143.鹿島御子神社探検記(福島県南相馬市鹿島町) | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
神社探検の動画はこちら
→ https://youtu.be/8gVu8qGihD8

今回は、138.仁科神明宮探検記(長野県大町市)で予告した、福島県南相馬市の鹿島御子神社について報告します。


科=品が鹿島御子神社とどのように関連しているのかを考察していきます。



 鳥居付近

由緒書


鹿島御子神社の概略について、WIKIより引用します。


 

祭神:天足別命(武甕槌神の御子神)、志那都比古命・志那都比売命

由緒:神代に天足別命(あまたりわけのみこと・あまたらしわけのみこと)は、父神である武甕槌神・経津

主神と経津主神の御子神である阿佐比古命とともに奥州の邪気(邪鬼)を平定するために降臨したという伝承が東北地方の神社には残されている。

 

由緒書によると、天足別命は奥州平定後は当地へ残り、社殿を設けて鎮座したことが当社の創建だという。景行天皇の時代には、日本武尊が東征での武運長久を祈願したところ霊験があり、反抗する賊徒たちを無事平定することができた。そのことから、鹿島御子神社は軍神として武人から特に崇敬を集めるようになった。

 

中略

 

鹿島御子神社では、特殊神事として『鎮火祭』という神事が催行されている。この神事には祭神である天足別命に関する伝説がある。

 

天足別命が当地にやってきた時、稚児沼というところへ仮宮を設けた。当時、現在の鹿島地方では「大六天魔王」と名乗る賊徒が暴れまわっていた。 ある朝未明、大六天魔王ら賊徒が天足別命の仮宮を襲い放火した。天足別命は直ちに「火伏せの神事」を行なって、四方八方へと広がる猛火を速やかに鎮めた。そのとき、鹿島大神の神使である鹿が多数現れ、川から濡れたを口に咥えて持ってきて、天足別命の仮宮を水で潤して火が再び燃えあがることに備えたのだという。その後、天足別命の御神徳によって、大六天魔王ら賊徒は平定され、二度と横行することはなかったと伝わる。

 

このように、祭神の天足別は鹿島御子だということですから、以前報告した御岩神社の祭神立速日男(あるいは立速男)についての栗田寛の説―武甕槌は雷神だからおなじ雷神である立速男は武甕槌の子だ―と同じ考えであることを思い出します。雷神は雨を呼ぶ水神=龍神だから女神であることを理解していないと、音や創作された伝承から雷神だとしてしまうのでしょう。


タケミカヅチはシナツヒコであり風神とされていることに気付きもしません。もっとも常陸大宮市上小瀬の立野神社はシナツヒコを祀っているのですが、なんと勧請したのが物部の族なっていますから、何をかいわんやです。創作された由緒を鵜呑みにして、自ら調べることもせず、常陸国北部は物部が深く関係しているなどという発言は自重していただきたいものです。


(以下の二つの系図をじっくり見てみれば、蘇我=物部だということがお分かり頂けると思います。さらには天皇家も物部になってくるのです。この構造が将来、源平、南北朝の対立、明治維新の動乱として描かれるようになることが予想されます。←これくらい推測しろ、ということですが)


(リンク→番外18.御岩神社について-アカデミズムの怠慢


(われわれは立速男を建速須佐之あるいはナガスネヒコだと推定しています)


百嶋系図では、鹿島大神=天忍耳とオキツヨソタラシヒメ(瀛津世襲姫=足姫)の間に天彦=彦坐王がいます。ヤマトタケルの父になりますが、母についてはおそらく意識的に記載していませんが、息長水依姫であろうと推測され、丹波道主≒ヤマトタケルになることでしょう。


忍穂(おしほ)は転訛すれば足穂(あしほ)になりえますから、大元は同じであろうことが推測できます。





百嶋系図

われわれの新解釈系図では、彦坐王は天日鷲で、息長水依姫は鴨玉依姫になり、ヤマトタケルは安曇磯良と屋主男武雄心になります。





新解釈系図


鹿島御子神社では天足別とし、天足彦ではありませんから、天足彦の別、配偶者か子であることが推測されます。つまり、配偶者であれば鴨玉依姫、子であればヤマトタケルになりそうです。


