになったため、芸を磨く時間がなかった」と評したが、彼はヴォードヴィリアンの息子であり、5歳から舞台に立っているのだから、その評は当たらない。テレビ東京(になる前の東京12チャンネル)で見た彼の芸(ルロイ・アンダーソンの『タイプライター』に合わせてタイプの曲打ちをする)は見事なものだった。むしろ彼の悲劇は、自らのヴォードヴィル芸を活かせず、かと言ってそれに変わる映画的ギャグを考案できる脚本家も制作者も不在の映画作品で、自分のバカギャグしか武器がないままに延々と映画を作り続けさせられたことだろう。なにしろ人気だけは凄まじくあったから、制作会社も金をかけて才能あるスタッフを集める必要を感じなかったのである。

 

『世界の喜劇人』のバイブル的扱われ方も、ビデオの普及で一般人も原典の作品を気軽に観られるようになり、だいぶ薄まった。日本でも、志村けんなど、彼の影響を隠さない(あの“馬鹿殿”キャラはルイスの馬鹿キャラの翻案だと思う)人も出てきた。再評価、にまでは至らなかったが、世間の人びとが殺気立っている時代には、ルイスのような、何も考えないバカキャラが、文化人の好む知的ギャグよりも大ウケして浸透する。これは真理だ。再び世界はルイスのようなキャラを必要とするだろうか。おそらくそうなるような気がしている。

 

R.I.P.

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