カラサワの演劇ブログ

演劇関係の雑記、観劇記録、制作日記、その他訃報等。観劇日記は基本辛口。これは自戒とするためでもあります。
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collar child『ウェディング・ベルが鳴るまえに』観劇、於赤坂graffiti。

 

セットを使わず、役者のセリフと動きだけですべてを表現するユニークな劇団、collar child(カラチャイ)。その結成15周年イヤーということで、前回8月の公演は東京芸術劇場westの大きな舞台を使ったが、締めくくりとなる今回はぐっと小さい、赤坂のライブハウスを使っての公演。これもまた、カラチャイらしい。

 

とはいえ、登場人物は声の出演をのぞいた6人だけ、ゲストにおなじみの宍戸英明も棚橋幸代もおらず、地味になってしまうんじゃないか、とちょっと心配していたのだが、あにはからんや、この数年の間に観たカラチャイの舞台のうち、最も面白かった部類に入るのじゃないか、という出来だった。

 

売れっ子フリーライターでバツイチの杏子は、ひょんなことからやはりバツイチの雑誌編集者、近田と結婚することになる。前回の結婚は自分のためにやって失敗したから、今度はみんなのためにやりたい、そのためにも盛り上がる式をやりたい、と思った二人は、マジシャンの布袋に、式をイリュージョンで盛り上げてもらいたい、と依頼する。スランプに悩んでいた布袋は引き受けることをしぶるが、懇願されて、仕方なくリハーサルをやってみせる。……ところがなんと、そこで本当のイリュージョンが起きてしまい、近田と杏子の心が入れ替わってしまった!

 

人格入れ替わりネタは大ヒットアニメ『君の名は。』の影響か、とも思えるが、渡辺浩一と蛯原味茶煎の脚本はそれをさらに増幅させて、登場人物ほとんどの人格が(地球の裏側の人間まで含め)入れ替わる、大ドタバタにまで拡大させる。ことに上演時間の大部分を人格が入れ替わったままで演じることになる杏子(中村容子)と近田(渡辺浩一)は、よほどイキが合ってないとうまくそれを表現できないだろう。そういう意味で、これは劇団15周年の創設メンバーである二人のための、記念公演にふさわしい題材だった。

 

客演の3人、優男で好青年の鈴木達也、一見どこにでもいるおじさん、という風貌ながらキレのいい演技をみせる久岡裕志、さすがアクション主体の劇団(カプセル兵団)からの客演で、いっときたりとじっとしていない感じで舞台を動き回っていた吉久直志、がいずれもいい。ことに吉久は、途中で人格どころかハムスターと入れ替わってしまい、そしてそのハムスターの記憶を再現するぶっ飛んだひとり芝居が、この舞台のヘソのような役割を果たして爆笑ものだった。

 

小劇場の芝居では、回想とか内面の描写を表現するのに、よくこのひとり芝居の手法が使われるが(ルナの佐々木輝之もこれが得意だった)、たいていは長くて1分か2分くらいのものだ。当たり前で、あまり長くやると芝居の流れをそこで途切れさせてしまうからだが、この吉久の“コーナー”はそんなことおかまいなく、主演の二人を舞台上に突っ立たせたままで、えんえんと5分近くこれを演ずる。そして、それが邪魔に感じられないくらい面白い。さすがだと思った。

 

カラチャイの舞台は、まるでジェットコースターに乗ったかのように、始まったら最後休みなく登場人物たちが動き回り走り回り、一気呵成にラストまで突っ走るのが本領である。それが快感ではあるのだが、一面で、あれよあれよという間に話が終わってしまい、何かあっけなささえ感じてしまう、といった部分がどうしてもあった。今回の作品を私がこれまでのベストに近い作、と感じたのは、このひとり芝居がアクセントの役割を果たしていたから、と言えるかもしれない。

 

ただし、最近なぜかそういう芝居に連続して当たるのだが、この作品でも、日常にまぎれこんだ不思議な(非現実的な)出来事の説明にSF的考証がつく。ここが瑕瑾のように感じられてしまった。

 

SFXを駆使して、客観的にその「非現実さ」を提示できる映像作品にくらべ、演劇はあくまでも生身の人間が、その演技だけでその“非現実”を表現するものである。そこに非現実な現象が起きている、ということは、舞台上の役者と観客との、暗黙の了解によってのみ、認識される。実際、カラチャイの芝居は、大道具小道具なしに、時には登場人物たちがドアになったり車になったりすることを、われわれ観客たちが、入場料を介しての“契約”として了解しているわけである。それが舞台上における“完結性”というものだ。

 

そういう約束と、登場人物たちの人格が入れ替わる(ということになっている)ストーリィ内の現象は全く等価であり、その片方の現象にだけSF的にリクツをつけることで、逆に演劇は、その舞台上の完結性を失ってしまい、パワーが減じてしまうことになるのである。まして、タイムパラドックスとかという“SF用語”を持ち出すとなおさら。

 

この作品も、変にSF的な“謎解き”をしようとせず、不思議な青年が最後に「お爺ちゃん、お婆ちゃん、じゃ、また」とだけ言って姿を消した方が、ずっと余韻を残したんじゃないかな、と、部外者が僭越の沙汰ではあるが、観終わってちょっと感じたことではあった。

 

とまれ、主宰の渡辺氏は一時健康を害してかなり痩せてしまったけれど再びこうして舞台で踊り、動き回っているし、里中くんは永遠の青年という感じだし、容子ちゃんの、ダンスシーンの笑顔は疑いなく天下一品の素晴らしさである。これまでの15年をさらに上回る、実りあるこれからの15年に期待したい。

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