「夢」
お盆が近づき、そのせいでしょうか。
珍しく、娘の夢を見ました
内容は、残念ながら目覚めた瞬間で忘れてしまいました。
私の脳は、娘が亡くなってから、徐々に「夢の記憶」がまったく消えてしまうようになりました。
確かに夢は見ているのですが…
歳のせいでしょうか
私はまだ老齢ではないですが、人間は歳をとるにつれて穏やかな性格になる人もいる、と聞きます。
それは、いろいろなことを「忘れて」しまうから…そんな気がします。
瞬間に、「忘れてはいけないことまで忘れてしまう」
なんだか、綾小路きみまろさんの漫談みたい
娘は確かに夢の中で、存在があり、ストーリーがあり、目覚めた瞬間に「お盆が近いから戻ってきてくれた」ことが、ただただ嬉しくて…
消えていく記憶を噛みしめ、感謝の気持ちだけが残り、朝から涙が出ました
と、言っても、最近よく日中でも泣くのですが
ひと月ほど前、ひとりで有料道路を運転中に強い雨となり、唐突に、その音に紛れて娘の名前を絶叫したくなり、車の中で「戻ってきて、茉莉ちゃん!」と叫んでみました…思いっきり
周囲の車に気付かれず、思い切り泣き叫ぶ…これは娘が亡くなった当初、大破したスマホを復旧させるため、夜の嵐の中、福岡市内へと走らせた車の中で泣き叫んだ、その時以来です
六月、七月はあまり気持ちが上向きにならずにいて、「生体反応が低い」のが自分でもよくわかってましたから、落ち込んでいくのは仕方ないこと…
また、あまりシャワーもせず着替えもおろそかになっていて、一年ほど「着た切りスズメ」なのも、娘が亡くなった当時同様…もどってしまいました
でも、昨日は娘の夢を久しぶりに見て、少し気持ちが上がっています
「お盆供養」
お盆は、今年はお寺に法要を頼まず、娘の園長先生…元僧侶…にお経をお願いすることにしました。
厚かましいお願いかもしれないのですが、娘のお通夜、葬儀以来ずっと何度か来ていただいたり、お食事をご一緒したりして、私たち家族にとっては恩人であり、尊敬する大切な方です。
先生のお経が、また素晴らしく…内容はわかりませんが…心が伝わってくるのです…当時もそうでしたが、泣けてきます…娘のことを思い、魂を呼び起こすようなお経…
遺族の心をわかってくれる…適切な言葉の数々にどれだけ癒されてきたことか
すばらしい人格者で、堅苦しく凝り固まった宗教人などではなく、お話しする度に、その人柄に尊敬を感じるのは、どうやら私たちだけではないようです。
あちらこちらから「ひっぱりだこ」で、幼稚園に通う保護者の何人ものお母さんたちが大絶賛するのですから、その理由もわかります。
わたしたち家族の「お経と食事」の誘いも、忙しいスケジュールの中、プライベートの時間を削って無理を聞いてくださったのでしょう
少し早いお盆の供養ですが、今度の日曜日の先生の訪問が楽しみなのです。
ありがたいことです…娘のため、私たちのために、ひととき心を預けてくださる人がこの世にいること
それは、私に、まだこの世に生きていていいよ、と言っているのと同じ気がします