「火伏せの神事」を行ったという由緒は天足別がWATER子(わたご=愛宕神)である証拠でしょう。


鹿が濡れた笹を持ってきたいわれは、母親であるコノハナサクヤヒメ(かぐや姫=竹取物語)を暗示しているものと考えることができます。


鎮座地は陸奥国に該当し、常陸国風土記に書かれた国境である、石城郡苦麻之村(現在の大熊町に比定)から50kmほど北に位置しています。ちょっと北上すれば宮城県に到達します。

 

この国境の比定については疑わしいところもあるので、次稿「多珂神社」で考察します。


口訳・常陸国風土記より引用

昔、志賀の高穴穂宮に大八洲知ろし食しし天皇(成務天皇)の御世に、建御狭日命が多珂の国造として 赴任した。建御狭日命は、国を巡り見て、山が険しく高いので、多珂国と名づけた。建御狭日命は出雲臣と同族である。諺に「薦枕、多珂の国」といふ。

このとき、郡の境界を定め、南(道前)は久慈郡の境の助川、北(道後)は陸奥国石城郡苦麻之村までした。のち難波の長柄の豊前宮に天の下知ろし食しし天皇(孝徳天皇)の御世の癸丑の年に、多珂の国造・石城直美夜部、石城の評造部・志許赤らが、惣領の高向大夫に申し出て、この郡は範囲が広すぎ行き来に不便なので、多珂と石城の二つの郡に分割された。石城郡は今は陸奥国に属す。


国造や評、郡の取り扱いについても別稿で考察したいと思いますが、おそらく成務天皇のころには少なくとも国はないから国造という官職はないだろうし、評造部が申し出た内容には「郡」が広すぎるとあるので、評と郡の区分けがよくされていないことが読み取れます。光圀黄門さん、チェックが甘いね。


こんな分析は明治新政府お抱え御用学者に任せて、もっと本質的なことを考察しなければなりません。


国だの郡だの評だの歴史の本筋には微々たる問題です。木を見て森を見ずのことわざどおりですね。


河野をコウノと読むかカワノと読むか程度の問題です。むきになるほどのことではありません。


WIKIの引用に興味深い単語がいくつか出てきました。

第六天魔王

仏教では、世界は六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界)、あるいは六道に四聖(声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界)を加えた十界という世界観となっているが、それとは別に欲界・色界・無色界界に分ける世界観もある。

三界においては欲界は地獄界から人間界および天上界の一部を含み、残りの天上界は色界・無色界に分けられる。この欲界に含まれた天上界の一部が六欲天であり、人間界に近いため欲から逃れることが出来ないとされる部分である。

その六欲天の最高位(下から第六位)が欲界の天主大魔王である第六天魔王波旬の住処となる他化自在天であり、別名を第六天という。

日本では天魔、第六天魔、第六天魔王は仏敵となった人物に仏門や民衆があだ名としてつけることが多かったが、自ら名乗った例もある。


第六天神社

第六天神社(だいろくてんじんしゃ)は、関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周辺に存在する神社。なお、神社によっては第六天を「大六天」と表記する場合もある。


元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネ(面足命・惶根命)に祭神を変更した。


玄松子さんのHPより引用

 

『先代旧事本紀』に、饒速日命に随伴した五部人に物部造等の祖・天津麻良、同じく船長や梶取などに梶取阿刀造等の祖・天津麻良、船子倭鍛師等の祖・天津真浦、笠縫等の祖・天津麻占の名があるので鍛冶だけではない技能集団とも考えられる。


これらを読むと物部氏の祖が天津麻羅≒金山彦であると推測できますが、武蔵国を中心にたくさん分布していることからは、鎌倉幕府の中心を担った武蔵七党などの関東武士による庇護が考えられそうではあります。


