カラサワの演劇ブログ

演劇関係の雑記、観劇記録、制作日記、その他訃報等。観劇日記は基本辛口。これは自戒とするためでもあります。
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劇団歴史新大陸第十回公演『古事記』観劇、於渋谷文化総合センター大和田『伝承ホール』。

 

以前、自分の公演でキャスティングにちょっとした仕掛けをしたところ、スタッフから

「この芝居、卑怯ですよね」

と言われたことがある。これをやったらお客はほっといても喜ぶ、という意味である。サービスの極致といいう意味では、主宰者(興行主)としては最大の褒め言葉だろう。

 

今回の舞台は『古事記』のスサノオ神話の舞台化であるが、スサノオ譚での最大のスペクタクルであるヤマタノオロチとの戦いをどう舞台上で表現するのか、と思っていたら、岩見神楽で有名な八岐大蛇の大蛇舞を借り出して舞台上で見せるという、アッという方法をとっていた。

 

(写真は岩見神楽における須佐之男命との舞)

その迫力、技術たるややはり凄まじいもので、これでもう、観たものは入場料のモトを取ったと感じるだろう。まさに最大の褒め言葉である「卑怯」にふさわしく、主宰の後藤勝徳のアイデアと人脈の賜物だと思う。

 

ただ、そこがあまりに見事である故に、自分も演出家である身として、脇の部分に目をやると、いろいろと瑕瑾が目につくのが非常に惜しかった。そもそも、古事記の舞台化というのは難しい。神話世界というのは大変に魅力的な題材ではあるのだが、現代のドラマトゥルギーに従って記述されているわけではない。だいたい、スサノオを主人公にして進んでいた話が中盤からオオナムジ(オオクニヌシ)の話となり、さらにはオオクニヌシの息子たちの代の話になる、という、三代にわたる国造りの物語を、二時間強の話の中でやってしまうというのは大変な強行軍だ。主人公が変わるたびに作品の流れがブツ切れになり、ストーリィとしての大きなひとつのうねりが生じない(観客の情動が盛り上がらない)のである。

 

その上、主人公が変わるということで、見せ場として最大のクライマックスであるオロチとスサノオの戦いを中盤で見せてしまわざるを得ず、それではラストが盛り上がらないので、仕方なく黄泉の国から復活してきたという設定にして再度登場させる、といったことをしなくてはならなくなる(名前がシン・オロチというのには笑ったが)。

 

そして、ラストの、オオクニヌシの高天原への国譲りであるが、ここは記紀神話の中でも、ドラマとして現代の観客に最も理解し難いところだ。高天原を追放されたスサノオとその子孫たちが血と汗と涙で築いてきた中つ国の支配権を、どうして簡単に高天原に譲らなくてはならないのか。タケミナカタ(オオクニヌシの息子)の憤りはもっともであり、それまでオオクニヌシに感情移入してきた観客たちの心に、彼の妥協は裏切りと取られてしまう。ここの解釈を現代の若者にすんなりと理解できる形にしてみせることこそ、脚本家の腕の見せ所だったと思うのだが、残念ながら原典通り、なんとなく違和感の残る結末になってしまった。

 

もちろん、日本古代における王権の正統性の確保などといった学術的な解釈によってこのオオクニヌシの行動は正当化されている。しかし、これは舞台である。現代の若い観客にアピールしなくてはならない芝居である。そこに現代的な解釈がなければ、共感は得られないだろう。おそらくこの劇団は皇室とそれに続く古代の王たちにシンパシーを抱いてこの舞台を作っているのだろうが、これでは逆効果になりかねない。

 

一案だが、話の主筋を最後の中つ国と高天原のいくさ前夜に置き、強大な敵との戦いに勇むタケミナカタたち若者に、母のスセリヒメが、父のオオクニヌシ、そしてこの中つ国の始祖スサノオと高天原とのつながりを説き聞かせ(オロチ退治やオオナムジの求婚などはその話の中のエピソード再現として出てくる)、民のための和議を説く、という構成にすれば、全てがラストに収斂していく流れが出来るのではないか、と思った。

 

この歴史新大陸という劇団は「日本の歴史や伝統・文化の素晴らしさを伝えていく」ことを目的としている劇団であるという。それは素晴らしいことだと思う。しかし、「歴史の素晴らしさ」は、ダイレクトにそれを謳い上げさえすれば伝わるというものではない。それを芝居にして舞台上にかけるなら、「舞台としての機能」を十全に備えたものにしなければ、テーマとしての日本の歴史の素晴らしさは観客には伝わらない。中つ国にふりかかる災いが、黄泉の国で妖怪と化したスサノオの母、イザナミの呪いであり、最後にスサノオは母殺しを犯して国の平和を守る、という現代的な変更までやっているからには、いちばんのポイント部分で、まず、舞台としての完成度を第一義にし、脚本・演出にもうひと工夫を加えて欲しかったと思う所以である。

 

役者では、主宰の後藤勝徳は荒ぶる神スサノオの迫力を体現している外観・演技で適役。アマテラス役の鳳恵弥も高天原の最高神としての存在感が十分だが、登場するシーンで仏像の施無畏印、与願印のようなポーズ(左掌を上に、右掌を下に向けて手のひらを見せる)のが、ちょっと神仏混淆のようで気になった。

 

アクションスターとして著名な野口尋生の動きと存在感はさすがでタケミカヅチにふさわしく、今回いちばんの好演。クシナダヒメの野宮友萌香はもっとも現代的にはっちゃけたキャラクターだったがファニーフェイス的な存在で可愛かった。

 

そして、タジカラ役の大橋源紀。顔は見忘れてもこの見事すぎる肉体は忘れっこない。あれ、これは……と思ったら、やはり先日の私のユニットの出演者、蝶羽さんと中澤隆範くんと今年の一月に彩の国さいたま芸術劇場で共演した人だった。やはりこの業界狭いというか、どこかここかでつながるものである。……つながると言えばもうひとつ、この舞台、鳳恵弥さんの事務所のSさんからお誘いがかかる前に、先日の赤坂グラフィティでのカラーチャイルド公演でチラシが折り込まれていたのである。観終わってロビーに出たら、カラチャイの宍戸英明さんがいて

「カラサワ先生!」

と声をかけられた。まあ、もう驚かないけれど、ホント、この世界って狭すぎ(笑)。

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