証券会社での生き残り競争3 | 中央線大家の日記

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中央線沿線に生息する大家の日常です。

3店目は法人課もないような住宅街の支店でした。

 

評価ダウンで出されると、当然のことながら、だんだんと諸条件が

 

悪くなっていきます。

 

さらに、この転勤で正式に営業課から外され、顧客が来店客中心の受け身の投資相談課への

 

所属になりました。

 

赴任当初、やる気レスになって、男性は朝7時30分までに出社していたところに、

 

下っ端の私が、朝8時10分頃に出社したりしてました。

 

もう、フラグが立ってますね。

 

まず役のなかった営業の既婚男性が、

 

「こんな給料では生活出来ません」

 

と言って退職していきました。

 

当時、私の5歳下の高卒の弟が物価の安い地方のガソリンスタンドの店長で

 

年収600万を超えていました。

 

大手証券会社所属の彼の年収はもしかしてそれ以下だったかもしれません。

 

会社が貧すれば鈍すの典型ですね。

 

さらに、本部から営業に配置換えになった私の一つ下の後輩が、

 

「ビジネスモデルが終わってる」の言葉とともに残高証明集めも拒否して退職、、、。

 

他店から転勤してきた多少癖のある女性社員も支店長は退職に追い込んでました。

 

大店で支店長に物申して転勤してきた仕事のできる男性次長も

 

あからさまに干されてまして、私が辞めた後に退職されました。

 

この店でも収益は出来てましたが、月500万〜1000万程度の手数料を

                (課長代理の平均よりはだいぶ上でした)

コンスタントに稼いでいても年収900万前後でさらに職場環境劣悪で、

 

私も4年弱程度で退職となり、生き残る事が出来ず脱落となりました。(笑)