関東東北に多い金精神は、平安末期から鎌倉時代の「武士軍団」の台頭や、先代旧事本紀の成立、戦国時代における武神としての鹿島・香取両神宮の崇拝などに伴い、大六天魔王=マーラ=魔羅=天津麻羅→金山彦(カグツチ=愛宕神)や弓削道鏡のお伽話につながっていくのでしょう。


ここにおいても、愛宕神の同士討ち構図がみられますね。まったく、イカスリ藤原劉一族の創作神話はこのパターンがおおく見られます。


このほかに大六天魔王を名乗ったり、みなされた人は次のようです。《ニコニコ大百科(仮)より引用》

安日長髄
葦原高丸
安倍広庭 - 自ら第六天魔を名乗った。子孫の安東氏や松前氏(蠣崎氏)も名乗ったとされる。
平将門
蘇我入鹿
後醍醐天皇 - 「太平記」において自ら第六天魔を名乗った。
足利尊氏
足利義教
細川政元
織田信長 - 自ら第六天魔王を名乗った。


人間界よりも上に位置する大六天=他化自在天が魔王になる理由は、以下のようらしいです。


欲界の衆生を、自由自在に楽しませる事を楽しむ、すごくいい人のように思われる、他化自在天王が、なぜ、仏教で第六天の魔王と呼ばれるのかと言うと。 仏教の教えによって、人々から欲望が無くなると、楽しませるべき欲界の人が、色界や無色界に移って、なかなか欲界に戻ってこなくなり。 更にすすんで全ての人々が悟りをひらいてしまうと、欲界から人がいなくなって、人が楽しむ事を楽しむ他化自在天の人は、楽しむ事が出来なくなってしまうために、仏教がひろまる事を妨害するそうだ。 また、他化自

在天王のあたえる一時的な快楽が、人々の欲望をかきたて、六道の苦しみから逃れる根本的な解決策である、悟りを開くための仏道修行を忘れさせる事から、第六天魔王と呼ばれるらしい。


他化自在天は、前稿に書いた「利他」に通ずるものがあるのですが、その本音は自分が楽しむことにあって、「情けは人のためならず」程度の思想の持ち主だったようです。仏様でさえ「絶対矛盾的自己同一」なのです。この教えは「まだまだな人たち」を教化するには良い方法だったのでしょう。人に親切にすることは、めぐり巡って自分に還ってくると教えれば、何とか他人に親切にすることができたのでしょう。


簡単な喩えだと、有閑マダムのボランティアですか。


似たような意味の言葉には「因果応報」があります。これらから推測できるのは、出家して修行しても他人とかかわることができなくなるから、在家で陰徳を積みなさいということになりそうです。


肉体を持っている以上いろんな本能が煩悩となります。本能を欲という言葉に置き換え、キリスト教では原罪とされて、悪いものとされてしまっていますが、逆を返せば本能こそが楽しむことの源泉なわけです。


肉体を持っている以上、仏教が言っている悟りを開くことは不可能であることの証明をしているようなものです。あるいは完全に無関心になるしかありません。人間性の否定こそが仏教で言うことの悟りということになってしまいます。だから、五木寛之も遠藤周作も悩んだのでしょう。悩み続けることが生きているということなのでしょう。結論など出るわけはないけど、死ぬまで考え続ける、われわれ少しだけ前向きな凡人にはこれしかできそうにありません。


第六天魔王はルシファーに似ていますが、衆生を楽しませることが楽しみという点で、性的欲望を煽るだけのルシファーより高度な存在のように感じます。


神代史には直接関係なさそうなのでこれくらいにします。(笑)


ゾロアスター仏教、修験道、キリスト教、儒教、神道、イスラム教なぞ詳しく調べる気にもなりません。


なんだ宗教全部じゃないか(笑)


