カラサワの演劇ブログ

演劇関係の雑記、観劇記録、制作日記、その他訃報等。観劇日記は基本辛口。これは自戒とするためでもあります。
Twitterでも演劇のこと、おりおりつぶやきます。
カラサワ@cxp02120


テーマ:

美術監督・池谷仙克氏死去。仙克(のりよし)という読みがわからなくてずっとセンカツセンカツと呼んでいた。伝説の人・成田亨氏がウルトラセブンを降板し、その後を継いで見事にウルトラシリーズの怪獣の格調を保った功績者である。

 

あくまでも原始時代の実在の生物を(宇宙怪獣であっても)基調としていた東宝特撮の怪獣たちに比べ、30分という短時間内で視聴者にインパクトを与えるテレビの特撮ものの怪獣は、そのコンセプトがひと目で視聴者である子供たちにわかる、という特異な形状を必要とする。すなわち、デザインがその怪獣の“テーマ”を表していなければいけない。

 

ウルトラセブンにおける成田デザインの代表がエレキング(放電をデザイン化した全身の模様や、電化製品を思わせる頭部、手などの形状、さらに全体のイメージが猟犬で、ピット星人の飼い犬的存在であることを示している)であるならば、それを継承した池谷デザインの代表はクレージーゴンだろう。

 

クレージーゴンというのは後からつけられた名称で、劇中では「バンダ星人のロボット」という言い方しかされていないのだが、鉄資源を地球から奪いに来たという割に、渋滞中の自動車を一台々々、ハシでつまむようにして腹の中に収めるという(いかに何でも効率が悪い)ショボい奴だが、ストーリィ後半、バンダ星人のコントロールを失ってからが強い強い。セブンの必殺技であるアイスラッガーすら跳ね返し、ただひたすら全てのものを破壊しながら暴走する。

 

狂ってからが本領である、というのでクレージーゴンなわけだが、このデザインが凄い。シオマネキをモデルにした(実際はザリガニだそうだが)、巨大な右腕に比べ左腕はほとんど無いに等しく、目のあるべき部分には歯車が回っており、足がまた極端に小さい。要するに、初登場時から、「こいつはまともじゃない」というイメージを与える、バランスの狂ったデザインなのである。怪獣(ロボット)のデザインがストーリィの先を行ってしまっているんである。

 

自分をアーティストとして任じていた(怪獣の形態の美しさにこだわっていた)成田に比べ、池谷はアルチザン的傾向が強かったと言えるのではないか。成田以上に、ストーリィ、作品のテーマを優先させ、それに合わせたデザイン、それがデザインとしてのバランスを崩していてもストーリィに合えばそれでよし、といった造形を指向していたように思う。

 

屈指の名作『円盤が来た』のペロリンガ星人は、製作中止になった話の、海底に棲む水棲人ピニアの体色を当時のサイケブームに合わせて赤だの緑だのの原色で塗り分けた、その肩書きも“サイケ宇宙人”という何も考えてないような(いや、星に円盤をカムフラージュさせて侵略してくる宇宙人だから、彼らの星ではこのサイケ模様が生存に有利なのかもしれない)デザインだったが、日常の中に非日常が突如紛れ込むという実相寺昭雄監督得意のテーマに、実にそのいいかげんさが似合っていた。

 

怪獣ものにはほとんど興味がなかったと公言し、『帰ってきたウルトラマン』は1クールで降板しているが、その短い期間にタッコングとツインテールという、怪獣デザイン史に残るユニークな怪獣を二体も輩出しているのが凄い。どちらも中に人間が入って操演する着ぐるみの形状の限界に挑戦しようという意欲が伺え、また、すでにこの時点で200体を超える怪獣があふれており、そのデザインでも目立たねば、という番組自体のコンセプトを体現したものだと言える(その一方でアーストロンのような、ゴジラ型の基本に忠実なデザインもやっている)。

 

池谷氏の怪獣デザインのコンセプトは「滅び行く定めのものの持つ哀愁」であったそうな。そのコンセプトは怪獣ばかりでなく、特撮モノではまず大抵、破壊される定めと決まっている建造物のデザインなどにも現れていた。怪奇大作戦『呪いの壷』でラスト、犯人は京都美術界の代々の因習の陰に隠され、押しつぶされてきた自らの贋作作りの家の怨念を、由緒ある古寺に投影させ、最後にその寺を道連れに焼身自殺を遂げる。

 

この古寺の炎上シーンは、美術スタッフが間違えて注文よりふた回りも大きいセットを作ってしまい、それを燃やしたことで異常なまでの迫力を出した名シーンとなったことで有名だが、精巧かつ巨大なそのセットが炎の中に包まれていく(瓦が一枚々々なだれ落ちていく)シーンで見ているこちらが受ける、なんとも形容しがたい哀しみは、池谷が怪獣たちに込めた哀しみと同等のものなのだろう。

 

CG時代の特撮に失われたものは、この、「形あるものが滅していく(誕生から滅していく運命のもとに造形される)」運命への哀しみであり、手間ひまかけて作り上げたそれを一瞬で破壊する、ある種の潔さである。それが、日本特撮作品の、『ゴジラ』以来の最大の特徴になっていると私は思っている。

 

池谷仙克もまたその肉体は滅びた。哀しみは限りないが、彼の生み出したデザイン、美術は、これからもフィルムの中で、永遠の輝きを放つだろう。それだけを慰めとしたい。R.I.P.

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。