宮古島に行って来ました。
宮古島は浄化の島と言ってる人がいて、真偽は分からないんだけれども、何かいらないものが削ぎ落とされたのかなと思う気付きが帰ってから起こった。
肩書きとか結果とか、名誉とか色んなものを自分が潜在的に追っていた事に気付いたのだ。
追う事じたいは悪いことじゃないと思うけれど、その動機はポジティブな方が良い。
私がいつも基本に立ち返る時に思い出すのは、
高校生の時に感じていた
普通になりたいという気持ち。
おいおい、あんた普通やん!と言いたくなると思うのですが、ここで言う普通というのは、
何をしなくても赦されている
何をしなくても愛されている
何をしなくても認められている
何をしなくても尊重されている
そう言う状態の事を言っていた様に思う。
お家では、
何かをしないと認められなかったし、
いい子にしないと愛されなかったし、
主張しないと尊重されなかったし、
言い訳しないと赦されなかったから。
今は、
ちゃんと愛されてた事も分かってるし、自分で認めてるし、自分を尊重してるし、自分を赦してる。
けれど、まだ心の片隅に染み付いてる"劣っている私はイヤ"を見つけた。
宮古島に行ったからなのか、そう思ったタイミングが重なったのかはわからないけれど、少なくとも宮古島の海の青さ、空の青さ、緑と土、空気、心地良い風、それが毎日変わらず当たり前に与えられてるありがたさを感じた影響はあるかも知れない。
こんな素敵なものが、当たり前にあるって幸せ以外の何物でもないし、頑張ってた頃の私は、自分をそう言う場所に連れて行こうなんてアイデアも浮かばなかったもの。
最近、色んな勉強や経験を積んでも私は結局ただの人だなぁって、いい意味でも嫌な意味でも思って、その結果私は何かを得ることが出来たのかな?って虚しく感じる瞬間があったのですが(あくまでも瞬間ですのでご心配なく)
冷静に考えたら、高校生の時に思ってた、普通になりたいという希望はいつの間にか達成されていた事に気付く。
あの時の息苦しさはもうない。
誰が何と言おうと、それを採用するかどうかはどこまでも自由で、私次第だという事を知っているから。
結局私が何を求めていたのかなと考えると、私は自分を信じる力を求めていたんだな。
誰に何を言われても、私は私ですが何か問題でも?そう言う力強さ。
時には嫌われたり、失敗したり、疎まれたりしても、その事に対してしっかり対応が出来た上で私は私を貫ける強さだ。
奢るでもなく、我が強いのでもなく、すんとした自分らしさとでも言おうか。
誰からも何も言われないように、まだ肩書きや名誉が欲しかったのかも知れない。
けど、大事なのは何かを言われない様になる事じゃなくて、むしろ言われたとしても自分を信じられる強さだなぁってクリアになった。
波動という言葉があるけれど、私の知る限りそれには高低と強弱がある。
私は高さと言うより強さを求めてたんだよね。
高さを求めてると勘違いしてた時もあったのだけれど、それに対しては出来る事をして来たつもりで、今はどちらかと言うと強さを求めてる。
そして。
ああ、だから私エクササイズをずっとやって来たんだなぁって。
頭では分かってなかったけど、ちゃんと魂は知ってたのね。必要なのは強さだと。
そんな事を感じた今日でした。
楽しかった宮古島トリップを振り返りつつ。
そして再認識したのは、私はただカラダのためのエクササイズではなく、こころ からだ たましい この3つを養うためにエクササイズというツールを使って行きたいと言う事。
最近分かってきた事は、私達の身体能力は、本人の自覚や想像を超えた能力を潜在的に持っているけれど、それを信じられる精神性、扱える精神性というものを同時に養って行かなければせっかくの潜在能力は宝の持ち腐れだという事。
私の未熟さもあるけれど、まだまだそれを伝えきれていないなと感じる。
あまりにも自分の潜在能力を劣等感や罪悪感や恐れから見ないようにしている人がどんなに多い事か。私もまだまだパワーアップ出来ると感じてる。
自分の潜在能力に気付くことって、実は怖い事なのかもしれない。
だって、気付いたら開花しないのは自分の責任になってしまい言い逃れが出来なくなるから。
うん。私はそれでも自分の能力を開いていきたい。そして、そんな仲間を増やしたいよね、その方が楽しいもん。
まとまりはないけれど、せっかく書いた文章を下書きにしておくのも残念なので、このまま投稿しておきます。
誰かの参考になれば嬉しいです。
最後は宮古島の写真を。
朝見えた虹🌈
ヤビジツアー綺麗だった!
ひまわりも咲いてた。
秘境的なスポットも探検した。
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