佳 羅 研 へ の 招 待
<携帯版>
80年目。

▲「広島」続いて「長崎」―と2発の原子爆弾(原爆)投下で止めを刺された日本政府と軍が時の天皇・裕仁(昭和天皇)の臨席に拠る「御前会議」で「日清」(1894年=明治27年)以来51年に及んだ「東亜細亜権益戦争」に於ける負けを認めアメリカ合衆国主導に拠る占領統治の受け入れを決めてから、天皇自身に拠る「玉音」の収録を経て其が放送される迄の、24時間。――から数えて、80回目の「正午~正午」を迎えます。
「戦争世代(1927年(昭和2年)4月1日迄に出生)」の人々は今、此の国・日本にどれだけ居られましょうか。亦、彼等の子供達を始めとする「疎開世代(1927年4月2日~1943年8月14日の間に出生)」の人々も今や、数えた方が速いかも知れません。――先の戦争で肉親を失った経験を直に持つ方々が「零」と成る日は近い、と言えましょう。
其処で。毎年、各地で8月15日正午(=「玉音」放送が行われた日時)に合わせ行われてる「戦没者追悼式」を見直し、戦没者の遺族方を直に招待する現行の型を来年(2025年=「玉音」から満80年)限りとし、2026年以降、政府主催分については「首相官邸内の大広間に中央の要人方(閣僚+国会両院の正副議長+最高裁判所の裁判官:少なくとも)のみを集めて毎年・同じ日時に行う形とする。――若し、全日本共和党が今年(2024年)12月(←次年度予算政府案決定)迄の時点で与党だったら、そうする所ですが。
今、改めて、
耐えて、忍んで、
乗り越えて。
の重要性。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」(「堪へ難きを堪へ、…」と「玉音」の原書(「御璽」入り)には記されて居りますが、ネット辞書に拠ると、「堪え」は「こたえ」と読むとの事、故に此処では敢えて、一般的な用法に従い「耐え」と表記致します)。日本に於ける毎年8月・10~15日の間には特に、放送(テレビ・ラジオの他、街頭でも)を通し好く流される、「玉音」の中の一節。ですが此の言葉、能く能く考えてみると、戦争云々以前・人生を歩む上で〔特に子供時代に於いては〕必ず通らねば成らない過程である―と云う事を認識してる方々が此の国・日本に今、どれだけ居られましょうか。
如何なる困難(含む苛め)にも耐えそして忍んで(=我慢)、乗り越える。其の繰り返しで「打たれ強く、我慢強く、逞しい」(=強靱な)精神力が育まれ、世間―常に辛く無常且つ非情な場―を生き抜く事が出来得る〔況して、世界を股に掛けて働こうとする(→包括的人材を目指す)ならば、其の必然性は尚更と成る〕。其の先にのみ、仕事の成功が在り、幸福な人生が初めて約束されるに至る。――そんな「極当り前の重要性」が、「玉音」を自ら語った昭和天皇の死(1989年1月7日)を境に軽んじられる様に成り、続く間 網の発明と普及・更にSNSの派生が其に拍車を掛け、「少子化」「若人の自殺増」更に「(芸能やスポーツ以外の)体を動かす仕事に於ける一律的な人手不足」…等と云った社会的悪事が興り亦其に拍車が掛かってる最大級の誘因と成ってるのでは―との思いに至ってるのは果たして、佳羅研だけでしょうか。
時間や字数が足りないが故に今回は此処迄と致しますが、教育―特に家庭に於ける―の中身を一旦、根本から見直した上で「強靱な精神力を全ての子供に、極当り前に根付かす」為の妙案を、佳羅研としても考え、追って拠頁(含むブログ)を使い提起・提案して行こうと思ってます。

▲本文の作成に際しては、『ウイキペディア・フリー百科事典』と『デジタル大辞泉』(小学館)を一部で参照しております。
▼御意見・お問い合わせ▼
s9p-14@kar2007el.ecweb.jp
▲知り得た貴方の個人情報は、
返礼の為にのみ、使います。
其でも個人情報に関して心配な方は……
個人情報の取扱いについて
佳羅研 ホームページ本体
CopyrightⒸ佳羅研究所 2024年
当事業者は、韓国の大衆音楽グループ
「カラ(KARA)」とは何ら一切、関係御座居ません。 |