ちなみに南相馬市に現れた第六天魔王は安倍広庭あたりでしょうかね~。


時代的にはせいぜいイカスリ劉一族の武闘派である、源平が台頭してきた平安末期から鎌倉時代でしょうから、古文書を分析することが得意な中世史の専門家に任せておきましょう。(笑)


八切止夫は源氏を清和源氏ではなく、姓は源氏ではないかと揶揄してます。卓見ですね。


由緒というものは、かくの如し、GO JAP PAY(ごじゃっぺ)の一例です。


 拝殿と神文の三つ石畳み

  

拝殿の扁額                        本殿 千木は無い


さて、いよいよ科=品と鹿島御子神社の関係に入ります。


神紋の三つ石畳は次の写真のように、まったく「品」です。





品は正六角形と同様に正六面体の簡略図形です。正六角形は亀甲紋として有名ですね。


出雲大社の神紋にも使われていますが、百嶋資料では大幡主が大元であるとしています。われわれはそれを根本的な水神の子、WATER子であるカナヤマヒコ(わたごさん=愛宕神)と見抜いていますから、スサノヲ系や五瀬系(=タケミカヅチ系)が使うことが本来であると考えています。


これは大国主という職名がナガスネヒコ、タケミカヅチを表していることの証拠の一つとなりそうです。


       

              六角形                         正六面体


この右の図のように正六面体は正方形が3つに見えますから、正方形を3つコンパクトに並べ替えれば


品の文字が完成します。これが品=科の根源ではないでしょうか。

        

   六角形の連続ハニカム構造                  フラワーオブライフ 平面図   


六角形は、その形自体がニュートリノを発生させるとの見解があるようです。ニュートリノを使った常温核融合が 特許になっています。(リンク→ニュートリノを利用した常温核融合反応の方法 )  


つまり鉛から金が合成される可能性があるということですから、世界のマネーバランスが激変することになるかもしれません。まさに現代の錬金術です。      



また、ニュートリノと回転運動が生命の源であることが、近い将来発見されることでしょう。


魂の存在についてはいまだ解明されてはいませんが、肉体だけは自在に作り出せる時代がもうそこまで来ているように感じます。とりあえずコンピューター制御のバイオロボットが添い寝してくれるかもしれません。


だから、回転→ウズ、渦、瀛、珍が重要になっていたのです。


宇都宮は生命発生の中心地であった、かもしれないと記しておこう(笑)

    

カッバラ―の生命の樹に発展              フラワーオブライフ 立体図



日本のフラワーオブライフ 麻の葉紋




Passy&Bossy(パッシーアンドボッシーさんのHP「フラワーオブライフの効果と意味」より引用ご覧のようにフラワーオブライフは受精卵の細胞分裂を図形化したものと考えられます。


二段目左側の図は真言宗豊山派の宗紋「輪違(わちがい)」と同じ形で、真言宗豊山派のHPによれば、仏さまと私たち衆生は、もともと同じで異なることはない、凡聖不二(ぼんじょうふに)という教えを表している、と説明されています。


奇しくも、私が言う「私たちは神の擬身体である」と同じ意味でした。


これまでの神社探検によれば、豊山派のお寺は重要な位置に建てられているような感じを持っています。


武家では高階氏流の高師直(こうのもろなお)の高氏がこの紋を家紋にしているようです。


(→リンク 高階氏


われわれの常識では考えられない高度な技術を持っていた可能性は非常に高いと考えられます。

これらから鹿島御子神社の祭神は女神と考えた方がよさそうです。つまり鴨玉依姫だということになりそうです。

  

 境内社の雷神社                     同扁額  


通説での神武は玉依姫の子になりますが、百嶋系図ではこれを、ハツクニ神武=崇神=別雷、その母を鴨玉依姫にしていますが、この雷神社はまさにその通りの境内社になります。


  

樹齢1000年とも言われるケヤキのご神木     鹿島社お決まりの要石



百嶋由一郎先生の講演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野克典まで。

メール k_kplanning @yahoo.co.jp